大江天主堂

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2013/10/5(9:03,8:50)
「大江天主堂」。
「大江天主堂」は、「天草市天草町大江」にあり、昭和8年(1933)、フランス人宣教師ガルニエ神父が
私財を投げ出し、当時、教会建築の第一人者であった、長崎の「鉄川与助」により建てられた教会である。
明治40年(1907)、「与謝野寛(鉄幹)」が、まだ学生であった「太田正雄(木下杢太郎)」「北原白秋」
「平野万里」「吉井勇」の4人の若き詩人達を連れ、ガルニエ神父を訪ねた教会としても知られ、
これは、旅から戻り「五足の靴」という紀行文にまとめ「東京二六新聞」紙上に連載されている。
左の写真をクリックすると「案内板」が拡大表示(800x600)されます。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2013/10/5(8:51)
下から1.5倍ズームで撮る「大江天主堂」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/5(8:52)
岩には「大江カトリック教会」と彫られている。
後ろには、住民信者の墓なのであろう。日本式墓石の
上に十字架が乗っている。
2013/10/5(8:52)
「聖母の像」。
沢山の子供たちに囲まれる「聖母」の像である。
案内板などがなく、確かではないが、像は木に
彫られているようである。
写真をクリックすると彫刻部分を切り抜いた
画像(450x600)が表示されます。
2013/10/5(8:53)
「ルドビコFガルニエ神父像」。
「ガルニエ神父」は、万延元年(1860)、フランスに
生まれ、明治18年(1885)に来日。京都で日本語を
習得後、長崎県伊王島、上五島の教会を経て、
明治25年(1892)、「大江教会」に司祭として赴任。
以来、昭和16年(1941)、82歳で亡くなるまでの
49年間、ここ「大江」の地で質素な生活を送りながら
天草島民への布教に従事したという。
2013/10/5(8:54)
「ルドヴィコガルニヱ塔」。
十字架には「汝ら往きて萬民に教へよ」と刻まれる。
「ガルニエ神父」は、来日後は、一度も故国フランスに
戻ることはなく、今でも、ここ「大江」の地に眠る。
これが、その「ガルニエ神父」の墓と思われるのだが、
確認できず。
また、「ガルニエ神父」の名前の表記が、本ページ内で
異なるが、本ページでは、各々の碑に掘られた表記を、
そのまま引用しています。
2013/10/5(8:55)
「ルルドの聖母」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/10/5(8:56)
「信者の墓?」。
手前の石には、日本人の名前が刻まれていること
から、住民信者の墓と推測する。

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