櫛田神社

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2013/9/30(10:33,10:35)
「櫛田神社」の鳥居と楼門。
「櫛田神社」は、古くから博多の氏神、総鎮守として信仰を集め、「博多祇園山笠」や「博多おくんち」等の
祭事を行う神社として知られ、地元では「お櫛田さん」と呼ばれ親しまれている。
また、「博多どんたく」の松囃子一行も、櫛田神社から出発するが、これは「福岡市民の祭り振興会」が主催する。
楼門の天井にある「恵方盤」には、十二支が刻まれ、毎年大晦日に、この円盤を新年の干支の方向に向けるという。
左の写真をクリックすると「櫛田神社」の案内板が表示されます。
この案内板は、600x800ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真をクリックすると「えと恵方盤」が拡大表示(600x450)されます。
2013/9/30(10:38)
境内から見る「楼門」。
境内側の扁額には「博多 総鎮守」とある。
なお、外から見る「楼門」の写真は、本ページの最後に
あります。
2013/9/30(10:39)
「中神門」。
楼門と社殿(拝殿)の間にある。
写真をクリックすると「境内図」が
表示(800x600)されます。
2013/9/30(10:39)
「霊泉鶴の井戸」。
案内板には、
一口目には、自分の不老長寿を
二口目には、家族の不老長寿を
三口目には、親類縁者の不老長寿を
心に念じながら三口でお飲み下さいとある。
2013/9/30(10:42)
「拝殿」。
「拝殿」の破風の左には「暴風雨を起こそうと風神を
手招く」雷神の姿。右には「雷神の手招きに応じず
『あかちょこべー(あっかんべー)』をする」風神の姿が
刻まれている。
写真をクリックすると「破風」の部分を切り抜いた
画像(600x450)が表示されます。
画像が不鮮明でユーモラスな顔の表情までは、
読み取れないが、「風神」と「雷神」を丸い枠で
囲っています。
2013/9/30(10:42)
「霊泉鶴の井戸」と「拝殿」。
2013/9/30(10:42)
「拝殿」から見る「本殿」。
本殿中央に「大幡主命(おおはたぬしのみこと)」、
左(右殿)に「素盞鳴命(すさのおのみこと)」、
右(左殿)に「天照大神(あまてらすおおみかみ)」の
三神を祀る。
2013/9/30(10:43)
「飾り山笠」の表(清道)側。
「飾り山笠」は、毎年7月1日から15日の午前0時まで
博多の町、14ヶ所に飾られ、高さ10m程で、
櫛田神社の方向を向く「表」には、「武者物」の人形が
飾られることが多いという。
写真は、境内に常設展示されている「飾り山笠」で、
この年、平成25年(2013)の表に飾られるのは、
「剛弓一箭源為朝(ごうきゅういっせんみなもとの
ためとも)」であった。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2013/9/30(10:45)
「夫婦恵比須神社」。
案内板には、「事代主大神」と「玉櫛姫大神」の
男女二神の恵比寿様を祀る珍しい神社とある。
2013/9/30(10:45)
「夫婦銀杏」。
「秋になると黄金色の実をつけ、子種を宿すところから
縁結びの霊樹として氏子の敬愛が篤く願掛けが多い」と
あり、夫婦恵比須神社の縁結びのお守りは、
この夫婦銀杏の実で作られるという。
2013/9/30(10:48)
「飾り山笠」の見送り(裏)側。
櫛田神社の方向を向く「表」に対し、裏側を「見送り」と
呼び、童話やテレビアニメを題材にした人形が飾られる
ことが多いという。
写真は、境内に常設展示されている「飾り山笠」の
見送り側で、この年飾られるのは、「神武東征熊野譚
(じんむとうせいくまののたん)」であった。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2013/9/30(10:51,10:51)
「裏参道」。
「裏参道」は、「本殿」の後ろにあり、「注連懸稲荷神社」等の摂社・末社が祀られる。
いずれの写真も、右に写る建物が「本殿」。
2013/9/30(10:52)
「注連懸(しめかけ)稲荷神社」。
「裏参道」の一番奥(北側)にある。
2013/9/30(10:52)
「注連懸稲荷神社」。
別名「あしどめ稲荷」。
祭神「豊受比賣命(倉稲魂命)」とある。
2013/9/30(10:54)
「大正天皇行幸記念殿」。
大正5年(1916)陸軍特別大演習に行幸の際に造られた
「行在所」の御用材を使い、当初は県庁内に造られたが、
昭和31年(1956)、この地に移築とある。
2013/9/30(10:56)
「博多べい」。
戦乱で瓦礫(がれき)と化した博多の街を復興させる際、
壁土の中に「瓦礫」を入れて造ったという。
写真をクリックすると、裏側から見る「博多べい」が
表示(600x450)されます。
2013/9/30(10:58,10:59)
裏参道の「末社」。
裏参道には、「注連懸稲荷神社」の他、松尾神社、諏訪神社、金刀比羅宮、大神宮、竈神社、今熊野神社、
天満宮、石堂神社、二十二社が祀られている。
2013/9/30(11:01)
「みこし舎」。
「みこし舎」の中には、秋の例大祭や遷座祭年次大祭
等で使用される三体の神輿(左から「大神宮」「祇園宮」
「櫛田宮」)が納められている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/9/30(11:01)
「力石」。
櫛田神社では、かつて「卯の日相撲」が盛んに行われて
おり、当時の有名力士が力自慢に持ち上げたという石が
神社に奉納されている。
また、平成12年(2000)には、御遷宮を記念して、
近年の有名力士(「朝青龍」、「若乃花」、「貴乃花」等)の
「力石」も奉納されたという。
写真をクリックすると写真の一部を切り抜いた
画像(600x450)が表示されます。
この写真では、はっきりとは読み取れないが、
中央の石には、69連勝を記録し、昭和の大横綱と
呼ばれる「双葉山」の名前が書かれている。
2013/9/30(11:03)
「櫛田入り」の清道。
「博多祇園山笠」のクライマックス「追い山笠」では、
山笠(神輿)を順(5分間隔)に境内(清道)に舁き入れ、
境内を一周(櫛田入り)する。
境内を出てからは、重さ約1㌧の山笠を舁きながら
約5kmのコースを走り時間を競う。
この境内には、「櫛田入り」を見るための、1,800席の
有料桟敷席が設けられる。
参考:「舁く(かく)」とは、一般には「物を肩にかけて
運ぶ」ことをいうが、ここ博多では、「肩に山笠の棒を
乗せて走る」ことを「舁く」という。
2013/9/30(11:03)
「櫛田の銀杏」。
樹齢600年を越えるといわれる。
博多では銀杏のことを「ぎなん」と呼び、地元の人達は
この木を「お櫛田さんのぎなん」と呼び大切にしている。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2013/9/30(11:04)
近寄って見る「櫛田の銀杏」。
幹の太さ(直径)は、約190cm。
根元の左右にあるのは、弘安4年の「元寇の役」で
蒙古の軍船が碇(いかり)として使用したとされる
「蒙古軍の碇石」。
2013/9/30(11:06)
「土居通り」側から見る境内。
「櫛田入り」では、「土居通り」から境内(清道)に入った
山笠(神輿)は、境内を一周(中央に置かれた「清道旗」
を右に回る)し、再び「土居通り」へと出ていく。
2013/9/30(11:07)
境内を出て振返って見る「楼門」。
扁額に書かれる「稜威」は、「いつ」と読み、
天子・天皇の威光を意味するという。

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