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2021/12/18(10:12,10:12) 臨時駐車場と「千代ヶ崎砲台跡」への道。 「千代ヶ崎砲台跡」は、32ヶ所に築かれた「東京湾要塞」を構成する砲台群の中の一つで、 東京湾の入口「浦賀水道」を見下ろす三浦半島の南東部、標高65mの高台(平根山)にある。 日本で最初に建設された「東京湾要塞」は、明治9年の観音崎要塞用地買収に始まるが、 この「千代ヶ崎砲台」は、要塞の整理・復興期となる明治25年(1892)~28年(1895)、 既に完成していた「観音崎」の砲台群の側防や援助砲台として建設され、3砲座・計6門の 28cm榴弾砲を備える西洋式砲台である。平成27年(2015)には国の史跡に指定され、 令和3年(2021)10月から一般公開(土日祝のみ)された。 左の写真、この日は期間限定の臨時駐車場であったが、本HP作成時点(2022年12月)で確認すると、 横須賀市HPには「千代ヶ崎砲台跡駐車スペース16台」と「臨時」の文字が消えている。 右の写真、臨時駐車場から「千代ヶ崎砲台跡」へは、旧軍道の緩い坂道を歩く。 写真の左側が臨時駐車場で、右は民有地である。 左の写真をクリックすると「東京湾要塞」と「千代ヶ崎砲台」の案内が表示されます。 この画像は、980x980ピクセルあります。 画像の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 この案内は、史跡入口(柵門)脇に立つ「文化財説明板」を撮影した写真から切抜いたもので、 文字が不鮮明ですが、是非ご覧下さい。 |
2021/12/18(10:14) 「旧軍道」。 「千代ヶ崎砲台跡」へは、緩い上り坂である。 |
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2021/12/18(10:16) 写真右に、バス停「千代ヶ崎砲台跡」。 周遊バスや日帰りバスツアー等のバス停で、 定期運行のバスはない。 |
2021/12/18(10:16) 「柵門」。 「千代ヶ崎砲台」の出入口で、当時、左右擁壁に 囲まれた切り通しには、門扉が設けられていた。 「柵門」の奥には、砲台などが見えないように 高さ約5mの「土塁」が築かれている。 写真をクリックすると近づいて撮る「柵門」が 表示(600x450)されます。 |
2021/12/18(10:16) 「柵門」の脇に立つ「文化財説明板」。 写真をクリックすると案内板に書かれる史跡の 配置図(650x650)が表示されます。 |
2021/12/18(10:18) 国の史跡を記す「銘板」と「掘井戸」。 施設内の生活用水は、砲台に溜まる雨水を集めて、 ろ過したというが、土塁の下には「掘井戸」も 掘られていた。 |
2021/12/18(10:18) 「休憩所」。 「休憩所」の中には、施設を説明するパネルや 模型などが展示されている。 なお、現地は今でも、水道が引かれていないため、 建物左にあるトイレは、バイオトイレである。 |
2021/12/18(10:21) 「千代ヶ崎砲台(現状)」の模型。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2021/12/18(10:22) 「28cm榴弾砲」の模型(1/35)。 写真をクリックするとカメラ位置を少し下げて撮る 写真(600x450)が表示されます。 |
2021/12/18(10:24) 「休憩所」の内部。 |
2021/12/18(10:25) 「地下施設」へと向かう。 ここから先の「地下施設」は、ガイドツアーのみで、 単独での行動は許されていない。 ガイドツアーは無料で、特に予約の必要はない。 |
2021/12/18(10:26) 「塁道」。 施設内のメイン通路である。 砲台は、写真左側にあり、手前に「第三砲座」、 奥に「第二砲座」、「第一砲座」と並ぶ。 |
2021/12/18(10:26) 「交通路」。 「塁道」と「砲座」等の地下施設を結ぶ通路である。 写真の「交通路」は進入禁止だが、 奥に進むと、左に「左翼観測所付属室」、 右に「第三砲座」がある。 |
2021/12/18(10:27) 「第二貯水所」。 施設内の生活用水は、砲台に集まる雨水を 「塁道」に埋設される「ろ過下水溝」で簡易ろ過。 写真手前の「沈殿池」と「ろ過池」を経由して、 写真奥にある、「貯水池」に溜められた。 写真をクリックすると「沈殿池」と「ろ過池」を 撮る写真(450x600)が表示されます。 |
2021/12/18(10:28) 「貯水池」。 見学できるのは、地上の「井筒」部分のみである。 壁には、2種類のレンガが使われており、 「塁道」に面し、雨風が直接当たる場所には、 撥水性の高い「焼過煉瓦(焦げ茶色)」。 奥には「普通煉瓦(赤色)」が使われている。 写真をクリックすると「貯水池」の壁を撮る 写真(600x450)が表示されます。 |
2021/12/18(10:28) 「塁道」。 「塁道」の幅は4m。 天井のない「露天空間」と「隧道」が繰り返される。 写真は、露天空間部分から撮影。 トンネル(隧道)の先の明るい部分が露天空間で、 その先にもトンネルが見えている。 |
2021/12/18(10:31) 「棲息掩蔽部(へいそくえんぺいぶ)」。 兵員の待避所や宿舎、倉庫などに使われた。 扉は、「金属回収令」により取り外されたという。 写真の扉取付部分は、補修されているが、 補修されずに壊れたままの扉もある。 写真をクリックすると補修されていない 「棲息掩蔽部」を撮る写真(600x450)が 表示されます。 |
2021/12/18(10:31) 「棲息掩蔽部」の中。 奥の明るい部分は、「点燈室(ランプ室)」の 「ガラスの小窓」から漏れる灯り。 「点燈室」で灯されるランプの明かりは、 「ガラスの小窓」を通し、「棲息掩蔽部」と、 更にその奥、火気厳禁でランプが持ち込めない 「砲側弾薬庫」の両部屋を照らしていた。 |
2021/12/18(10:32) 「塁道」の最奥(南)部。 「塁道」を通り抜けた先(施設南側)には、 小口径の「加農砲」等を備えた「近接防御砲台」と 「右翼観測所」があったが、現在は民有地で、 「塁道」の先は、フェンスで仕切られている。 写真をクリックすると写真中央部分を切抜く 画像(600x450)が表示されます。 |
2021/12/18(10:33) 「桜の花の刻印」。 レンガには、「桜の花の刻印」があり、 「小菅集治監(当時の刑務所)」で造られたことを 示している。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2021/12/18(10:35) 「塁道」から「交通路」に入る。 「交通路」は、各砲座の間などに造られているが、 ガイドツアーでは、「第三砲座」と「第二砲座」の 間にある「交通路」に入る。 「交通路」では、「点燈室」と「砲側弾薬庫」の 中を見学したが、「点燈室」の写真は残らないので、 本ページでは、「砲側弾薬庫」を紹介する。 |
2021/12/18(10:36) 「砲側弾薬庫」。 28cm榴弾砲の砲弾と装薬の保管庫である。 火気厳禁の弾薬庫の照明は、ガラスの小窓から 漏れる「点燈室(ランプ室)」からの光であった。 天井と床には、重さ217kgの砲弾を上の砲座へと 運ぶ(持上げる)ための穴が空く。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2021/12/18(10:39) 「高塁道」。 「高塁道」は、「交通路」から石段を上がった 砲座とほぼ同じ高さにあり、砲座と砲座の間を結ぶ 連絡路である。 「高塁道」の左右には、重さ217kgの「砲弾」を 弾薬庫から持上げるための「揚弾井(穴)」があり、 「揚弾機」が設置されていた。 |
2021/12/18(10:40) 「揚弾井」。 砲弾を弾薬庫から持上げるための「穴」。 上には、「揚弾機」を設置していた金属が残る。 写真をクリックすると「揚弾井」の全体を撮る 写真(450x600)が表示されます。 |
2021/12/18(10:40) 高塁道から見る「第二砲座」。 「第二砲座」には、石(岩)が転がり、立入禁止。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2021/12/18(10:41) 砲弾を砲座へ運んだ「レール」の跡。 高塁道の壁には、重さ217kgの砲弾を 砲座へと運んだ「レール」の跡が残る。 写真をクリックすると「砲弾を砲座へ運んだ レールの跡」を切抜く画像(600x450)が 表示されます。 史跡東京湾要塞跡「千代ヶ崎砲台跡」(2/2)に 続きます。 |
このページは、史跡東京湾要塞跡「千代ヶ崎砲台跡」(2/2)に続きます。 史跡東京湾要塞跡「千代ヶ崎砲台跡」(2/2)のページへ |