大門坂

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2011/4/6(8:26)
駐車場は、「大門坂」の入口から400m程
上にある「曼荼羅の郷河川公園」の駐車場を
利用した。

2011/4/6(8:26)
駐車場にある案内地図。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

2011/4/6(8:33)
駐車場から県道を歩いて「那智駅」の方向に
戻ると、すぐに「大門坂」への近道がある。
左の案内地図では、「現在地」から赤い矢印が
伸びた先に「大門坂入口」と書かれた場所が、
ここである。この先「石段」を上れば近道なの
だが、この道は帰りに利用することにし、
県道を直進する。

2011/4/6(8:36)
県道を「那智駅」の方向に歩く。
2011/4/6(8:38)
「大門坂」入口。
駐車場から400m程遠回りをしたことになる
が、これで「大門坂」をショートカットせずに、
そのすべてを歩き通すことができる。
2011/4/6(8:43)
緩い坂を上り出すと、すぐに「新宮藩の関所跡
(十一文関)」とある。
「大門坂」はかつて坂の入り口に大門があり、
通行税を徴収していたという。
関所の遺構(石造の流し台と石造の石船)が、
写真左の木の辺りに残っている。
2011/4/6(8:43)
「関所跡」の反対側には、「南方熊楠」が3年間
滞在したという「大阪屋旅館跡」がある。
「南方熊楠」は、ここの離れを常宿として那智山
中の植物調査を行ったというが、大坂屋旅館は
大正15年に廃業。熊楠が滞在した離れは、
昭和8年に焼失したという。
2011/4/6(8:44)
鳥居を抜け「振ヶ瀬橋」を渡る。この赤い橋は、
聖地への架け橋で、俗界と聖域とを分ける橋だと
いう。
2011/4/6(8:46)
「大門坂茶屋」。
「大門坂」を紹介する観光案内のパンフレット
では、よく平安時代の衣装を着た女性を見かける
が、あの平安衣装は、この茶屋で有料貸出を行っ
ている。
2011/4/6(8:47)
「夫婦杉」。
両側にそびえ立つ巨大な「夫婦杉」は、樹齢
800年、高さ55m、幹の周囲は8mという。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/6(8:50)
「多富気王子」。
熊野参詣道中辺路にある最後の王子社である。
2011/4/6(8:51)
「楠大樹」。
この「楠」の樹齢も800年という。
2011/4/6(8:52)
267段あるという石畳を、一歩一歩歩く。
2011/4/6(8:54)
進行方向右側には、県道46号那智山勝浦線が
走る。これ程までに県道が近づくのは、このコー
スの途中では、この場所だけである。近くには、
バス停「熊野古道」があり、ここから歩く人も
いるという。
2011/4/6(8:54)
左の写真と同じ場所で、進行方向を見る。
2011/4/6(8:58)
観光案内のパンフレットでは、この辺りが、
「大門坂でも一番景色のよいところで、写真撮影
に最適」とある。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/6(9:03)
「十一文関跡」。
「昔、通行税をとったところです」とある。
この辺りから「那智の滝」が見えたはずなの
だが、写真を撮っていなかった。
2011/4/6(9:03)
「唐斗石」。
「祈り石です」とある。岩石の上に小石を置き
願をかけたという。
2011/4/6(9:06)
267段。約600mの石畳も、そろそろ終わり
に近づいてきた。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/6(9:09)
「大門坂」の頂上「大門跡」に到着。
ちょっとした広場になっており、かつては、
ここに「仁王像」が立つ大門があったという。
2011/4/6(10:25)
「晴明橋の石材」。
「大門跡」の近くにある。ここから「熊野那智
大社」、「青岸渡寺」そして「那智の滝」を見た
帰りに撮影した写真になります。
第65代「花山天皇」が那智山で「千日御参籠苦
行」の際に、お供した「安倍晴明」がこの付近に
庵を結び、庵を「晴明堂」、庵近くの橋を「晴明
橋」と呼んでいた。その「晴明橋」の石材を、
駐車場をつくるために、この場所に移したと
いう。
2011/4/6(10:26)
「大門跡」に戻る。
今度は、「大門坂」を下る。
2011/4/6(10:48)
「大門坂」を下り終え、「夫婦杉」の手前で、
左へとショートカットの道に入る。
下には県道が見えている。
2011/4/6(10:51)
「曼荼羅の郷河川公園」の駐車場に到着。

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