吾平山上陵

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2011/6/2(8:35)
「吾平山上陵」参道入口。
読み方は、「アイラノヤマノウエノミササギ」。
一般には「アイラサンリョウ」と呼ばれる。
大隅半島のほぼ中央にあり、近くには「県立大隅
広域公園」がある。
「御陵」は、ここから玉砂利の道を約500m程
歩いた先にある。

2011/6/2(8:38)
「昭和天皇行幸記念碑」。
入口から少し歩くと左側にある。
昭和10年、昭和天皇が御親排されたのを記念
して建立されたが、昭和13年の大風水害により
埋没。行方が分からなくなっていたが、
平成2年、河川整備事業において発見され、
この場所に再度建立された。

2011/6/2(8:38)
「昭和天皇行幸記念碑」の近くにある橋。

2011/6/2(8:39)
「昭和天皇行幸記念碑」の近くにある説明版。
「山陵」とは、帝皇の塚墓をいい、「吾平山上
陵」は、初代天皇神武天皇の御父君「鵜草葺
不合命(ウガヤフキアエズ)」と御母君「玉依姫
(タマヨリビメ)」の御陵といわれている。
2011/6/2(8:41)
2つ目の橋を渡る。
霧に包まれた参道は、心も清らかになるようだ。
なお、この先に同じ形の橋がもう一つあった
ように記憶するのだが、その記憶は曖昧である。
2011/6/2(8:43)
玉砂利の参道を更に奥へと進む。
2011/6/2(8:47)
「御陵」前の広場。
2011/6/2(8:50)
広場から見る「御陵(写真中央)」。
ここから先は立入が禁止されている。
2011/6/2(8:51)
4倍ズームで撮る「御陵」。
「御陵」は、全国でも珍しい岩屋の陵で、
約100坪の広さがある窟内には、御父君と
御母君、大小2つの塚があるという。
2011/6/2(8:52)
6.6倍ズームで撮る「御陵」。
2011/6/2(8:53)
帰りに振り返って見る
「御陵(中央少し右寄り)」。
2011/6/2(8:56)
「御手洗場」。
「御陵」からの帰りに撮影。
「駐車場」から「御陵」に向かうと右側にある。

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