岬の分教場

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2017/5/13(15:10,15:16)
「岬の分教場」の校門と校舎。
「岬の分教場」は、昭和29年(1954)に公開された、木下惠介監督、高峰秀子主演の
映画「二十四の瞳」のロケ地となり、広く知られるようになるが、明治35年(1902)、
田浦尋常小学校として建てられた建物は、昭和46年(1971)に苗羽(のうま)小学校田浦分校として
廃校になるまでの70年間、現役の学校として子供達が学んだ校舎である。
現在では、町内で唯一残る初期小学校の遺構として、当時の姿を保存。
二十四の瞳の「岬の分教場」として、当時の机やオルガン、子供達の作品などを展示。
当時を知る「教育の原点」として、全国から数多くの観光客や教職員が訪れるという。
左の写真、校門の柱には「苗羽小學校田浦分校」とある。
なお、校門を入った右に立つ建物は、土産物屋「二十四の瞳館」で、校舎は校門を入った左側にある。
左の写真をクリックすると「岬の分教場」の案内版(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2017/5/13(15:17)
校舎の中に入る。
廊下の右には、手前から、1、2年、3、4年、
5、6年と3つの教室が並ぶ。
写真をクリックすると「内海町苗羽小学校
田浦分校沿革」が表示(800x600)されます。
2017/5/13(15:17,15:18)
1、2年生の教室の中。
左の写真、生徒達の描いた絵の上には、二十四の瞳の作者「壺井栄」により
「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿 十八年」と書かれた額が掲げられている。
2017/5/13(15:18)
3、4年生の教室に入る。
2017/5/13(15:19)
「田浦分校さようなら」と書かれる黒板。
黒板には、昭和46年(1971)、分校の廃校により、
校舎との別れを惜しむ生徒の気持ちが書かれる。
写真をクリックすると「黒板」が
拡大表示(800x400)されます。
2017/5/13(15:19)
「二十四の瞳」の絵。
画家で絵本作家の「長谷川義史」がテレビ取材で
分教場を訪れたときに描いたという。
写真をクリックすると絵の部分が
拡大表示(600x600)されます。
2017/5/13(15:21)
「二十四の瞳同窓会」。
壁には、「二十四の瞳同窓会」と題した同窓会の
寄せ書きや昭和46年廃校式の写真などが
展示されている。
2017/5/13(15:22)
5、6年生の教室に入る。
2017/5/13(15:22)
5、6年生の教室の中。
この日、教室の中には、「第33回二十四の瞳
岬の分教場絵画展」の作品が展示されていた。
2017/5/13(15:23)
「現役、OB教師からのメッセージ」。
白板には、現役の教師やOB教師から、
教師・教員を目指す子供達や親に向けた
メッセージが書かれている。
2017/5/13(15:24)
「二十四の瞳」のジオラマ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2017/5/13(15:25)
5、6年生の教室前から玄関の方向を振り返る。
2017/5/13(15:27)
土産物屋「二十四の瞳館」。

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