足柄峠

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2015/9/15(13:20,13:21)
「あづまやはや」の標柱と「足柄の関」。
「足柄峠」は、静岡県(駿河国)と神奈川県(相模国)の県(国)境にある峠で、鎌倉時代になり、
箱根道が開かれるまでは、官道・公道として利用されていた峠道で、「倭建命(日本武尊)」が、
東征の帰路、荒波を収めるため波間に身を投じた「弟橘媛」を思い「あづまはや(あゝわが妻よ)」と
嘆き悲しんだという場所である。
「足柄の関」は、昌奉2年(899)、足柄坂に出没する強盗団(僦馬の党)を取り締まる目的で設置されたのは、
史実のようであるが、実際の場所や形状は定かではなく、以前は、黒澤明監督の映画「乱」で使われた門が
関所として置かれていたのだが、その門も、いつの日か取り外されたようである。
左の写真をクリックすると案内板「倭建命(日本武尊)」が表示(800x600)されます。
右の写真をクリックすると案内板「古代の足柄の関」が表示(800x600)されます。
2015/9/15(13:21)
「おじき石」。
「おじぎ」の形をした石ではない。
ここを通る旅人は、この石に手をついて「おじぎ」を
しながら手形を差し出したとある。
写真をクリックすると近づいて撮る「おじぎ石」が
表示(600x450)されます。
2015/9/15(13:22)
「足柄峠茶屋」。
2015/9/15(13:25,13:25)
「足柄山聖天堂」と御神木.。
「足柄山聖天堂」は、弘法大師の建立といわれ、等身大の石仏「大聖歓喜双身天」を本尊とするが、
これは秘仏として公開されていない。
福運厄除、縁結びに御利益があるとされ、毎年4月には、「聖天堂大祭」が行われる。
樹齢四百数十年という御神木の「欅」は、平成11年(1999)5月に突風で倒伏。
現在の「欅」は、空洞となっていた根幹部の中に育っていた幼木が、親木倒伏の後に出現したものだとある。
右の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
2015/9/15(13:25)
「足柄山の金太郎」。
「足柄山聖天堂」の入口脇にある。
2015/9/15(13:30)
「笛吹塚(新羅三郎義光吹笙之石)」。
「八幡太郎義家」の弟、「新羅三郎義光」は、
名人「豊原時元」に学んだ「笙」の秘曲を後世に
伝えようと、この「大石」の上に座り「豊原時元」の子
「時秋」に「笙」の奥義を伝えたとある。
写真をクリックすると案内板「足柄山 笛の調べ」が
表示(650x600)されます。
2015/9/15(13:31)
「足柄峠城址公園」の入口。
「足柄峠城址公園」は、標高759mの「足柄峠」にある
「足柄城跡」を整備して造られた公園である。
写真をクリックすると案内板「足柄峠」が
表示(800x600)されます。
この案内板に書かれる「万葉公園」は、「足柄峠」の
北東約600mにあり、「足柄万葉公園」のページで
紹介しています。
2015/9/15(13:32)
「一の郭」。
「足柄峠城址公園」入口の石段を上がると、足柄城「一の郭」である。
「足柄城」は、「足柄峠」にあった山城で、平安末期頃に軍事的な施設が設けられ、戦国時代に入り「北条氏綱」が
築城したと推定されているが定かではない。
また、天文24年(1555)には、「北条氏康」が、三田郷(現在の厚木市)の百姓に、足柄城改修の人足を出すよう命じた
記録が残ることから、この頃には、小田原「後北条氏」の属城になっていたと考えられる。
その後、幾度かの改修を重ね、現在残るような規模となるが、天正18年(1590)、「豊臣秀吉」の小田原征伐の後に
廃城となった。
写真をクリックすると「足柄城址」の案内図(800x600)が表示されます。
案内板には「遊歩道案内図」とあるが、遊歩道の線はかすれて見えない。
また、場所の名前なども文字がかすれ、判読できないため、写真に上書き(編集)しています。
2015/9/15(13:34,13:34)
「玉手ヶ池」。
池は、石碑や案内板の位置からは見えず、案内板の裏(左の写真奥)にある。
案内板には、「底知らずの池、雨乞いの池といわれ」とあるが、この日の池は「水溜まり」の様であった。
また、池の名称は足柄峠の守護神「足柄明神姫玉手姫」から付けられたとある。
2015/9/15(13:35)
「足柄峠笛まつり」の標識。
標識には「相模之國 南足柄領」とある。
「足柄峠笛まつり」では、「相模の國」と「駿河の國」の
「領地争奪綱引き合戦」が行われ、勝者は次回の
「笛まつり」まで、この広場を領地とするとある。
この年(2015)の「足柄峠笛まつり」は、この日の2日前に
行われ、「相模の國(南足柄市)」が勝ったようである。
写真をクリックすると「足柄峠笛まつり」の
案内板が拡大表示(450x600)されます。
2015/9/15(13:36,13:37)
「一の郭」と「生田蝶介」の歌碑。
「一の郭」から「富士山」を望む絶好の場所には、「生田蝶介」の歌碑が立つ。
「生田蝶介」は、明治22年(1889)、下関市長府に生まれた歌人で、大正13年(1924)、短歌誌「吾妹」を創刊、
大正から昭和の時代に多くの歌を残し、小説も書いている。先の大戦の時に小山町に疎開。
5年間を小山町で過ごし、足柄峠にも幾度となく足を運び、歌を残したという。
歌碑には「全貌を 裾野まで見せて あますなし 不二は悠然と 天ささげたつ」と刻まれる。
2015/9/15(13:39)
「生田蝶介」の歌碑から見る景色。
「富士山」は、西北西の方向にある。
この日、晴れているのだが、残念ながら「富士山」は、
雲の中に隠れている。
2015/9/15(13:38)
「生田蝶介」の歌碑から見る景色。
写真左、標高の一番高く写るのが「金時山(猪鼻岳)」、中央奥に「位牌岳」と「越前岳」が並ぶ。
その右に「富士山」があるのだが、雲に隠れ見えていない。
2015/9/15(13:40)
「一の郭」から「二の郭」に向かう。
標識には「遊歩道入口」とある。
2015/9/15(13:41)
「一の郭」と「二の郭」の間にある「空堀跡」。
奥の高台が「二の郭」。
2015/9/15(13:44)
「二の郭」と「三の郭」の間にある「空堀跡」。
奥の広場が「三の郭」。
2015/9/15(13:42)
「二の郭」。
「富士山」等が望める場所には、ベンチや方位盤が設けられている。
2015/9/15(13:44)
「三の郭」から見る「二の郭」。
間にある窪みが「空堀跡」。
「三の郭」の先には「四の郭」「五の郭」と続くが、
この日は「三の郭」でUターン。
2015/9/15(13:45)
「二の郭」から見る「金時山(猪鼻岳)」。
2015/9/15(13:46)
「二の郭」の「方位盤」。
2015/9/15(13:49)
「一の郭」から「南郭」への遊歩道。
「四阿」の脇を通り、「あずまはや橋」を渡ると
「南郭」である。
2015/9/15(13:50)
「あずまはや橋」。
遊歩道は、「南郭」を通り、「足柄の関」へと続くが、
この日は「あずまはや橋」でUターン。
2015/9/15(13:51)
石段を県道へと降りる。
写真中央上、車の止まる場所が駐車スペースで、
その手前に「笛吹塚」がある。
なお、写真奥に伸びる道は、神奈川県道731号
「矢倉沢仙石原線」で、この先で登山道に変わり、
車は通れなくなるが、県道は「金時山(猪鼻岳)」の
山頂を通り、箱根の「仙石原」へと続いている。
つまり、「金時山」の山頂には、県道が通っており、
神奈川県道の最高標高地点(標高1,212.5m)
なのである。

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