国見ヶ丘

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2012/11/25(14:20)
「雲海茶屋」。
「国見ヶ丘」は、「高千穂峡」から北西の方向に
車で約4km走ったところにあり、雲海の名所と
して知られる。また、「阿蘇山」や「祖母山」等
の山々を一望する絶景スポットでもある。
なお、「国見ヶ丘」の名前は、神武天皇の孫
「建磐竜命(タテイワタツノミコト)」が、
九州統治の際に、ここで「国見」をされたという
伝説が、その由来だという。

2012/11/25(14:21)
「雲海茶屋」の先で、道は二手に分かれるが、
どちらの道を進んでも、展望広場に出る。
また、中央の小高い丘の上には、展望台や
「瓊々杵尊の石像」等がある。

2012/11/25(14:24)
「展望広場」から見る北西方向の景色。
展望に恵まれれば、写真中央に「阿蘇の涅槃像」
が見える。
「涅槃像」は、本HP熊本県のページでも
紹介する「大観峰」からの景色で有名であるが、
「国見ヶ丘」から見る「涅槃像」は、顔(根子岳)
を右にした「大観峰」とは逆向きに寝るお釈迦様
の姿を見ることができる。
写真をクリックすると「阿蘇涅槃像」の説明版が
表示(800x600)されます。

2012/11/25(14:26)
「展望広場」から見る北西方向の景色。
2012/11/25(14:25)
「展望広場」にある「国見ヶ丘」の標石。
2012/11/25(14:27)
「展望広場」にある「国見ヶ丘」の案内板。
案内板には「雲海」が発生した時の写真が
使われている。
写真をクリックすると、案内板の左側に書かれて
いる「雲海」の説明(600x600)が表示されます。
2012/11/25(14:27)
「展望広場」から見る南東方向の景色。
下には、「高千穂盆地」が広がる。
ポスター等でよく見る「雲海」の写真は、
この方向を撮影したものである。
2012/11/25(14:28)
「展望広場」から見る南東方向の景色。
この日の朝は、「阿蘇谷」が霧に覆われており、もしかして「国見ヶ丘」でも、と思うと残念ではあるが、
本格的な「雲海」を見ることができるのは、年に数回というから、よほど運でもないと見ることは難しそうである。
2012/11/25(14:30)
「天孫降臨と高千穂」の説明版。
説明版には、「日向風土記」に書かれていたと
いう神話が紹介されている。
写真をクリックすると「天孫降臨と高千穂」の
説明が拡大表示されます。
この説明板は、1200x900ピクセルあります。
説明板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。
2012/11/25(14:31)
「展望台」。
この「展望台」は、「展望広場」から階段を
登った丘の上にあり、「雲海」を望む「高千穂
盆地」の方向(南東)を向いている。
2012/11/25(14:32)
「瓊々杵尊(ニニギノミコト)の石像」。
「瓊々杵尊」は、「天照大神」の孫であり、
その左右に跪くのは、霧が深く困っていた
「瓊々杵尊」に「手に持つ稲千穂を籾にして、
あたり一面にまいたら...」と進言した、土蜘蛛
(土地の豪族)の「大鉏(オオクワ)」と
「小鉏(オクワ)」である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/11/25(14:32)
民謡「刈千切唄」の歌詞とその説明。
民謡「刈千切唄」は、冬期の牛馬の餌にする
草を刈り保存する際の労働歌であったという。
隣り(左)には「高千穂刈千切唄発祥の地」と
書かれた標識も立つ。
写真をクリックすると、民謡「刈千切唄」の
歌詞とその説明が拡大表示(600x450)されます。
2012/11/25(14:33)
「金毘羅大権現」の鳥居と小詞。
鳥居の中央付近に、小さく祠が写る。
「展望広場」から階段を登った丘の上にある。
2012/11/25(14:34)
展望台から見る「高千穂盆地」。
2012/11/25(14:34)
展望台から見る「高千穂盆地」。

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