南のムラ
(吉野ヶ里遺跡)

2013/10/4(11:07)
北側から見る「南のムラ」。
「南のムラ」は、「下戸(げと)」と呼ばれる一般庶民が暮らす区域で、竪穴住居や高床倉庫等27棟が復元されている。
「南のムラ」には、周囲を囲むような壕などの特別な施設はなく、竪穴住居3~4棟に対し共同の高床倉庫1棟が付き、
日本全国で見つかっている一般的な集落のあり方と良く似ているという。
2013/10/4(11:07,11:08,11:08)
「北の一家」。
「北の一家」は、農作業をしながら、麻布や絹布の生産を行う一家で、写真の「家長夫婦の家」の他、「娘夫婦の家」、「養蚕の建物」と
「一家の倉」が2棟、屋外調理場が建つ。
2013/10/4(11:05)
「南のムラ」の案内板。
「南のムラ」の人々は、農耕や生活に必要な道具作りを
行いながら「北内郭」や「南内郭」の支配層の生活を
支えていたとある。
写真をクリックすると「南のムラ」の案内板が
拡大表示(800x600)されます。
2013/10/4(11:13)
「中の一家」。
「中の一家」は、農作業をしながら、鉄器の制作や
修理等を行うほか、舟から物資の荷揚げも行う一家で、
「家長夫婦の家」の他、「老夫婦の家」、「息子夫婦の
家」、「小鍛冶の建物」と「一家の倉」、屋外調理場が
建つ。
2013/10/4(11:14)
「祭壇」。
「北墳丘墓」同様、人工的に作られた丘であるが、
中からは祭りに使う土器等が多く見つかっているが、
墓は1基も見つからないため、この祭壇は墓として
用いられることはなく、天の祭り(自然や暦に関わる
祭り)に関する施設であったと考えられるという。
2013/10/4(11:17)
祭壇近くから見る「南のムラ」.。
「南のムラ」.の広い敷地には、本ページで紹介した「北の一家」、「中の一家」の他にも、「ムラ長の一家」、「南の一家」が復元されている。

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