清水磨崖仏&宝光院跡

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2011/6/1(7:00)
「岩屋公園」の案内図。
「清水磨崖仏」は、この案内図の一番上の部分に
ある。
写真をクリックすると、案内図の拡大写真が
表示されます。
この案内図は、1300x1000ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、ウインドの
サイズを大きくし、スクロールバーをご利用
下さい。

2011/6/1(7:05)
「偲ぶ橋」。
「岩屋公園」の第一駐車場から西の方向に歩き、
「清水川(万之瀬川)」に架かる「偲ぶ橋」を
渡れば「清水磨崖仏」である。
注:流れる川は、地図でみると「万之瀬川」と
なっているが、現地の説明板では「清水川」と
書かれている。

2011/6/1(7:06)
「偲ぶ橋」の上から見る「清水川」。
「磨崖仏」は、川の左側に見える崖に彫られて
いる。

2011/6/1(7:07)
「清水磨崖仏群」の説明板。
「清水磨崖仏群」は、「清水側」ほとりの高さ
約20mの崖に、現在200基が確認されており、
線で彫った「線刻」が多い。
最初に彫られたのは平安時代の終わり頃で、
その後鎌倉、室町、明治の時代にも彫られている。
昭和34年に鹿児島県の指定文化財に指定された
とある。
2011/6/1(7:14)
「永仁4年の宝篋印塔」。
「宝篋印塔」は、亡くなった人を供養するための
もの。この塔の左側には、彫った理由などが
記されており、「清浄」という女性の死後35日
目の供養のために「平家幸」により彫られたと
ある。
2011/6/1(7:16)
「鎌倉時代の磨崖仏」の説明版。
特に、鎌倉時代は多くの「供養塔」や「梵字」が
彫られ、線で彫った「線刻」が多いのが特徴と
ある。
2011/6/1(7:16,7:18)
「鎌倉時代の磨崖仏」。
2011/6/1(7:21)
「室町時代の磨崖仏」の説明版。
室町時代に彫られたものは、ほとんどが
「五輪塔」だが、「板碑」や「仏像」等もある。
小型で立体的な「浮き彫り(陽刻)」で彫られて
いるのが特徴とある。
2011/6/1(7:22,7:22,7:23)
「室町時代の磨崖仏」。
2011/6/1(7:26)
「大五輪塔」。
「五輪塔」も亡くなった人の供養のために
作られたもの。この「大五輪塔」は、約200基
ある「清水磨崖仏群」の中でも、最も古く、
大きいもので、日本一の大きさとある。
(高さ:約11m、幅:約5m)
また、下から「地輪」「水輪」「火輪」「風輪」
「空輪」という5つの形でできていて、仏教では、
世界をつくる五つの要素と考えられていたものと
ある。
2011/6/1(7:27)
「清水磨崖仏群保存記念碑」。
年代を感じさせる石碑であるが、詳細は不明。
2011/6/1(7:28)
崖には所狭しと、磨崖仏が彫られている。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/6/1(7:30)
「戒名入り五輪塔」。
「五輪塔」の一つ一つに「戒名」が彫られている。
2011/6/1(7:31)
「三大宝篋印塔」。
「宝篋印塔」とは、「宝篋印」というお経を
収めていたものだが、鎌倉時代から亡くなった
人の供養のために建てられるようになった。
この3つの「宝篋印塔」は、7時14分に
撮影したものと同じ、「清浄」という女性の
ために彫られたもので、こちらは亡くなってから
49日目の供養のために「平重景」により
彫られたとある。
2011/6/1(7:32)
「月輪大梵字」。
元は5つあったものが、2つは崩れ落ち、
現在は3つが残る。左から、「カーン」「ケー」
「バイ」と読み、それぞれ「不動明王」
「計都星(彗星)」「薬師如来」を表すとある。
2011/6/1(7:33)
「連刻板碑」。
「板碑」は、「五輪塔」や「宝篋印塔」と
同じく、亡くなった人の供養のために
建てられる。
この「連刻板碑」は、16基の板碑が連続して
彫られ、現在は、風化のため見えないが、元は、
1基づつに梵字が彫られていたようだとある。
2011/6/1(7:36)
「吉田知山」の彫った「十一面観音像」。
「吉田知山」は、明治28年(1895)「清水磨崖仏
群」に最後の磨崖仏を彫刻した旅のお坊さんと
ある。
この「十一面観音像」は、奈良県長谷寺の本尊と
同じ姿をしており、「知山」が長谷寺と関係が
あったことがわかるとある。
2011/6/1(7:38)
「清水磨崖仏群」の北端にある磨崖仏。
2011/6/1(7:39)
「五輪塔」が彫られたのが先で、
後年「おさい銭箱」を置いたのであろう。
2011/6/1(7:47)
「吉田知山」の彫った「阿弥陀如来像」。
2011/6/1(7:50)
「桜の屋形」。
この建物は、金閣寺を模して作られたという。
「休憩室」や「展望室」として利用できる。
2011/6/1(7:53)
「桜の屋形」から見る「明水園」。
公園内の水は、「清水篠井手用水」の水源として「疎水百選」に選定されてる。
2011/6/1(7:57)
「光の広場」から見る「清水磨崖仏群」の崖。
2011/6/1(8:01)
「花園橋」。
この橋を渡り、スタート地点の駐車場に戻るが、
案内板で、「しょうぶ園」の場所を確認。
再び、この橋を渡り戻ってくる。
2011/6/1(8:10)
「やすらぎ観音」。
「光の広場」にあったと記憶するが、
記憶は曖昧である。
2011/6/1(8:13)
「平安橋」。
橋の上流には「プール」等があり、
夏は、水遊びの場所となる。
また、この橋を渡ると「キャンプ場」があり、
その先には、「第二駐車場」もある。
2011/6/1(8:17)
「しょうぶ園」。
面積は、それ程広くないのだが、満開に咲く
花は見事であった。
2011/6/1(8:18~8:21)
「しょうぶ園」に咲く花。
「各色取り揃えてあります」という感じである。
2011/6/1(8:20,8:22)
「しょうぶ園」に咲く花。
2011/6/1(8:35)
帰りに見る「岩屋公園」の入口。
左の門柱には「清水磨崖仏」。
右の門柱には「岩屋公園」と書かれている。
2011/6/1(8:41)
「宝光院跡」。
「岩屋公園」を出て、南に800m程車を
走らせると、なにやら由緒ありそうな「仁王像」
を見かけ、あわてて車を止めると、この案内板が
あった。
写真をクリックすると、案内板が拡大表示され
ます。
2011/6/1(8:41)
「宝光院跡」入口の「仁王像」。
道の両側に「仁王像」が立つ。
2011/6/1(8:42,8:42)
「仁王像」の拡大画像。
写真をクリックすると拡大画像が表示されます。
2011/6/1(8:48)
「案内板」にあった「宝篋印塔」と「不動堂」を
見ようと、車で入ってみたのだが道は狭く、
歩いて探そうにも駐車できる場所がない。
結局、車では見つけることはできず。
見かけたのは、この写真の「鳥居」と「石像」で
あった。
行ってみたいと思われる方は、事前に詳細な
場所を調べるか、車を駐車できる広い場所に
止め、歩いて探す覚悟でお願いしたい。

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