徐福公園

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2019/4/24(9:12,9:13)
中国様式の「楼門」と「徐福公園」。
今から2,200年程前、「徐福(じょふく、別名:徐市)」という人物は、
「東方海上の三神山に不老不死の霊薬がある」と秦の始皇帝に具申し、
七人の重臣と三千人の童男童女や技術者。そして、財宝や五穀の種などを積み込み船出するも、
三神山には至らず、秦には戻らなかったという記述が、中国の歴史書「史記」にあるという。
この徐福の伝説は、中国のみならず、朝鮮半島や日本各地にも散在し、
特に「熊野」には、「徐福」渡来の地として数々の伝承や資料が残る。
「徐福公園」は、JR紀勢本線「新宮駅」のすぐ東側(徒歩1分程)にあり、
新宮の地で歿した「徐福」の墓と伝わる場所に、「中国風楼門」を造るなど
公園として整理したものである。
写真左、公園入口に建つ「楼門」は、中国様式を参考に建築したという。
「楼門」の道路反対側には、駐車場があり、一応有料なのだが、公園利用者は、
1時間まで無料で利用できる。
左の写真をクリックすると別の角度から撮る「中国様式楼門」が表示(600x450)されます。
写真右、楼門を潜り、公園内に入ったところで撮影。写真中央奥に、「徐福像」と「不老の池」が写る。
右の写真をクリックすると「徐福墓畔とその界隈」の案内板(800x650)が表示されます。
2019/4/24(9:14)
「徐福像」。
「徐福公園」で頂いたパンフレットには、
「熊野の地に上陸した徐福一行は、
この地に自生する『天台烏薬』という薬木を
発見するが、気候温暖、風光明媚、そして、
熊野の人々の暖かい友情に触れ、
この地を永住の地と定め、土地を拓き、
農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術を、
この地に伝えた」とある。
写真をクリックすると縦に撮る「徐福像」が
表示(450x600)されます。
2019/4/24(9:15)
「不老の池」。
池には、七重臣にたとえた七匹の鯉が泳ぎ、
石柱には、七つの徳「和」「仁」「慈」「勇」
「財」「調」「壮」の文字が刻まれる。
また、池の後ろ、腰高の石塀の上には、
7本の「天台烏薬(てんだいうやく)」が植えられ、
その根本からは、「生命の水」がしたたり落ちる。
この「天台烏薬」は、クスノキ科の常緑低木で、
新宮市の市木に指定されている。
写真をクリックすると別の角度から撮る
「不老の池」が表示(600x450)されます。
2019/4/24(9:16)
「由緒板」。
「徐福公園」の完成を記念して、中国山東省
龍口市から寄贈されたという、「由緒板」には、
「徐福」の説明と、上陸の絵が刻まれるのだが、
雨に濡れた部分と乾いた部分で、明暗の差が大きく、
写真では、一部分しか判読できない。
このため、「徐福」の詳細については、
後述する「徐福顕彰碑」の碑文意訳で紹介します。
2019/4/24(9:19)
「徐福の墓」への入口。
「徐福の墓」がある一画は、腰高の石塀で囲まれ、
正面の入口には「香炉」が置かれる。
2019/4/24(9:20)
「徐福の墓」。
元文元年(1736)に建立され、墓碑は紀州藩祖
「徳川頼宣」が、儒臣の「李梅渓」に
書かせたという。
写真をクリックすると縦に撮る「徐福の墓」が
表示(450x600)されます。
2019/4/24(9:22,9:22)
「徐福顕彰碑」と碑文の意訳。
「徐福」の墓が建立された100年後の天保5年(1834)、紀州藩儒者「仁井田好古」は、
藩命により、熊野を巡り、故事を探り碑文を作成。筆を揮って「顕彰碑」は造られるが、
海路輸送中に台風で海に沈む。
写真の石碑は、昭和15年(1940)、残されていた書により再建されたものである。
右の写真、「秦の徐福の碑 意訳」は、長文で、写真補正により文字が潰れるが、
文章は、分かりやすく、そして面白く、「徐福」のことを、より詳細に理解することができる。
是非、一度読んで頂ければと思う。
右の写真をクリックすると「秦の徐福の碑 意訳」を切抜く画像が表示されます。
この画像は、1,600x800ピクセルあります。
「意訳」の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/4/24(9:23)
「徐福の墓」の右側に並ぶ石碑。
写真右に立つのが「七塚の碑」。
「徐福」と共に渡来した、七人の重臣達を祀る。
写真をクリックすると縦に撮る「七塚の碑」が
表示(450x600)されます。
2019/4/24(9:24)
「絶海と太祖の詩碑」。
「徐福公園」で頂いたパンフレットには、
「応安1年(1368)、入明した絶海中津が
太祖(洪武帝)に召見され、熊野の徐福祠と
その帰郷についてやりとりをした詩」とある。
写真をクリックすると刻まれる文字部分を
切抜く画像(800x600)が表示されます。
2019/4/24(9:25)
俳人「土山山不鳴」の句か?。
「木の実植ゑ 徐福はこゝに 棲みつきし 山不鳴」と
刻まれる。
2019/4/24(9:25)
「徐福売店」。
天台烏薬を使った「徐福茶」や「食前酒」等、
徐福関連のお土産品を販売する他、
自転車とチャイナドレスのレンタルも行う。
レンタルのチャイナドレスを着て、
「不老の池」の石橋に立つ記念撮影が人気で、
「徐福茶」は、不老不死の霊薬「天台烏薬」に
熊野の番茶をブレンド。
タンパク質、カルシウムが多く含まれ、
「活性酸素消去作用」が非常に高いという。
2019/4/24(9:27)
園内から見る「楼門」。
写真をクリックすると近づいて撮る「楼門」が
表示(600x450)されます。
2019/4/24(9:28)
「徐福ゆかりの地」周遊ルート。
案内板には、七人の重臣を祀る「秦徐福重臣碑
(重臣の墓)」や上陸の地「蓬莱山」にある、
「阿須賀神社(徐福の宮)」、「徐福上陸の碑」と
徐福ゆかりの場所を徒歩で巡る、一周18分程の
周遊ルートが書かれている。
写真をクリックすると「周遊ルート」を切抜く
画像が表示されます。
この画像は、800x800ピクセルあります。
「周遊ルート」の文字を読みたいときには、
表示された画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。

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