はりまや橋

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2017/5/10(12:04,12:07)
「中央公園」と「はりまや交差点」。
民謡「よさこい節」の中で、「坊さんかんざし買うを見た」と歌われ、竹林寺の僧「純信」が
鋳掛屋の娘「お馬」の為に髪飾りを買ったという恋物語で知られる「はりまや橋」は、
JR高知駅前から南に800m程の市中心部にある。
当時は、「堀川」に架かる私設の小橋であったというが、その後幾度か架けかえられ、
現在では石造りの橋へと変わり、埋め立てられた川の後には「はりまや橋公園」の
人工水路が造られ、朱色欄干の初代江戸期「はりまや橋」が復元されている。
この日は、「はりまや交差点」に近い、「中央公園」の地下にある駐車場を利用。
「はりまや交差点」は、土佐電鉄「桟橋線」と「御免線」の路面電車同士が交差する
交通の要所で、近くにはデパート「高知大丸」等もある。
2017/5/10(12:07)
「アンパンマン」と「ジャムおじさん」の石像。
「アンパンマン」の作者「やなせたかし」は、
東京都北区に生まれるが、少年時代を父方の
故郷高知県で過ごしている。
道路東側のからくり時計の下には、
「ばいきんまん」と「ドキンちゃん」の石像もある。
2017/5/10(12:08)
現在の「はりまや橋」。
平成10年(1998)、それまで朱色の欄干から、
石造りの橋に造り替えられたという。
この朱色の欄干は、「はりまや橋公園」の
地下広場に保存展示されている。
2017/5/10(12:08)
「江戸期はりまや橋の由来」。
初代の橋は、簡素な「木造りの橋」とあり、
歌謡曲「南国土佐を後にして」のヒットにより、
創られた同名の映画の中で映し出された、
朱色の欄干が、「はりまや橋」として全国に
知られるようになったとある。
写真をクリックすると「江戸期はりまや橋の
由来」を切抜く画像(800x600)が表示されます。
2017/5/10(12:08)
復元された「江戸期のはりまや橋」。
欄干には「平成十年三月完成」とあり、
「はりまや橋公園」の整備に伴い、
埋め立てられた「堀川」に変わる
「人工水路」と合せ、「江戸期のはりまや橋」が
復元されている。
2017/5/10(12:09)
復元された「江戸期のはりまや橋」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/10(12:11)
「はりまや橋」の上を走る土佐電鉄「桟橋線」。
写真左の方向が、JR「高知駅」。
2017/5/10(12:11)
「純信お馬像」。
像は、高知市出身の漫画家「横山隆一氏」の
デザインとある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/10(12:52)
「はりまや橋公園」の西側から見る
「江戸期のはりまや橋」。
2017/5/10(12:52,12:53)
「はりまや橋公園」の西側。
「はりまや橋公園」の西側には、地下広場への入口や「八角堂」、「桟橋デッキ」等が造られている。
国道32号「はりまや通り」の東側には、「明治期のはりまや橋」や「南国土佐を後にして」の歌碑等が
あるのだが、この日は、全くそのことに気付かず、記録に残せなかったことが残念であった。
右の写真奥には、復元された「江戸期のはりまや橋」も写る。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。

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