北墳丘墓
(吉野ヶ里遺跡)

2013/10/4(10:10,10:10)
「北墳丘墓」。
「北墳丘墓」は、吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓といわれ、その大きさは南北約40m、
東西約27m。現在の高さは2.5mであるが、元来は4.5m以上の高さであった可能性があるという。
中からは14基の「甕棺」が見つかり、その内1基には、「青銅の剣」と「ガラス製の管玉」が、
そして、7基には「青銅の剣」が副葬されていたという。
右の写真をクリックすると「北墳丘墓」の案内板が拡大表示(600x600)されます。
2013/10/4(10:10)
「北墳丘墓」の中。
展示されている「遺構面」と「甕棺」は、実物であるが、
「甕棺」の中の副葬品は、発掘時の姿で復元された
レプリカとある。
写真をクリックすると「14基の甕棺」の案内板が
表示(960x500)されます。
2013/10/4(10:14,10:15)
「甕棺」と「甕棺」の中の副葬品。
副葬品は、「甕棺」に比べ小さいため目立たないが、発掘時の姿で復元されている。
右の写真をクリックすると「甕棺」の部分が拡大表示(450x600)されます。
2013/10/4(10:15)
「見学デッキ」。
「見学デッキ」は、「北墳丘墓」の中央に入り込むように
造られているため、「遺構面」や「甕棺」の状況等を
間近に見ることができる。
2013/10/4(10:12)
「墳丘墓」の築造方法を説明したパネル。
「北墳丘墓」は、違う種類の土で「土まんじゅう」を作り、
それを何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて
造られており、この技法は当時日本では他に例のない
高度な盛土技法だという。
2013/10/4(10:18)
「甕棺」の中に死者を埋葬した様子。
「甕棺」による埋葬方法は、佐賀や福岡を中心とする
北部九州で多く発見されている特徴的な方法だという。
2013/10/4(10:20)
「二つの中軸線」。
北墳丘墓と南祭壇の中心を結んだ線は、北内郭の
主祭殿の中心を通り、同じ線上に北墳丘墓前面の
祠堂、立柱が並ぶことから、集落の聖なる中軸線とも
いうべき重要な線であること。
また、北内郭の中軸線は夏至の日の出、冬至の
日の入りの線と一致することが図で解説されている。

このウインドウを閉じる