ひめゆりの塔

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2015/4/9(10:15.10:17)
「ひめゆりの塔」近くの駐車場と駐車場入口の看板。
「ひめゆりの塔」は、「糸満市伊原」にあり、戦争末期の昭和20年(1945)3月末、看護要員として
沖縄陸軍病院に動員された、「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」の生徒222名と
引率の教師18名(通称、ひめゆり学徒隊)は、5月末、米軍の侵攻により沖縄本島の南部に撤退。
そのわずか半月後、敗色濃厚となった6月18日には、突然の解散命令が出され、米軍が包囲する戦場に
放り出され彷徨。数日の間に、100余名が命を落とす。
「ひめゆりの塔」は、亡くなられた生徒と教師達を慰霊するため、終戦翌年の昭和21年(1946)、
付近の収容所にいた「真和志(現在の那覇市)村民」の手により、「ひめゆり学徒」最期の地となった、
この地(井原第三外科壕跡)に建立されたという。
写真の駐車場は、土産物屋に併設の無料駐車場であり、駐車時にカードを渡され、帰りにカードを返却する
システムになっているが、土産品等の購入は任意であり、特に購入を強要されるようなことはなかった。
2015/4/9(10:17)
「ひめゆりの塔」入口前。
「ひめゆりの塔」は、国道331号線沿いにある。
写真左、赤い瓦屋根の建物は、「献花販売所」。
2015/4/9(10:18)
「ひめゆりの塔」入口。
写真をクリックすると「ひめゆりの塔」の周辺施設
案内図が表示されます。
この案内図は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像を
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2015/4/9(10:18)
「儀間真一顕彰碑」。
「儀間真一」は、読谷村出身の日系二世で、
昭和27年(1952)に、「ひめゆりの塔」の敷地(2千坪)を
購入するための資金を寄付したという。
2015/4/9(10:19)
「ひめゆりの塔の記」。
沖縄戦での「ひめゆり学徒隊」の様子が刻まれる。
文字が小さく読みづらいですが興味のある方は
拡大写真をご覧下さい。
写真をクリックすると「碑文」が拡大表示されます。
この「碑文」は、960x720ピクセルあります。
「碑文」の文字を読みたいときには、表示された画像を
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2015/4/9(10:20)
「沖縄戦とひめゆり学徒隊」の案内板。
沖縄戦の経過と共に南に移動する「ひめゆり学徒隊」の
様子などについて書かれている。
写真をクリックすると「沖縄戦とひめゆり学徒隊」の
案内板が拡大表示されます。
この案内板は、1,300x800ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像を
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2015/4/9(10:21)
「陸軍病院第三外科職員之碑(左)」と
「沖縄戦殉職医療人之碑(右)」。
2015/4/9(10:22)
「ひめゆりの塔」に手を合わせる人たち。
手を合わせる人たちの中には、若い人も少なくはない。
写真をクリックすると「ひめゆりの塔」の案内板が
表示されます。
この案内板は、1,200x650ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2015/4/9(10:24)
正面から見る「ひめゆりの塔」。
正面の白壁は、昭和32年(1957)に建立され、
平成21年(2009)に改修された「新ひめゆりの塔」。
この白壁には、学徒戦没者の名前と百合のレリーフが
刻まれ、裏(奥)にある「納骨堂」には、沖縄線最期の地
から収集された遺骨が眠る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/9(10:24)
「陸軍病院第三外科壕」と「新ひめゆりの塔」。
献花台と「新ひめゆりの塔」の間(柵に囲まれた中)に
「陸軍病院第三外科壕」がある。
写真をクリックすると「陸軍病院第三外科壕」の
写真(600x450)が表示されます。
2015/4/9(10:22)
昭和21年(1946)に建立された「ひめゆりの塔」他。
写真左手前に2つ並ぶのが「刻銘碑」。
その右奥に立つのが、昭和21年(1946)に建立された
「ひめゆりの塔」。
右端は、学徒引率教師であった「仲宗根政善氏」が
教え子を悼み霊前に捧げた歌を刻む「いわまくら碑」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/9(10:27)
「ひめゆり平和記念資料館」。
平成元年(1989)に設立され、沖縄線で生き残った
「ひめゆり学徒生」自らが「語りべ」となり、戦争の
悲惨さや平和の大切さを伝えてきたが、「語りべ」の
方たちの高齢化により、平成16年(2004)以降は、
証言映像に変わっている。
しかし、平成27年(2015)現在の館長は、当時の
「ひめゆり学徒生(沖縄師範学校女子部)」であり、
特別企画では「元ひめゆり学徒の戦争体験講話」等も
開催されている。
また、館内には、生き残った学徒が証言した手記等も
展示される他、「陸軍病院壕」や「伊原第三外科壕」の
内部がジオラマにより再現されているが、館内は
写真撮影禁止のため、写真の紹介はできない。
写真をクリックすると「ひめゆり平和記念資料館」の
館内見取図が表示されます。
この見取図は、1,000x1,000ピクセルあります。
見取図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2015/4/9(10:27)
「いはまくら碑」。
平成2年(1990)、新しく建立された「いはまくら碑」で、
「仲宗根政善氏」の歌が刻まれる。
写真をクリックすると「いはまくら碑」の
案内板(600x600)が表示されます。
2015/4/9(11:06)
「赤心之塔」。
「陸軍病院第三外科壕」に入っていた民間人5名の
戦没者を慰霊するため、遺族により建立されたという。

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