雲巌禅寺
(霊巌洞)

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2012/11/24(15:53)
「岩戸の里公園」駐車場にある案内板。
「雲巌禅寺」は、「金峰山」から西北西に
約1.7km離れた「岩戸の里公園」にあり、
「雲巌禅寺」の奥の院「霊巌洞」は、
「宮本武蔵」が兵法の極意書「五輪書」を
執筆した場所として知られる。

2012/11/24(15:54)
「宮本武蔵」と「霊巌洞」の案内柱。
「霊巌洞」は、古くからの修験の道場であり、
肥後に客分として招かれた「宮本武蔵」は、
寛永20年(1643)、発願して「霊巌洞」に
籠ったとある。
写真をクリックすると「霊巌洞」の説明が
表示(450x600)されます。

2012/11/24(15:55)
「勝ち運を呼ぶ武蔵像」。
「岩戸の里公園」駐車場脇にある。
「宮本武蔵」は、60余度の勝負において、
一度も負けることが無かったという。
この「武蔵像」が、人々に勝ち運を与えることを
願って、「座禅像」を建立したとある。

2012/11/24(15:57)
岩戸の里公園駐車場から「雲巌禅寺」へと歩く。
案内板には、距離200mとある。
2012/11/24(16:01)
「雲巌禅寺」の石標。
「九州西国第十四番札所 曹洞宗 雲巌禅寺
 岩戸観音 五百羅漢」とある。
「雲巌禅寺」は、南北朝時代(1321~1392)に
中国の僧「東陵永與」が開基したといわれる。
2012/11/24(16:02)
「雲巌禅寺 本堂」。
境内は有料だが、入場口手前にある「本堂」は、
無料で参拝できる。
本堂前の石灯籠から流れ落ちる水は、
金峰山からの湧水で、「武蔵」もこの水で、
精気を漲らせたという。
2012/11/24(16:03)
「境内入場口」。
ここから先は、有料である。
2012/11/24(16:05)
眼病平癒に効くとされる「観音様」。
「入場口」を入ると、すぐ右側にある。
2012/11/24(16:06)
境内に入ったところで、後ろを振り返る。
写真左の建物が「本堂」。右が「入場口」。
2012/11/24(16:06)
境内を奥へと進む。
2012/11/24(16:07,16:08)
「五百羅漢」。
「入場口」と「霊巌洞」の間にある。
熊本の商人「渕田屋儀平」の願により、安永8年(1779)から享和2年(1802)の
24年間をかけて奉納されたとある。
左の写真をクリックすると「五百羅漢」の説明が表示(600x450)されます。
2012/11/24(16:22)
「五百羅漢像」。
「五百羅漢像」は、一つ一つ表情が異なる。
この写真は、帰りに撮影したため、撮影時刻が
前後しています。
2012/11/24(16:10)
石段の先が「霊巌洞」である。
「霊巌洞」までの距離は、50mとある。
2012/11/24(16:12)
写真奥右に「霊巌洞」がある。
2012/11/24(16:12)
「霊巌洞」前に並ぶ石塔等。
右の石碑には「二天一流は世に言われている
二刀流ではありません」とある。
写真をクリックすると石碑に刻まれる「二天一流
の由来」が表示(400x800)されます。
2012/11/24(16:13)
「霊巌洞」。
「宮本武蔵」は、この洞に籠もり「五輪書
(地・水・火・風・空の五巻から成る兵法の
奥義を述べた書)」を執筆したという。
写真をクリックすると正面から撮る「霊巌洞」の
写真(600x450)が表示されます
2012/11/24(16:15)
「霊巌洞」の中。
奥の格子戸の中に、「宮本武蔵」が拝したという
石体四面の「馬頭観世音菩薩」が祀られ、この
観音様は、別名「岩戸観音」とも呼ばれる。
手前の大石は、「楫を過った船頭が、観音菩薩の
前でその過ちを悔い、遂に石になった」という
「船頭石」である。
2012/11/24(16:16)
「霊巌洞」の中。
写真を撮る左肩の方向に「馬頭観世音菩薩」を
祀る格子戸がある。
2012/11/24(16:21,16:21)
「閻魔洞(左)」と「延命地蔵尊(右)」。
室町時代の能役者・能作者で、能を大成したといわれる「世阿弥(ぜあみ)」の代表作「桧垣」は、
「霊巌洞」を舞台に「馬頭観世音菩薩(岩戸観音)」に日々水を供える「桧垣」と呼ばれる老女の
物語であり、「霊巌洞」は、平安の当時から全国的に知られていたという。

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