蒙古塚

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2013/9/30(8:55,8:55)
「蒙古塚」。
博多湾の北部に砂州により本土と陸続きになった陸繋島「志賀島」。
「蒙古塚」は、島の入口に架かる「志賀島橋」を渡り、「志賀島」の西海岸を北に2.7km程走った所にあり、
文永11年(1274)と弘安4年(1281)の二度に及ぶ「元寇襲来(対日本侵攻)」の際に戦死した蒙古兵士の
供養塔が建つ。
なお、昭和3年(1928)に建てられた供養塔は、平成17年(2005)の「福岡西方沖地震」により倒壊。
現在の供養塔は、平成19年(2007)に再建されたという。
左の写真をクリックすると「蒙古塚」の案内板(450x600)が表示されます。
右の写真をクリックすると縦に撮る「蒙古軍供養塔」が表示(450x600)されます。
2013/9/30(8:56)
供養塔の周りに並ぶ石碑。
ほとんどの石碑には「梵字」が刻まれている。
写真をクリックすると一部を切り抜いた画像が
表示(600x450)されます。
2013/9/30(8:57)
張作霖書による「蒙古軍供養塔賛」の碑。
「張作霖(ちょうさくりん)」は、中華民国初期の
軍閥政治家で、昭和3年(1928)の供養塔除幕式には、
祝辞を寄せたという。
写真をクリックすると「蒙古軍供養塔賛」の碑が
拡大表示(800x600)されます。
2013/9/30(8:57)
平成17年(2005)、「福岡西方沖地震」が発生する前の
「旧供養塔」だと思うのだが未確認。
2013/9/30(8:59)
「蒙古軍供養塔」の建つ広場。

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