韮ヶ峠
(龍馬脱藩の地)

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2017/5/11(14:00,14:01)
「韮ヶ峠」の駐車スペースと案内図。
「韮ヶ峠」は、高知県の最北西部で愛媛県との境に位置し、峠を一歩越えれば、
そこは「伊豫國」であり、幕末の志士「坂本龍馬」と盟友「沢村惣之丞」が、
文久2年(1862)3月26日の早朝、「那須俊平」、「那須信吾」の父子に案内され、
「土佐國」から「伊豫國」へと脱藩した地である。
「坂本龍馬脱藩の道」は、龍馬の脱藩に同行した「沢村惣之丞」の口述を記録した文書を、
龍馬の義兄「高松順蔵(小埜)」が書き写したという「覚・関雄之助口述之事」が現存し、
この覚書には脱藩したルート上の地名が記され、龍馬が脱藩時に「韮ヶ峠」を通ったという説の
元となるもので、これが「龍馬脱藩の道」の通説となっている。
左の写真の駐車スペースは、愛媛県側にあり、ここから南(写真奥)に50m程歩いた所に
高知県との県境がある。
右の写真、案内図には「坂本龍馬」が歩いた「土佐國(高知県)」の「吉村虎太郎誕生地・宅跡」から
「伊豫國(愛媛県)」の「冨屋金兵衛邸跡」までの脱藩ルートが描かれている。
左の写真をクリックすると近づいて撮る写真(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると案内版「覚・関雄之助口述之事」が表示(800x400)されます。
注:「関雄之助」は、「沢村惣之丞」の変名である。
2017/5/11(14:02)
県境に向かい50m程を歩く。
道の右側に立つ標識には、「坂本龍馬脱藩の地
韮ヶ峠」とあり、「坂本龍馬」の後ろ姿が
描かれる。
2017/5/11(14:04)
「土佐國」と「伊豫國」の県境。
県境には線が引かれ、写真に写る線の左側が、
「伊豫國(愛媛県)」。
右側が「土佐國(高知県)」である。
写真をクリックすると「土佐國(高知県)」側から
撮る県境(450x600)が表示されます。
2017/5/11(14:03)
「澤村惣之丞」と「.那須信吾」の足跡。
この足跡は、県境の東側に描かれ、
左が前を歩き、県境を跨ぐ「澤村惣之丞」。
右が後ろで、「土佐國(高知県)」を歩く
「.那須信吾」の足跡である。
2017/5/11(14:03)
「坂本龍馬」と「那須俊平」の足跡。
この足跡は、県境の西側に描かれ、
左が後ろを歩き、県境を跨ぎ「伊豫國(愛媛県)」
に脱藩する瞬間の「坂本龍馬」。
右が前を歩き、「伊豫國(愛媛県)」に入った
「那須俊平」の足跡である。
写真奥に建つ石碑には、
「我ら再び生きて故国土州の土を踏まず!!
 坂本龍馬 澤村惣之丞」と刻まれる。

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