大浦天主堂

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2013/10/2(14:02,14:03)
「大浦天主堂」。
「大浦天主堂」は、元治2年(1865)に建立され、現存するキリスト教建築物の中では日本最古である。
正式名は、「日本二十六聖殉教者天主堂」であり、「豊臣秀吉」の禁教令により、磔の刑に処された26人の
カトリック信者(日本二十六聖人)に祈りを捧げるために建てられた。
また、キリシタン禁制下で250年の間、密かに信仰を続けてきた「潜伏キリシタン」が発見された場所である。
左の写真は、拝観券発売所手前で撮影。
右の写真は、拝観料を支払い、石段を少し登ったところで撮影。
右の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。
2013/10/2(14:10)
「日本之聖母像」。
天主堂の入口正面に立ち、日本信徒発見という
世界のキリスト教徒を感動の渦に巻き込んだ
歴史的奇跡を記念して、フランスから贈られたという。
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2013/10/2(14:05)
「キリスト信者発見百周年記念碑」。
「信徒発見」の場面を再現したレリーフで、
昭和40年(1965)年、キリスト信者発見100周年を
記念し建立された。
写真をクリックすると「記念碑文」が
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2013/10/2(14:05)
「プチジャン司教之像」と「教皇ヨハネ・パウロ二世像」。
「プチジャン司教(左)」は、文久3年(1863)、長崎に着任
(当時は神父)。大浦天主堂の建設に尽力した。
「教皇ヨハネ・パウロ二世(右)」は、昭和56年(1981)に
「大浦天主堂」を訪問、「こゝは日本の新しい教会の
信仰と殉教と宣教の原点」との訓話を残している。
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2013/10/2(14:13)
「旧羅典神学校」。
「プチジャン神父」が、明治8年(1875)に日本人司祭の
育成を目的として建設。建物の設計と監督には
「ドロ神父」が当たったという。
現在は、「キリシタン資料室」として、公開されている。
写真をクリックすると「旧羅典神学校」の案内板が
表示(600x450)されます。

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