倉と市
(吉野ヶ里遺跡)

2013/10/4(10:43)
北側から見る「倉と市」。
「倉と市」は、海外との交易品や日本各地のクニグニの
特産品などが集まり、「市」が開かれると共に、そこで
取引される品々が保管されていた倉庫が集まっている。
写真をクリックすると「国の倉と市」の案内板が
表示(800x600)されます。
2013/10/4(10:44,10:45)
「稲穂の倉」。
集落の備蓄用にされる稲を収めるための倉。
2013/10/4(10:50)
「倉と市」の全体。
「倉と市」には、「倉庫」や「市楼」等、31棟の建物が
復元されている。
写真中央付近の高い建物が「市楼」。
2013/10/4(10:45,10:46)
「武器の倉」。
戦いに備えるため、多くの武器を保管したという。
また、「武器の倉」は、地区の入口付近に設置されていたと考えられるという。
2013/10/4(10:48,10:48)
「原料の倉」。
「吉野ヶ里」では、青銅器や鉄器の生産、木製品の生産が行われていたことが確認できるという。
但し、弥生時代には、鉄鉱石や砂鉄から鉄を作り出す技術はなく、朝鮮や中国から輸入された
鉄板(鉄てい)を曲げて鉄製品を作っていたとある。
2013/10/4(10:49)
「貢物の倉」。
中国へ使者を派遣するとき、一緒に持たせる貢物を
収めていたという。
2013/10/4(10:51)
「市長の住居」。
「市」を治める市長は、この区域で暮らしながら「市」を
管理したとある。
2013/10/4(10:52,10:54)
「市楼」。
「市」を管理する建物で、下の階で「市」に参加する許可をもらったという。
2階では、太鼓と旗で「市」の開催を知らせ、見張りの兵士が立っていたという。
2013/10/4(10:54)
「市楼」の2階から見る倉群。
「市楼」の西側には倉が並ぶ。
2013/10/4(10:55,10:56)
「稲籾の倉」。
軍事のための備蓄や「国」の財力を示すため、「籾」を収めていたという。
2013/10/4(10:57)
「市の倉」。
「市」で交換するために「吉野ヶ里」で生産された食材を
納めていたとある。
2013/10/4(10:55,10:58)
「兵士の詰所(左)」と「兵士の住居(右)」。
「市」を警備する兵士は、この区域で暮らし、詰所で見回りの順番を待ったとある。

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