平戸市街地散策

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2013/10/1(7:42)
「平戸港交流広場」の駐車場。
「平戸市」は、寛永18年(1641)にオランダ商館が長崎の
出島へ移転するまでの間、中国やポルトガル、オランダ
等との貿易港として繁栄を極め、当時をしのぶ史跡が、
今も市内に残る。
なお、名所の「寺院と教会の見える風景」には、車が入れ
ない。また、市街地に点在する観光名所の中には、
駐車場がない所もある。
ここ「平戸港交流広場」には、観光客用の駐車場と
観光案内所があるので、案内所で観光地図をもらい、
ぶらぶらと歩くことをお勧めする。
2013/10/1(7:48)
「大蘇鉄」。
樹齢400年というこの「大蘇鉄」は、江戸時代に
当時の貿易商「川崎屋」の庭に植えられていたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/1(7:56)
「大蘇鉄」の幹。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2013/10/1(7:56)
下から見上げる「大蘇鉄」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2013/10/1(7:49)
「大蘇鉄」の裏にある古井戸。
2013/10/1(7:50)
「大蘇鉄」横の石段を「天満宮神社」に向かう。
2013/10/1(7:51,7:51)
「天満宮神社」。
石の鳥居には「天満神社」とある。
2013/10/1(7:54)
「六角井戸」。
明(中国)の商人が平戸に定住した当時、明の様式で
作られたとある。
写真をクリックすると「六角井戸」の案内板が
表示(600x600)されます。
2013/10/1(7:59)
「教会坂」。
標識には「ザビエル記念聖堂」まで200m、
「寺院と教会の見える風景」まで、450mとある。
2013/10/1(8:03)
「平戸ザビエル記念教会」前。
聖堂は、昭和6年(1931)完成の鉄筋コンクリート造で、
壁や柱のマーブル模様には、伝統的な漆喰塗りの
技法が使われているとある。
写真をクリックすると「平戸ザビエル記念教会」の
案内板が表示(800x600)されます。
2013/10/1(8:04)
「平戸ザビエル記念聖堂」前にある「ルルド」。
献堂75周年とザビエル生誕500周年を記念して、
この「ルルド」を建設したとある。
写真をクリックすると「ルルド」の案内板が
表示(600x600)されます。
2013/10/1(8:04)
「平戸ザビエル記念聖堂」。
周囲を寺院に囲まれ、東洋と西洋文化が混在して
調和する、「平戸」のシンボル的聖堂である。
写真をクリックすると石段の上から撮る
「平戸ザビエル記念聖堂」が表示(450x600)されます。
2013/10/1(8:07)
「平戸殉教者顕彰慰霊の碑」。
天正15年(1587)、豊臣秀吉の禁教令初布により、
平戸の殉教者は激増。その数は400名を越えると
伝えられる。この碑は、教会献堂50周年に当たり
建てたとある。
写真をクリックすると「顕彰慰霊碑」の案内板が
表示(800x500)されます。
2013/10/1(8:08)
「聖フランシスコ・ザビエル記念像」。
「聖フランシスコ・ザビエル」は、天文18年(1549)日本
(鹿児島)に上陸、翌年には平戸に来島。
藩主松浦隆信の歓迎を受けると共に多くの信徒を得た
とある。
写真をクリックすると「聖フランシスコ・ザビエル記念像」
の案内板が表示(800x600)されます。
2013/10/1(8:11)
裏から見る「平戸ザビエル記念教会」。
2013/10/1(8:12)
「正宗寺」。
「正宗寺」には、南蛮貿易に力を注いだ、松浦家28代
当主で、平戸藩3代藩主の「松浦隆信(宗陽)」が眠る。
なお、戦国大名の「松浦隆信(道可)」は、「宗陽」の
曽祖父である。
2013/10/1(8:14)
「松浦隆信(宗陽)の墓」。
左右には、その家臣が眠るという。
写真をクリックすると「松浦隆信(宗陽)の墓」の
案内板が表示(600x600)されます。
2013/10/1(8:16)
「寺院と教会の見える風景」は、写真の石段を降りる
途中にある。
写真をクリックすると「寺院と教会の見える風景」の
案内板が表示(600x600)されます。
2013/10/1(8:20)
「寺院と教会の見える風景」。
坂の途中で振り返り撮影。
写真中央付近に「平戸ザビエル記念教会」の大塔が
写る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/1(8:21)
「寺院と教会の見える風景」。
3.75倍ズームにて撮影。
手前の建物は、「光明寺」の山門と、経堂、鐘堂。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/1(8:22)
墓地越しに見る「平戸ザビエル記念教会」の大塔。
1.75倍ズームにて撮影。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/1(8:18)
「光明寺」の山門前。
写真をクリックすると「光明寺の経堂・鐘堂・山門」の
案内板が表示(800x600)されます。
2013/10/1(8:24)
「光明寺」の山門を抜けたところ。
石段の左に「経堂」、右に「鐘堂」。
2013/10/1(8:24)
「光明寺」の本堂。
2013/10/1(8:24)
「光明寺」の境内から見る「平戸ザビエル記念教会」の
大塔。
2013/10/1(8:34)
「光明寺」から、「寺院と教会の見える風景」の坂を下り
平戸の商店街に出る。
2013/10/1(8:37)
「ポルトガル船入港」の碑。
ポルトガル船は、永禄7年(1564)に長崎を寄港地と
するまでの間は、ほぼ毎年「平戸」に入港していた
とある。
写真をクリックすると「ポルトガル船入港」の
案内板が表示(600x600)されます。
2013/10/1(8:38)
「じゃがたら娘像」。
寛永16年(1639)、幕府は平戸、長崎の外国人に
関係する婦女子32名を「ジャガタラ(今のジャカルタ)」に
追放。この像は、追放先の「ジャガタラ」より望郷の念を
手紙に託す娘の姿をしのび建立されたとある。
写真をクリックすると「じゃがたら娘像」の案内板が
表示(600x600)されます。
2013/10/1(8:38)
「平戸港交流広場」。
8時半を過ぎたばかりだが、駐車場には大型観光バス
2台とマイクロバス等が止まり、早くも多くの観光客が
訪れていた。
平戸には、本ページで紹介する他にも「オランダ商館」、
「平戸城」等があり、見処の多い街である。

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