通潤橋

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2012/11/26(12:13)
道の駅「通潤橋」。
「通潤橋」は、熊本県上益城郡山都町にあり、
「通潤橋」を正面に見る位置に、道の駅「通潤橋」がある。
2012/11/26(12:31)
「通潤橋概要」。
「通潤橋」は、6km程離れた「笹原川」の水を、水不足に
苦しむ「白糸台地」に送るために造られ、現在でも
使用されている灌漑用の石造りアーチ水路橋である。
写真をクリックすると日本語の説明部分が
拡大表示(600x600)されます。
なお、この案内板から3枚の写真は、「通潤橋」を渡った
「白糸台地」側で撮影しているため、撮影時刻が前後して
います。
2012/11/26(12:33)
「通潤用水路鳥瞰図」。
「笹原川」の水は、鳥瞰図の右上にある「円形分水」に
より分けられ、その7割が導水路を通り、広い「白糸台地
(鳥瞰図の中央部分)」の全体に届けられる。
その途中にある「五老ヶ滝川」の谷を越えるために
造られたのが「通潤橋」である。
なお、道の駅「通潤橋」は、この鳥瞰図の中で「浜町」と
書かれた場所にある。
写真をクリックすると「通潤用水路鳥瞰図」が
拡大表示(800x600)されます。
2012/11/26(12:34)
「通潤橋図解案内」。
「図解案内」には、「サイフォン式」と書かれているが、
「白糸台地」は、「通潤橋」よりも標高の高い場所に
あるのだが、「通潤橋」から「白糸台地」までの高さ5.8m
に対し、「通潤橋」へ水を落す取入口の高さが7.5m
あるため、この1.7mの差を利用して水を押し上げている
という。
写真をクリックすると「通潤橋図解案内」が
拡大表示(800x600)されます。
2012/11/26(12:13,12:13)
「八朔祭の大造り物」。
道の駅「通潤橋」にて撮影。
「八朔祭(はっさくまつり)」は、250年以上の歴史をもつ伝統的な祭りで、毎年9月に行われる。
この祭りでは、山野に自生する松笠などの自然素材を材料にして、大きななものは高さ4m、長さ7mになる
大造り物を造り、「山車」や「お囃子」と共に町内を練り歩くという。
また、期間中は「通潤橋」の放水やライトアップ、花火大会なども行われる。
左の写真は、熊本県のマスコットキャラクター「くまモン」であろう。
右の写真は、山都町役場:作品「がんばれ ロアッソ(阿蘇)!! ~熊本の元気のために~」とある。
2012/11/26(12:15)
「八朔祭の大造り物」。
道の駅「通潤橋」にて撮影。
矢部小学校:作品「未来へつなごう! 山都のめぐみ」と
ある。
2012/11/26(12:16)
「二の丸橋(五老ヶ滝川)」を渡る。
奥には「通潤橋」が見えている。
2012/11/26(12:18)
「五老ヶ滝川」左岸から見る「通潤橋」。
写真右の方向が「白糸台地」であり、「通潤橋」の水は、
写真左から右の方向に流れる。
写真をクリックすると同じ場所から1.75倍ズームで
撮影した「通潤橋」が表示されます。
2012/11/26(12:18)
「布田保之助爺(通潤橋建設者)」の銅像。
代々惣庄屋として矢部を治めてきた布田家に生まれた
「布田保之助」は、32歳で「矢部惣庄屋」となり、61歳で
引退するまでの間、道路や橋の新設、用水路の延長、
産業振興に至るまで、「矢部郷」の開発に心血を注いだと
いう。そして、この中でも特に「布田保之助」の名を、永世
不滅のものとしたのが、この「通潤橋」である。
写真をクリックすると異なった角度から撮る
「布田保之助爺銅像」が表示(600x450)されます。
2012/11/26(12:20)
「五老ヶ滝川」と「通潤橋」。
この日は、小雨が降ったり止んだりで、写真に写る白い
斑点は、レンズに付いた雨粒である。
(この後の写真でも、何枚か雨粒が写っています)
2012/11/26(12:22)
「通潤橋」の放水口。
5.75倍ズームにて撮影。
この「放水」見たさに訪れる人は多いが、放水の目的は
「通水管に詰まった堆積物を取り除くため」であり、
通常は放水していない。しかし、「観光放水」や事前に
申し込めば「有料放水」というのもあるので、興味のある
方は、是非調べてみて下さい。
なお、本ページの最後に、昭和53年(1978)撮影の
放水写真を紹介していますので、ご覧ください。
写真をクリックすると「放水口」が拡大表示(600x450)
されます。
2012/11/26(12:24)
橋の上に登る坂の途中で見る「通潤橋」。
2012/11/26(12:25)
橋の上に出る直前で見る「通潤橋」。
「通潤橋」は、誰でも自分の脚で歩いて渡ることが
できるのだが、そこには、転落を防止するための
欄干(手摺)などは何もない。
しかし、橋の幅は思ったよりも広く(幅6.3m)恐怖感は、
それ程感じない。
写真をクリックすると近くに立つ警告板が
拡大表示(600x450)されます。
2012/11/26(12:26)
「水の取入口」。
橋の上から、更に坂を少し登ったところにあり、ここから
取り込む水が一気に「通潤橋」の通水管へと流れ込む。
2012/11/26(12:27)
「水の取入口」付近から見る「通潤橋」。
「水の取入口」は橋より、7.5m高い位置にある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/11/26(12:28)
「通潤橋」の上から見る「五老ヶ滝川」の上流方向。
「五老ヶ滝川」が、右にほぼ直角に曲がったところに
建つのが、道の駅「通潤橋」。
2012/11/26(12:28)
「通潤橋」の上から見る「五老ヶ滝川」の下流方向。
このすぐ下には、落差50mの「五老ヶ滝」があるのだが、
この位置からは見えないようである。
2012/11/26(12:29)
「通潤橋」の放水口。
12時22分撮影の写真は、この放水口を下から撮影した
ものである。
写真をクリックすると「放水口」が拡大表示(600x450)
されます。
2012/11/26(12:29)
「通潤橋」の中央部。
「通潤橋」には、3本の通水管(石桶)が通る。
2012/11/26(12:30)
「通潤橋」の「白糸台地」側にある石碑等。
左から2つ目に写るのは、「通潤橋」に使われている
通水管(石樋)。
2012/11/26(12:31)
「白糸台地」側から見る「通潤橋」。
2012/11/26(12:32)
「白糸台地」側の流出口にある水槽。
水槽の奥に「通潤橋」の上部が写るが、橋よりも5.8m
高い所にあるこの水槽まで、ポンプ等の動力を一切使用
せずに、水を押し上げている。
2012/11/26(12:33)
「御小屋(オコヤ)」。
「通潤橋」を造ったときの作業小屋であり、現在は休憩所
として利用され、内部には貴重な資料等も展示されると
いうが、この日は工事中で、中に入ることはできなかった。
2012/11/26(13:03)
「通潤橋」の上を歩く小学生達。
写真をクリックすると橋の上を歩く小学生達の様子が
拡大表示(600x450)されます。
おまけ。
昭和53年(1978)撮影の「通潤橋」。
やはり、「通潤橋」は放水しているところを見たいものです。
2枚共古い写真で、ピンボケですが、写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。

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