辺戸岬

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2015/4/6(11:48,11:49)
「辺戸岬園地」入口の展望台と売店「辺戸岬こうようパーラー」。
「辺戸岬(へどみさき)」は、国頭郡国頭村辺戸にあり、沖縄本島の最北端に位置する岬である。
視界に恵まれれば、22km離れた奄美群島の与論島や沖永良部島を望むことができ、
アメリカの統治下にあった頃には、本土復帰を願って、この地から「狼煙(のろし)」を上げたという。
以前、駐車場の周囲にあったというレストハウス等は、観光客の減少等により取り壊され、
現在では、「辺戸岬こうようパーラー」1店のみであるが、ここでは「沖縄そば」等を食べることができる。
2015/4/6(11:49)
「大田政作先生緑化顕彰碑」。
「大田政作」は、国頭郡国頭村出身の政治家で、
元琉球政府行政主席。
厳しい米軍統制下で、戦後復興に尽力。
緑を失った沖縄で県民の心を豊かにしてくれたという。
2015/4/6(11:50)
「辺戸岬園地」入口の展望台。
2015/4/6(11:50)
「沖縄海岸国定公園」の案内板。
「沖縄海岸国定公園」は、「辺戸岬」から「残波岬」に
至る西海岸や北部山林地域の一部、「慶良間諸島」等
からなる。
その最北端に位置する「辺戸岬」の一帯では、
中・古生代の石灰岩が分布し、「辺戸岳」では、
急な崖を持つ国内唯一の「タワーカルスト」が見られ、
岬の周辺は、高い海食崖が発達するとある。
2015/4/6(11:51)
「辺戸岬園地」の標識。
「沖縄島最北の園地」とある。
2015/4/6(11:51)
展望台から見る「ヤンバルクイナ展望台」。
写真は、5.25倍ズームにて撮影。
「手ぶれ」の写真だが、「ヤンバルクイナ展望台」が、
中央付近に小さく写る。
写真をクリックすると「ヤンバルクイナ展望台」の部分を
切り抜いた画像(600x450)が表示されます。
2015/4/6(11:51)
展望台から見る「辺戸岳(大石林山)」。
「辺戸岳(大石林山)」を南と北から離れてみる姿は、
「ねはん像(観音様の横顔)」に見えることで知られる。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/6(11:53)
展望台から見る北側景色(断崖)。
「かりゆしの像」等、多くの石碑は、この断崖上の
台地に建立されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/6(11:52)
展望台から見る南側の景色。
最高峰は「辺戸岳(大石林山)」。
「辺戸岳(大石林山)」から左に伸びる岬の先端付近は、重なって1つに見えているが、
手前に「世皮崎」。奥は「奥集落」の畜産基地がある辺りであろう。
2015/4/6(11:56)
遊歩道を東の方向に歩き、石碑の並ぶ台地に向かう。
2015/4/6(11:57)
「琉球鐘鬼門」と彫られる石碑。
詳細不明。
2015/4/6(11:58)
「新沖縄観光名所 国頭東海岸線」と彫られる石碑。
昭和39年(1964)に、琉球新報社創立70周年記念事業
として「新沖縄観光名所」の選定が行われたという。
この新名所の一つとして「国頭東海岸線」が選ばれた
ことを記念する碑なのであろう。
2015/4/6(11:58)
石碑の並ぶ台地から見る「ねはん像」。
写真右には、「辺戸岬園地」入口にある展望台の
オレンジ色の屋根が写る。
写真をクリックすると「ねはん像」の説明が
表示(600x450)されます。
なお、この説明は「大石林山」の「精気小屋」で撮影した
ものだが、南側から撮影した「ねはん像」と思われ、
上の写真とは、左右が逆である。
2015/4/6(12:00)
「沢木欽一」句碑。
「沢木欣一」は、富山県出身の俳人で、「風」を主宰。
戦後の社会性俳句を主唱したという。
本土復帰前の昭和43年(1968)、沖縄に約40日間滞在。
昭和49年(1974)に、「沖縄吟遊集」を出している。
2015/4/6(12:01)
「辺戸岬」最東端の海食崖。
石碑の並ぶ台地から撮影。
海食崖の下部は、波で削られ残った岩が、崖を支える
柱のように見える。
写真をクリックすると海食崖の先端部分を切り抜いた
画像(600x450)が表示されます。
2015/4/6(12:02)
「かりゆしの像」。
国頭村と与論町の友好の証しとして、国頭村からは、
平成12年(2000)に「ヤンバルクイナ」の像を贈り、
与論町からは、平成13年(2001)に、頭部が鳥、
下半身が魚の架空の動物で、平和の実現をイメージ
したという「かりゆしの像」が贈られたという。
なお、この台座には、「珊瑚石」が使われている。
写真をクリックすると「台座部分」を撮影する
写真(600x450)が表示されます。
2015/4/6(12:02)
写真奥に「祖国復帰闘争碑」、左に「友情の火」。
2015/4/6(12:03)
「友情の火」。
「昭和62年10月21日採火」とあり、
昭和62年(1987)に沖縄で開催された、
第42回国民体育大会「海邦国体」の炬火が、
この地で採火されたのを記念する石碑であろう。
碑文には「友情の火は、東コース、西コース、
離島コースに分火され、太陽の火(与邦国町)、
海の火(仲里村)、平和の火(糸満市)と集火して
海邦の火となる」と刻まれる。
2015/4/6(12:05)
「祖国復帰闘争碑」。
昭和47年(1972)の沖縄祖国復帰を記念し、
昭和51年(1976)、沖縄県祖国復帰協議会(復帰協)
により建立された。
「全国のそして世界の友人に贈る」と題された碑文の
最初の部分では、「権力に抗し復帰をなしとげた大衆の
乾杯だ」とあるが、最後の部分では、「沖縄の祖国復帰は
実現した しかし県民の平和への願いは叶えられず
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された」
とある。
これは、沖縄に済むほとんどの人が持つ思いであろう。
そして、この状態は、復帰から40年を経過しても、
何も変わっていないのである。
写真をクリックすると近づいて撮る「祖国復帰闘争碑」が
表示(600x450)されます。
2015/4/6(12:06)
「辺戸岬」から見る「伊平屋島」。
「伊平屋島(いへやじま)」は、沖縄県の有人島としては
最北端の北緯27度2分、東経127度58分に位置する。
島内の大半を山地が占め、平成21年(2009)時点では、
570世帯で、人口1,400人程。
基幹産業は、水産業と農業であるが、
最近では、体験型観光振興に力を入れているという。
写真には、左端に「阿波岳(標高:211m)」。
右端に「久葉山(標高:104m)」が写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/6(12:07)
「祖国復帰闘争碑」から駐車場の方向を振り返る。
往路は、写真左の方向から来たのだが、
帰路は、写真奥の方向に直進し、駐車場へと戻る。
これで、「辺戸岬園地」を左回りに一周したことになる。

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