日の岬

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2011/4/8(9:15)
「日の岬」は、紀伊半島の最西端に位置し、
標高約200mの一帯は「日の岬パーク」として
整備されている。
また、明治初期からの移民の村としても知られ
「アメリカ村」とも呼ばれている。

2011/4/8(9:19)
「徳本上人座仏」。
駐車場から「紀伊日ノ御埼灯台」に向かう途中に
ある。
「徳本上人」は、日高町に生まれた念仏行者で、
「日の岬」沖で難破した船員の亡霊を鎮める
ため「日の岬」の下にある洞窟で念仏供養した
とある。

2011/4/8(9:21)
「紀伊日ノ御埼灯台」。
明治28年点灯。当時は鉄造りの灯台だったと
いう。現在の灯台は、昭和26年に改築したもの
で、大型灯台としては初めての汚れに強いタイル
張りになっている。

2011/4/8(9:31)
灯台の形をした案内標識。
2011/4/8(9:33)
「若山牧水の歌碑」。
駐車場脇にあり、1918年熊野探勝の途次
「日の岬」沖を航行中に詠まれたという歌が
刻まれている。
2011/4/8(9:36)
看板には、「アメリカ村資料館」とあるが、
19世紀末にカナダに移民した人々が、帰国後に
洋館を建てて住んだ集落がアメリカ村。その村の
人々の歴史を紹介する「カナダ資料館」である。
館内の売店では、北米先住民族の工芸品なども
販売している。
2011/4/8(9:37)
「日の岬パーク案内図」。
「日の岬パーク」内には、「キャンプ場」「小動
物園」「パーク内を1周するケープトレイン」等
があり、パーク内の「国民宿舎」に宿泊すること
もできる。
2011/4/8(9:38,9:39)
クヌッセン機関長の「顕彰碑」と「胸像」。
「ヨハネス・クヌッセン」は、昭和32年(1957)風速20mの冬の嵐が荒れ狂う「日ノ御埼灯台」の
沖で火災を起こした日本船の乗組員を、我が身を犠牲にして救助したデンマーク人である。
この海の男の勇気をたたえ「顕彰碑」と「胸像」が建てられたという。

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