丸山遺跡

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2013/10/3(16:52,16:58)
「金立公園」の園内地図と「丸山遺跡」の東側出入口。
「久保泉丸山遺跡(通称:丸山遺跡)」は、元佐賀市久保泉町川久保にあり、縄文時代晩期から
弥生時代前期の墓と、5世紀から6世紀の古墳群からなる複合遺跡であったが、長崎自動車道建設のため、
500m程西の長崎自動車道「金立SA」に隣接する「金立公園(きんりゅうこうえん)」内に移設し復元したもので、
一般道からはもちろん、「金立SA」に車を止め、歩いて見学することもできる。
左の写真をクリックすると「園内地図」が拡大表示されます。
この案内板は、960x720ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2013/10/3(16:59)
「10号墳」。
「10号墳」は、東側出入口を入るとすぐ右側にあるが、
墳丘径6mの円墳で高さが70cmと小さく目立たない。
また、石室の天井石を省略して復元しているため、
頂部には、天井石のない「竪穴系横口式石室」が
あるのだが、これも雑草に覆われ見落としてしまった。
写真をクリックすると「丸山遺跡」の案内板が
表示されます。
この案内板は、1200x600ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2013/10/3(17:00)
石段を登る。
2013/10/3(17:00)
石段を登ると、左手に古墳が見えてくる。
写真に写る古墳は、左に4号墳、右に3号墳。
2つの古墳の間には5号墳がある。
2013/10/3(17:01)
「4号墳(円墳、横穴式石室)」。
墳丘は、直径約11.4m、高さ3.1m。
築造時期は、5世紀後半~末頃とある。
2013/10/3(17:02)
「4号墳」の玄室。
横穴式石室は、奥行き2.9m、幅2.1mの玄室と、
長さ約1mの羨道からなるとある。
2013/10/3(17:03)
「9号墳(石棺系石室)」。
墳丘径5m程の小さな古墳である。
築造時期は、古墳時代中期~後期とある。
2013/10/3(17:03)
「5号墳(円墳、横穴式石室)」。
墳丘は、直径約10m、高さ2.8m。
築造時期は、5世紀末~6世紀始め頃とある。
2013/10/3(17:04)
「5号墳」の玄室。
横穴式石室は、奥行き2.5m、幅1.9mの玄室と、
長さ約1.1mの羨道からなり、玄室左側の腰石の
重さは3㌧とある。
2013/10/3(17:06)
「支石墓群」。
「支石墓」は、埋葬地の周りに基礎となる支石を並べ、
その上に巨大な天井石を載せた墓で、5号墳と6号墳の
間に16基の「支石墓」が復元されている。
2013/10/3(17:06)
「2号墳(円墳、横穴式石室)」。
墳丘は、直径約12.6m、高さ2.3m。
築造時期は、古墳時代中期とある。
石室は、奥行き幅共に約2mの方形で、墳丘の斜面には
約4,500個の葺石が設置されているとある。
2013/10/3(17:08)
「6号墳(円墳、竪穴式石室)」。
墳丘は、直径約9m、高さ1.2m。
築造時期は、5世紀初め頃とある。
竪穴式の石室は、長さ1.8m、幅0.4m、高さ0.8mと
ある。
2013/10/3(17:09,17:10)
「1号墳(円墳、竪穴式石室)」。
築造時期は、古墳時代中期とあるが、その他の詳細は不明。
2013/10/3(17:09)
写真手前から奥に、1、2、3号墳。
2013/10/3(17:13,17:13)
山側広場の説明版。
「久保泉丸山遺跡」の概要の他、移設と復元等について説明されている。
「移設と復元」によると、「ここから500m東にあったものを、そっくりこの地に移した」とあり、
昭和52年発掘時の写真を見ても、古墳の配置等が、元と同じ状態で復元されていることが分かる。
2013/10/3(17:14)
山側広場から見る「久保泉丸山遺跡」の全体。
写真手前左から右に、3、2、1号墳。奥左から右に4、5、6号墳。
パノラマ写真の合成上、1~3号墳が直線に並ばないが、実際は、ほぼ直線に並んでいる。
実際の配置については、16時59分の写真をクリックして表示される「丸山遺跡」の案内板で確認願います。
2013/10/3(17:17,17:18)
「3号墳(円墳、舟形石棺)」。
墳丘は、直径約14m、高さ2.6m。
築造時期は、古墳時代中期で、墳丘の斜面には約5,200個の葺石が設置されているとある。
舟形石棺は、出土したものと材質、大きさ共に同じように造られた複製品で、内部はタイムカプセルとして使われ、
一般から公募した様々な記念の品が納められているという。
2013/10/3(17:22)
「久保泉丸山遺跡」を出て、「夢郷庵」に向かう。
2013/10/3(17:25)
南側の池越しに見る「夢郷庵」。
2013/10/3(17:28,17:29)
「夢郷庵」。
案内板によると、元は「松尾建設」の前会長が別荘として利用していたものだが、
昭和61年(1986)、夫人から市に寄贈されたという。
東棟は、木造瓦葺2階建て、延べ154.75㎡で、昭和47年(1972)の建築。
西棟は、木造茅葺平屋建て、99.88㎡。昭和39年(1964)に、築約50年の農家住宅を再建移築したとある。
「金立公園」には、他にも「徐福長寿館」、「薬用植物園」、「コスモス園」、「金立山いこいの広場」等がある。
また、食事などは「金立SA」を利用することもでき、見どころ遊びどころの多い公園である。

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