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2015/4/10(11:57,11:58)
「玉陵入口」と入口を入ったところ。 「玉陵(たまうどぅん)」は、文亀元年(1501)、琉球王国第二尚氏王統の第3代国王「尚真王(しょう
しんおう)」が、 父「尚円王(しょうえんおう)」の遺骨を改葬するために築かれたとされ、以後、第二尚氏王統の歴代国王と王妃が
葬られている陵墓である。 先の沖縄戦で「東室」と「西室」が破壊されるなどの大きな被害を受けたが、昭和49年(1974)から3年余りにおよぶ
修復工事により、往時の姿を取り戻しており、平成12年(2000)には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として
世界遺産に登録されている。 左の写真が「玉陵」の入口。右の写真は入口を入ったところで撮影。 左の写真をクリックすると「玉陵」の案内板が表示されます。
この案内板は、1,280x650ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2015/4/10(11:58)
「玉陵奉円館」。 「玉陵」の受付(観覧券売場)であり、地下1階が資料 展示室になっている。 |
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2015/4/10(12:00)
資料展示室(地下1階)に向かう。 |
2015/4/10(12:01) 「資料展示室」。 入口付近では、「玉陵」の概要や「尚円王」、「尚真王」の
「御後絵(うぐい:琉球国王の肖像画)」などが展示されて いる。 写真左に写る青い色のキャラクターは、
「たまちゃん」と名付けられ、中国では幸運の印と いわれ、「玉陵」の高蘭にも刻まれる「蝙蝠(こうもり)」を モチーフにしたという。 |
2015/4/10(12:03)
戦前、戦後、修復工事後の「玉陵」の写真が並ぶ。 |
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2015/4/10(12:03)
「墓室」の中の写真。 洗骨後の王と王妃が葬られる「東室」内部を写した 写真が並ぶ。
写真をクリックすると、左4枚の写真部分を切り抜いた 画像(600x450)が表示されます。 |
2015/4/10(12:03)
「玉陵」のレプリカ。 「墓室」は、左から「東室」「中室」「西室」の 3基に分かれており、「東室」には、洗骨後の王と王妃、
「西室」には「玉陵碑」に記されている限られた家族。 そして、「中室」は、洗骨前の遺骸を安置したという。
レプリカは「玉陵」の全体だけでなく、「墓室」の中まで 再現され、上から中を覗ける様になっている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2015/4/10(12:04)
「墓室平面図」。 「墓室」の中に置かれた「厨子」には番号が振られ、 図の左に描かれる「東室」には、37個。
中央の「中室」には1つ。右の「西室」には32個の 「厨子」が書かれている。 写真をクリックすると「墓室平面図」が 拡大表示されます。
この画像は、1,200x900ピクセルあります。 「墓室平面図」の文字を読みたいときには、表示された 画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
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2015/4/10(12:04)
「被葬者一覧」。 一覧表には、「墓室平面図」に書かれる「厨子番号」 順に、被葬者の名前と生没年、年齢が書かれている。
(何れも「不明」のものを含む) |
2015/4/10(12:06)
「葬列の様子」。 大正9年(1920)に亡くなり、、琉球王国最後の王様 「尚泰王(しょうたいおう)」の長男で、政治家でも あった「尚典候(しょうてんこう)」の葬儀の様子が、
写真で展示されている。 |
2015/4/10(12:06)
「歴代の厨子甕」。 歴代の王や王妃などの「厨子甕」が写真で展示されて いる。 |
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2015/4/10(12:07)
「各種厨子甕」。 18世紀初頭の「ボージャー厨子甕(右)」や 20世紀初頭の「上焼コバルト掛け厨子甕(左)」等が
展示されている。 |
2015/4/10(12:07)
「副葬品」。 「墓室」に収められていた、「手鏡」や「鉢」「花生」 「徳利」「壺」「香炉」等の「副葬品」が写真で
展示されている。 |
2015/4/10(12:09)
「玉陵の説明」。 「玉陵奉円館」を出たところにある。 本ページ先頭(11時57分)の写真をクリックして
表示される「玉陵」の説明は、この案内板を 撮影したものである。 |
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2015/4/10(12:09)
参詣道を「玉陵」に向かう。 |
2015/4/10(12:09)
参詣道脇の「木の根」。 「ガジュマル」の根であろう。 |
2015/4/10(12:10)
「西の御番所」跡。 「玉陵」の門外左右には、親族や僧侶達の 控え所として使われた「御番所」が建ち、 「西の御番所(いりのうばんじゅ)」は、法事の際等に、 主に女性方の控え所として使われたという。 |
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2015/4/10(12:11)
「遙拝所」。 「前門」の外で、「玉陵」を正面に見る位置にあり、 「拝みはこちらでお願い致します」とある。
なお、写真左の方向には、復元された「東の御番所 (あがりぬうばんじゅ)」が建つ。
写真をクリックすると横から撮る「遙拝所」が 表示(600x450)されます。
この写真の奥に写る建物が、復元された 「東の御番所」である。 |
2015/4/10(12:11)
「前門」。 「前門」から中に入ると「外庭」である。 |
2015/4/10(12:12)
「外庭」。 「外庭」は、琉球石灰岩の石垣で囲まれ、 「玉陵」との間には、「中門」が設けられている。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2015/4/10(12:13)
「外庭」。 「中門」に向かうと、左方向の隅に石碑が立つ。この石碑が、「玉陵碑」で、「尚真王」他8人の名前と共に、
この書き付けに背くならば、『天に仰ぎ、地に伏して祟るべし』と刻まれ、「玉陵」に葬られるべき人々を 規定しているという。
なお、「玉陵碑」については、本ページ最後にある12時20分撮影の写真でも紹介しています。 |
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2015/4/10(12:14) 「玉陵」の左(東)側。 写真に写る「墓室」の入口は、「東室(左)」と 「中室(右)」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2015/4/10(12:14)
「玉陵」の中央。 写真に写る「墓室」の入口は、「中室(左)」と 「西室(右)」。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2015/4/10(12:14)
「玉陵」の右(西)側。 写真に写る「墓室」の入口は、「西室」。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2015/4/10(12:14)
「玉陵」。 写真に写る「墓室」の入口は、左から、「東室」、「中室」、「西室」。 「玉陵」前の「内庭」には、珊瑚砂利が敷きつめられている。
なお、近い距離でパノラマ撮影しているため、写真中央が手前に飛び出して見えるが、実際の形は、12時4分撮影の
「墓室平面図」を参照願います。 写真をクリックすると「東室、中室、西室」を1枚に収めた写真(600x450)が表示されます。 |
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2015/4/10(12:13)
「中門」。 写真は、「内庭」に入る直前で、「外庭」から「玉陵」の 方向を向いて撮影。 |
2015/4/10(12:15)
「雌獅子」。 写真は、8.5倍ズームにて撮影。 墓頂には、「石獅子」が立ち、この「雌獅子」は、
「玉陵」の左上に立ち、12時14分撮影のパノラマ写真 にも写る。 また、観覧券購入時に配布されるパンフレットでは、
この「雌獅子」が表紙を飾る。
写真をクリックすると「雌獅子」の部分を切り抜いた 画像(450x600)が表示されます。 |
2015/4/10(12:16)
「中央の獅子」。 写真は、10.5倍ズームにて撮影。 この「石獅子」は、「中室」左にある「円塔」の上に立ち、
12時14分撮影のパノラマ写真にも写る。
写真をクリックすると「獅子」の部分を切り抜いた 画像(450x600)が表示されます。 |
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2015/4/10(12:16)
「雄獅子」。 写真は、10.5倍ズームにて撮影。 この「石獅子」は、「玉陵」の右上に立つ。
12時14分撮影のパノラマ写真では、後ろの石垣に 紛れ判別できないが、12時14分撮影の「玉陵」の
右(西)側の写真をクリックして表示される拡大写真と、 上の写真を比較してみると、その位置だけは 確認できるであろう。
写真をクリックすると「雄獅子」の部分を切り抜いた 画像(450x600)が表示されます。 |
2015/4/10(12:18) 「墓室前の高欄」。 「高欄」には、当時の琉球文化を偲ばせる彫刻が 掘られ、「高欄」の上にも獅子が乗る。
写真をクリックすると「高欄」部分を切り抜いた 画像(960x600)が表示されます。 |
2015/4/10(12:20)
「玉陵碑」。 「玉陵碑」には、「玉陵」に葬られるべき人々を 規定した碑文が刻まれる。
写真をクリックすると「玉陵碑」に刻まれる 文字の部分(上の写真裏側)が表示されます。 この画像は、720x960ピクセルあります。
「玉陵碑」に刻まれる文字の詳細を確認するときには、 表示された画像をクリックし、スクロールバーを ご利用下さい。(但し、文字が刻まれているのは
分かるが、文章の解読までは、困難である) |