御汗観音

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2013/4/19(11:23,11:24)
「上盛山展望台」への道との分岐点に立つ標識と分岐点の近くで見る「上関大橋」。
標識には「御汗観世音奥の院」と書かれている。
「御汗(みあせ)観音」は、JR山陽本線「柳井駅」から南に約14.6km、山口県熊毛郡上関町長島の
「上盛山(かみさかりやま)」の中腹にある。
観音像が汗をかくように胸に水滴をためていることから「御汗観音」と呼ばれている。
また、この御汗をとれば霊験あらたか、あらゆる病気が治るといわれている。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2013/4/19(11:45)
「御汗観音の由来」。
ガラスに景色が映り、写真では文章が読めないが、
正保3年(1646)、庄屋「中島屋太郎右衛門」と明関寺の
住職「桂樹比丘」の二人は、夢枕に現れた観音様の
「私はここに埋められております。私を掘り出して下さい」
とのお告げに従い、掘り出した「観音像」を、祠を建てて
安置したのというが、「御汗観音」の始まりという。
2013/4/19(11:26)
「御汗観音」。
正式名、「紫雲山 光明大悲閣 御汗観世音奥之院」。
本堂は、急斜面の石垣の上に建つ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/4/19(11:28)
「御汗観音 本堂」。
2013/4/19(11:29)
「本堂の中」。
写真をクリックすると正面から撮る「祭壇」が
表示(600x450)されます。
なお、御本尊は、拡大写真で、「祭壇」の奥(本堂の外)に
写る縦格子の扉の中に安置されていたと思うのだが、
現在、御本尊は、上関町の「阿弥陀寺」に安置されて
いるという。
2013/4/19(11:29)
「香炉堂」。
本堂横にある。
2013/4/19(11:42)
「六角殿」への石段。
写真中央右には「石塔」が写る。
なお、本堂は写真右方にある。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/4/19(11:42)
「御瀧不動」。
「六角殿」への石段左側にある。
写真をクリックすると「御瀧不動」が
表示(450x600)されます。
2013/4/19(11:34)
「根本奥の院」への入口。
案内板には「根本奥の院 御跡の地にて 三ツ川で
清め給う」とある。
庄屋「中島屋太郎右衛門」と住職「桂樹比丘」の二人が
「観音様」を掘り出した場所だという。
2013/4/19(11:31)
「石塔」の下部。
「奥の院」は、本堂の祭壇奥に見えた、「縦格子の扉」の
中のことであろう。そうだとすれば、もう少し奥まで歩いた
所にある。しかし、この「石塔」が「奥の院」と勘違いした
ため、奥まで進まず「根本奥の院」の写真は残らない。
写真をクリックすると石段下から見る「石塔」が
表示(450x600)されます。
2013/4/19(11:32)
「石灯籠」。
「根本奥の院」への入口横にある。
2013/4/19(11:34)
「六角殿」への石段横にある「案内板」。
「六角殿観世音」、「三ッ川観世音」、「水子観世音」と
書かれている。
2013/4/19(11:34)
「六角殿」へ向け歩く。
2013/4/19(11:35)
花が供えられている。
「三ッ川観世音」か「水子観世音」のどちらかであろう。
2013/4/19(11:35)
「六角殿」へ向け歩く。
石段を登るが距離は短い。
2013/4/19(11:36)
花が供えられている。
「三ッ川観世音」か「水子観世音」のどちらかであろう。
2013/4/19(11:37)
「六角殿」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2013/4/19(11:37)
「六角殿観世音」。
「水子観世音」、「三ッ川観世音」同様、花が供えられて
いる。
2013/4/19(11:39)
「六角殿」のすぐ上にある広場。
この上には、何もなさそうに見えたため、
ここで、来た道を戻る。
2013/4/19(11:42)
帰りに振り返る「石塔」。
境内には、キャンプ場の炊事場のような場所があり、
なぜ、こんなところに?と思っていたのだが、
毎月17日は、お参りの日で、信者の方が「ささげ御飯」
を作って参拝者に振舞うという。
住民信者に大事に守られているということを、ひしひしと
感じさせられる寺であった。

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