樫野崎

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2011/4/6(12:57)
「トルコ記念館」。
樫野崎は、紀伊大島の最東端部にある。
1890年、樫野崎東方海上で起きたトルコ軍艦
「エルトゥールル号」の遭難事故で580余名の
犠牲者を出すものの、地元の人たちにより69名
の乗員を助けたことから、トルコとの友好関係が
はじまり、周囲にはトルコに関する建物等が
多い。

2011/4/6(13:03)
「トルコ軍艦遭難慰霊碑」。
遭難事故の翌年には、和歌山県知事他有志の義金
により墓碑と慰霊碑が建立されるが、現在の慰霊
碑は、昭和12年にトルコ共和国の資金により
建立されたものとある。

2011/4/6(13:07)
「ムスタファ・ケマル・アタティルク騎馬像」。
「ムスタファ・ケマル・アタティルク」は、初代
大統領として、祖国の近代化を成し遂げた建国の
父として、今なお国民から深い尊敬を受けている。
この騎馬像は、日本トルコ両国友好の発展を
祈って、駐日トルコ共和国大使館より寄贈された
ものとある。

2011/4/6(13:09)
「樫野埼灯台」。
「日本の灯台の父」と呼ばれる「リチャード・
ヘンリー・ブラントン」が設計し、明治3年
(1870)に初点灯した日本最初の石造灯台である。
平成14年(2002)には、展望台が完成。螺旋階段
を上がると、灯台中段(6.5mの高さ)からの
景色を楽しむことができる。
2011/4/6(13:10)
「樫野埼灯台旧官舎」。
「灯台守」が執務室や住居として使うために、
明治3年(1870)「リチャード・ヘンリー・
ブラントン」が日本で最初に竣工させた石造りの
歴史的建造物。
トルコ軍艦遭難事件の際には、救助の拠点と
なったという。
2011/4/6(13:12)
「樫野埼灯台」展望台から見る「樫野埼灯台
旧官舎」。
2011/4/6(13:12)
「樫野埼灯台」展望台から見る景色。
前方が「紀伊大島」の中心方向。右奥が「紀伊半島」の南端東部。

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