具志川城跡

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2015/4/9(9:26,9:26)
「具志川城跡」入口の石柱と城跡への道。
「具志川(ぐしかわ)城跡」は、沖縄本島の最南端に近い「糸満市喜屋武」にあり、
三方を海に囲まれた「海食崖」の上にある。
12世紀の頃、「久米島」にある同名の「具志川城」の城主であった「真金声(まかねくい)按司」は、
戦に敗れ落城。この地(喜屋武)に逃れ、同じ名前で、立地条件や規模、構造の似た、
この「具志川城」を築いたと伝えられるという。
右の写真、入口を入ると先方には、「城門」の石積みが見えている。
左の写真をクリックすると「具志川城跡」の案内板(600x450)が表示されます。
2015/4/9(9:27)
「城門」。
2015/4/9(9:28)
「城門」とその周辺。
「城門」は、海食崖の付け根に位置し、残る三方を海に囲まれる。
城は、東西に長さが80m強。幅は広いところで30m強という。
「城門」を入ると、一段下がったところに「二の郭」があり、更に一段下がったところに、海に突き出るように「本丸(一の郭)」がある。
つまり、この「城門」が標高の一番高い場所にあり、「本丸(一の郭)」は一番低く、海に近いところに築かれている。
2015/4/9(9:30)
「武者走り」から見る「本丸(一の郭)」東側の海。
写真左の方向に、「喜屋武(きやん)岬」があり、右に写る断崖の上が「本丸(一の郭)」である。
また、この辺りは、年間を通して釣りやサーフィンを楽しむ人が多く、写真の海面上にちいさな黒い点として写るのは、サーファーの頭である。
2015/4/9(9:29)
「階段と武者走り」。
「二の郭」の海側にあり、石垣の上に「崖下」を見張る
ための広場と、石垣に登る階段が築かれている。
2015/4/9(9:30)
「武者走り」から見る「喜屋武岬」。
「喜屋武岬」は、一般に沖縄本島最南端といわれるが、
実際の最南端は、更に東(写真奥)の「荒崎」である。
2015/4/9(9:30)
「武者走り」から見る「本丸(一の郭)」東側の断崖。
2015/4/9(9:31)
「ヒーフチミー(火ふき穴)」。
「二の郭」にあり、内部は石灰岩の空洞になっており、
船で着く荷物の上げ下ろしや、有事の時の避難等に
使われたという。
2015/4/9(9:32)
「U字型の石積み」。
この石積みは、外(海)面の噛み合わせが綺麗なため、
崖に足場を組んで、外側から石を積んだのではないか
とある。
2015/4/9(9:32)
「物見の基壇」。
「二の郭」と「本丸(一の郭)」の間にあり、海側の
見通しが良い。
2015/4/9(9:34)
「二の郭」から「本丸(一の郭)」の方向を見る。
写真左の石垣が、「武者走り」。右の踏跡を奥に進み、一段高くなったところが、「物見の基壇」。
「物見の基壇」を越えると、その先に「本丸(一の郭)」がある。
2015/4/9(9:32)
「拝所」。
「拝所」に刻まれる文字は「久米門 ミチム」と読める。
この「久米門」は、「真金声按司」の故郷「久米島」に
関連すると思われるが、どちらも真偽は確認できない。
写真をクリックすると「拝所」の部分を切り抜いた
画像(600x450)が表示されます。
2015/4/9(9:35)
「古い石段」。
この石段は、「物見の基壇」の中に埋められていた
もので、ある時期、物見の郭を広げるため、古い石段を
埋めて新しい「基壇」を築いたと思われるとある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/9(9:36)
「物見の基壇」から見る「本丸(一の郭)」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/4/9(9:36)
「物見の基壇」から見る海側の景色。
写真ほぼ中央に「本丸(一の郭)」。
「本丸(一の郭)」は、三方を海に囲まれ、「海食崖」が天然の城壁になっている。
2015/4/9(9:36)
「物見の基壇」から見る「二の郭」側の景色。
写真中央右に、「ヒーフチミー(火ふき穴)」と「城門」。右端には、「喜屋武岬」が写る。
2015/4/9(9:36)
「物見の基壇」から見る「二の郭」と「城門」。
2015/4/9(9:37)
「本丸(一の郭)」西側の海。
「本丸(一の郭)」は、写真左の崖の上にある。
2015/4/9(9:37)
「二の丸」から見る「ヒーフチミー(火ふき穴)」と「城門」。

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