南内郭
(吉野ヶ里遺跡)

2013/10/4(9:15)
「南内郭」の脇門(中央左)と正門(右の櫓門).。
「南内郭」は、吉野ヶ里の支配者層が生活をしていた
場所と考えられているという。
写真をクリックすると「南の守り」の案内板が
表示(800x600)されます。
2013/10/4(9:14)
正門(櫓門)の上から見る「南内郭」.。
「南内郭」.は、二重の「城柵」で囲まれており、
正門(櫓門)は、外側の「城柵」にあり、写真に写るのは、
内側の「城柵」である。
内側の「城柵」を入って、すぐ左右に立つ「物見櫓」は、
改修中であった。
2013/10/4(9:27)
南西部に立つ「物見櫓」と「支配者層の住まい」。
写真をクリックすると「南内郭」の案内板(800x600)が
表示されます。
2013/10/4(9:28)
入口付近から見る「南内郭」。
「南内郭」には、物見櫓4棟、竪穴住居11棟の他、集会の館や煮炊屋など、合わせて20棟の建物が復元されている。
2013/10/4(9:27)
写真左に「王の住まい」、中央に「兵士の詰所」。
2013/10/4(9:30)
工事用柵の左に「集会の館」。
写真は、北側の「物見櫓」の上から撮影。
工事中で中には入れなかったが、「集会の館」は、
様々な協議や会合が行われた場所で、吹き抜けの
大きな建物という。
2013/10/4(9:33)
「王」の娘夫婦の家。
2013/10/4(9:31)
北側の物見櫓の上から見る「南内郭」.。
櫓の下(写真中央)に、「煮炊屋」等の建物。その左に「王」とその家族の家がある。
2013/10/4(9:33,9:33)
「王」の娘夫婦の家の中。
2013/10/4(9:36)
「煮炊屋.」。
2013/10/4(9:36)
「煮炊屋.」の中。
吉野ヶ里遺跡では、竪穴住居の中では煮炊きをした
痕跡がなく、この様な小型の掘立柱建物で共同で
煮炊きを行ったと考えられるという。
2013/10/4(10:35,10:36)
「王の家」。
ベッド状の遺構も発見されていることから、弥生時代においても、炉を囲む公的空間とプライベートな就寝空間は、
分けられていたと考えられるという。
2013/10/4(10:37)
「王の家」の中。
2013/10/4(10:40,10:40)
「兵士の詰所」。
「兵士の詰所」は、内側と外側の「城柵」の間にあり、「倉と市」へと通じる門の周辺を警固する兵士たちの
詰所であったと考えられるという。

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