瑠璃光寺(香山公園)

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2016/5/17(15:07,15:07)
「香山公園」の駐車場と「紙本榮一先生之像」。
山口県の県庁所在地は「山口市」なのだが、経済力では「下関市」や「宇部市」等に劣り、
人口では全国の県庁所在地の中で長年最下位付近をうろついている。
「瑠璃光寺(るりこうじ)」は、そんな「山口市」の中心部(県庁のすぐ北側)にある曹洞宗の寺院で、
山号は「保寧山」。日本三名塔の一つといわれる国宝「瑠璃光寺の五重塔」の建つ寺として知られる。
また、境内は「香山(こうやま)公園」と呼ばれ、桜や梅、つつじ、紫陽花等、花の名所にもなっており、
秋には紅葉も楽しめる。
「紙本榮一(かみもとえいいち)」は、熊毛郡出身の武道(剣道)家で、全日本剣道連盟居合の制定に
尽力した人物である。
右の写真の銅像は、「香山公園」駐車場の脇に立つ。
2016/5/17(15:08)
「香山公園」入口。
場所は、公園の東側である。
この日は、公園の南側にある「枕流亭」や「露山堂」等を
見ながら、西側の「香山墓所」、「瑠璃光寺」に向かい、
公園の中を時計回りに一周し、駐車場に戻る。
2016/5/17(15:08)
「香山公園」入口に入ったところ。
「香山公園」の入口を入ると、すぐ右には池があり、
池の奥に「瑠璃光寺五重塔」が建つ。
まっすぐ進むと「瑠璃光寺」、左の方向に「枕流亭」や
「露山堂」等がある。
2016/5/17(15:09)
「香山公園」に入ったところで見る「瑠璃光寺五重塔」。
「瑠璃光寺五重塔」は、京都の「醍醐寺」、奈良の
「法隆寺」と並び、「日本三名塔」の一つと呼ばれる。
本ページ下の方では、もっと近寄って撮る「五重塔」を
紹介するが、この位置から見る「五重塔」は、庭園との
バランスが最適である。
写真をクリックすると1.75倍ズームで撮る
写真(450x600)が表示されます。
2016/5/17(15:14)
「枕流亭(ちんりゅうてい)」。
慶応3年(1967)、「坂本龍馬」らの奔走により、薩摩の
藩士「西郷吉之助(隆盛)」や「大久保一蔵(利通)」、
長州藩の「木戸準一郎(孝允)」や「伊藤俊輔(博文)」
達により「薩長連合」の密議が行われたのが、
この建物2階であったという。
写真をクリックすると「枕流亭」の案内板(600x450)が
表示されます。
2016/5/17(15:15)
「枕流亭」の1階。
ゆかりの偉人達がパネルで紹介されている。
2016/5/17(15:16,15:16)
「枕流亭」の2階。
「薩長連合」による倒幕の密議が行われたという部屋である。
なお、建物は江戸時代末期に建てられたというが、その後移転されているため、
倒幕の密議が行われた当時と、建つ場所は異なる。
左の写真をクリックすると「枕流亭」の見取図(650x650)が表示されます。
2016/5/17(15:20)
「露山堂」前。
写真右に「露山堂」が建ち、奥の広場の遊具(滑り台や
ブランコ)が、市民の公園でもあることを教えてくれる。
2016/5/17(15:21)
正面から見る「露山堂」。
第13代長州藩主「毛利敬親」が、藩庁を萩から
山口に移した時に、建てられた茶室であったが、
実際には、「敬親」が茶事を装い、家来達と倒幕の
密議を凝らすために使われていたという。
現在は、イベントなどの折に茶会が開かれるようだが、
詳細は不明。
写真をクリックすると「露山堂」の案内板(600x450)が
表示されます。
2016/5/17(15:23)
門を潜り「露山堂」の庭に入る。
2016/5/17(15:23)
庭から見る「露山堂」。
2016/5/17(15:24)
「誰が袖の手水鉢(写し)」と「水琴窟」。
「手水鉢」は、側面から見ると着物の振り袖のような形を
していることから、この名が付いたという。
写真をクリックすると「誰が袖の手水鉢と水琴窟」の
案内板(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:25)
「露山堂」の庭の池。
この庭園は、明治24年(1891)に、「露山堂」を、
この地に移したときに、造られたという。
2016/5/17(15:28)
「サルスベリ」の木から生える、「松の木」。
看板には「ご進学に大人気 滑りやすいサルスベリの
木に 滑らずに大きく育つ松の木」とある。
写真をクリックすると2.25倍ズームで撮る
写真(450x600)が表示されます。
2016/5/17(15:30)
「忠魂碑」。
2016/5/17(15:30)
「勅撰銅碑(ちょくせんどうひ)」。
「毛利敬親」の偉業を永久に伝えるために、明治天皇が
建立を命じたという。
2016/5/17(15:32)
「うぐいす張りの石畳」。
石畳の上で、手をたたいたり、強く足踏みをすると
美しい音が返ってくるとある。
手をたたいてみると、「香山墓地(写真奥)」の方向から
音が返ってくるように聞こえた。
写真をクリックすると「香山墓地とうぐいす張りの石畳」の
案内板(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:35,15:35)
「香山墓地(萩藩主毛利家墓所)」。
第13代長州藩主「毛利敬親」や夫人、跡継ぎ「元徳」など、7基の墓が並ぶ。
写真をクリックすると「萩藩主毛利家墓所」の案内板(800x600)が表示されます。
2016/5/17(15:36)
第13代長州藩主「毛利敬親」の墓。
高さ約1.8m、径約5.8mの円形の墓(土饅頭)の
前に墓石が立つ。
写真をクリックすると写真中央部分を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:40)
「大内弘世像」。
「大内弘世(おおうちひろよ)」は、南北朝時代の武将で、
多々良姓大内氏の第9代当主。
正平18年/貞治2年(1363年)幕府と和解し、
周防、長門、石見の守護となり、本拠を山口に移し、
「西の京」と謳われた山口繁栄の基礎を築いたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/5/17(15:40)
「瑠璃光寺資料館」。
入館は有料だが、館内では「瑠璃光寺五重塔」の
骨組みを紹介する1/15の模型を展示する他、
日本全国55基の五重塔を、1/100の模型と
パネル等で紹介するという。
2016/5/17(15:41)
「瑠璃光寺本堂」。
「瑠璃光寺」は、大内氏全盛期の大内文化を伝える寺
として知られ、大内氏の重臣「陶弘房(すえひろふさ)」の
夫人が、応永の乱で戦死した夫の菩提を弔うために
建立したという。
写真をクリックすると「瑠璃光寺」の境内図が
表示されます。
この境内図は、600x800ピクセルあります。
境内図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2016/5/17(15:42)
「慈母観音」と「わらべ地蔵」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/5/17(15:42)
「経塚」。
平成4年(1992)、「瑠璃光寺五重塔」の創建550年を
記念し、石造五重塔を建立。般若心経を書写し、
埋経したという。
2016/5/17(15:43)
「放生池」。
2016/5/17(15:44)
「長寿薬師如来堂」。
軒下に下がる「大念珠」は、ゆっくりと手前に引き、
8個の数珠玉を落として、自分の煩悩を除くという。
また、堂内には、「長寿薬師如来像」が安置される。
写真をクリックすると「長寿薬師如来像」の
写真(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:44)
「佛足石」。
「佛足石」は、お釈迦様の足跡を石に刻み信仰の
対象としたもので、この「佛足石」は、奈良「薬師寺」の
「佛足石」を模したという。
写真をクリックすると3.5倍ズームで撮る
写真(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:46)
「水掛け地蔵」。
2016/5/17(15:46)
「知足の手水鉢」。
「手水鉢」の、中央に開けられた口と、四方に刻まれる
字を各々結ぶと、「吾唯足知(われ ただ たるを しる)」と
なり、これは、お釈迦様が涅槃に入られる前、最後の
説法「佛遺教経」の中に云われた言葉だという。
2016/5/17(15:47)
「杓底一残水」。
石碑には、「水を使った後、杓の底に残った僅かな
水でも、元に戻す。
たかが水一杯でも大切に、そして物を大切にすることが
肝心なのです」と刻まれる。
2016/5/17(15:48)
「梵鐘」。
梵鐘は、天文元年(1532)、「瑠璃光寺」の末寺であった、
吉敷群仁保庄大畠村の「光明禅寺」のものとして
鋳造されたという。
2016/5/17(15:49)
「鎮守石殿」。
慶安3年(1650)、「瑠璃光寺」が仁保にあった当時の
和尚が、寺の鎮守として造立したという。
写真をクリックすると「鎮守石殿」の部分を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2016/5/17(15:51)
「満月の庭」から見る五重塔。
「満月の庭」は、「瑠璃光寺」の本堂などが建つ敷地と
「五重塔」の間にある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/5/17(15:53)
「瑠璃光寺五重塔」。
高さ31.2m。嘉吉2年(1442)頃に落慶とされる。
大内家第26代当主「大内盛見(もりはる)」が、
兄「義弘(よしひろ)」の菩提を弔うために建立したと
いわれ、室町時代中期における優れた建築の一つで、
屋根は檜皮葺。二層にのみ廻縁(まわりえん)と高欄が
あるのが特徴だという。
写真をクリックすると「瑠璃光寺五重塔」の
案内板(800x600)が表示されます。
2016/5/17(15:54)
「瑠璃光寺五重塔」の初重(1階)部分。
初重(1階)部分は、他の層に比べ丈が高くなっている。
2016/5/17(15:55)
下から見上げる「瑠璃光寺五重塔」。
2016/5/17(15:56)
正面から見る「瑠璃光寺五重塔」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/5/17(15:57)
「瑠璃光寺山門」。
奥に写る大屋根が「本堂」。
2016/5/17(15:58)
「日本の歴史公園100選碑」と五重塔。
国宝「瑠璃光寺五重塔」をバックに記念撮影する姿が
印象的であった。

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