鵜戸神宮

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2011/6/3(10:36)
駐車場に隣接する鳥居を潜り「鵜戸神宮」の
境内に入る。

2011/6/3(10:39)
「鵜戸神宮境内図」。
写真をクリックすると、境内の拡大地図(800x600)
が表示されます。

2011/6/3(10:39)
「神門」。
「神門」の手前には「茅の輪(大祓)」があり、
説明版には、「知らず知らずのうちに犯した罪や
けがれを、大祓によって拭い去る」という大祓の
意義や、「茅の輪」のくぐり方が書かれている。

2011/6/3(10:41)
「楼門」。
「神門」を潜り、左に「社務所」「儀式殿」を
過ぎると「楼門」である。
2011/6/3(10:44)
「鵜戸稲荷神社」と「吾平山上陵」への入口。
「楼門」を潜ると、すぐ左側にある。
2011/6/3(10:45)
赤い鳥居の階段を上ると「鵜戸稲荷神社」で
ある。
2011/6/3(10:46)
「鵜戸稲荷神社」。
2011/6/3(10:47)
「鵜戸稲荷神社」の右には「吾平山御陵」と
「波切神社」への案内図がある。
「吾平山御陵」までの距離は、375m。
主祭神の陵墓と伝えられ、宮内庁が所管する
「陵墓参考地」で、周りは柵で覆われていると
いう。
「波切神社」は、ここから405m。
鵜戸神宮御本殿同様、波の浸食によってできた
洞窟の中にあり、時間が許せば行ってみる価値は
ありそうである。
2011/6/3(10:50)
「鵜戸稲荷神社」と「吾平山上陵」への入口
付近で見る「扇岩(左)」「雀岩(中央)」と
「夫婦岩(右)」。
2011/6/3(10:53)
「本殿」に向かう。
2011/6/3(10:55)
「神橋(玉橋)」。
釘を一切用いない橋板36枚からなる反橋で、
往古よりこの橋を境に不浄の履き物を禁じると
いわれ、戦前までは、ここから先は裸足で
参詣していたという。
2011/6/3(10:57)
「本殿」は、階段の奥に見える洞窟の中にある。
2011/6/3(10:58)
「本殿」前の階段上から見る景色。
2011/6/3(11:00)
「本殿」入口。
2011/6/3(11:01)
「鵜戸神宮 本殿」。
「鵜戸神宮」の本殿は、幣殿/拝殿と一体に
なっている。
2011/6/3(11:02)
「本殿」の左側には、「九柱神社(左)」と
「皇子神社(右)」が鎮座する。
2011/6/3(11:04)
「九柱神社」。
2011/6/3(11:04)
「撫でうさぎ」。
2011/6/3(11:05)
「御霊石」。
2011/6/3(11:07)
「お乳岩」。
「豊玉姫(鵜戸神宮主祭神の母君)」が綿津見国へ
去る時、御子の育児のために乳房を洞窟内に
くっつけていかれ、主祭神はそこから滴り落ちる
「お乳水」で作った飴を母乳代わりにしたと
伝えられる。
この岩からは、現在も絶えず石清水がしたたり
落ち、安産や育児を願う人々から信仰されている。
2011/6/3(11:07)
「産湯の跡」。
2011/6/3(11:11)
「亀岩(左下の注連縄が乗る岩)」。
「豊玉姫」が海神宮から来訪する際に乗った亀が
石と化したものと伝えられる。
願いを込めた「運玉」を男性は左手、女性は
右手で石頂(注連縄の中)の穴に投げ入れる
ことで願いがかなうといわれる。
2011/6/3(11:15)
「鵜戸神宮 本殿」前の広場。
「本殿」は、階段奥の洞窟内にある。
2011/6/3(11:19)
「本殿」前の広場から見る「神橋(玉橋)」。
2011/6/3(11:27)
「神門」近くで見る「神犬石(いぬいし)」。
本殿を御守護するように見えることから
「神犬石」と呼ばれるとある。
2011/6/3(12:37)
「鵜戸千畳敷奇岩」の案内板。
「鵜戸千畳敷奇岩」は、「鵜戸神宮」から車で、
700m程南に走った「瀬戸崎」の南面にある。
2011/6/3(12:35)
「鵜戸千畳敷奇岩」。
「鵜戸千畳敷奇岩」は、約1200万年前から600万年前にかけて砂岩と泥岩が交互に堆積してできた地層が、
日向灘の激しい波浪や風雨に浸食された波状岩(正式名:隆起海床と奇形波蝕痕)で、通称「鬼の洗濯岩」ともいわれる。
この「鵜戸千畳敷奇岩」は、その広さから県指定の文化財となっている。

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