谷瀬の吊り橋

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2019/4/24(15:33,15:34)
「谷瀬の吊り橋」の東詰(十津川左岸:上野地地区)。
「谷瀬(たにぜ)の吊り橋」は、吉野郡十津川村を流れる「十津川」に架かる橋である。
村としての面積日本一といわれる「十津川村」。「谷瀬の吊り橋」は、同じ村内でも、
十津川村役場から国道168号線を北に22km程走った「上野地地区」にあり、
生活用吊り橋(村道)として、対岸の「谷瀬地区」との間を結んでいる。
昭和29年(1954)、地元の住民が出資して建設したという鉄線の吊り橋は、長さ297m。
生活用吊り橋としては日本一の長さを誇り、川からの高さは54m。幅2m程である。
基本的には歩行者専用だが、地元の郵便配達員などは、バイクに乗ったまま橋を渡ることも
あるという。(注:観光客が二輪車で橋を渡るのは禁止されている)
近年、橋からの眺望や、渡る時のスリル感から観光の名所としても知られるようになり、
ゴールデンウィークやお盆などは、一方通行規制が行われる程だという。
左の写真、坂の上に「上野地駐車場(有料)」があり、吊り橋は、右肩の方向にある。
左の写真をクリックすると「谷瀬の吊り橋」の案内板(650x650)が表示されます。
右の写真は、吊り橋の東詰にある展望台。
右の写真をクリックすると東詰の展望台から撮る「谷瀬の吊り橋」が表示(600x450)されます。
2019/4/24(15:35)
東詰から見る「谷瀬の吊り橋」。
頭上の横断幕には、「一度に、20人以上は、
渡れません」等と書かれる。
なお、その他渡橋の注意事項については、
次の写真で紹介します。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2019/4/24(15:35)
「谷瀬の吊り橋」を渡る。
写真奥が、十津川右岸(谷瀬地区)。
「十津川」は、写真右から左の方向に流れる。
写真をクリックすると「谷瀬吊橋渡橋注意」の
案内板(800x650)が表示されます。
2019/4/24(15:36)
橋の東詰(十津川左岸:上野地地区)を振り返る。
写真、右に立つ建物は、食事とお土産の「たにせ」。
2019/4/24(15:37)
橋の上から見る、「十津川」上流方向。
2019/4/24(15:37)
橋の上から見る、「十津川」下流方向。
2019/4/24(15:38)
橋の中央付近で見る、十津川右岸(谷瀬地区)。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/4/24(15:38)
橋の中央付近で見る、十津川左岸(上野地地区)。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/4/24(15:38)
橋の中央付近で見る、十津川左岸(上野地地区)。
2019/4/24(15:39)
橋の中央付近で見る、十津川右岸(谷瀬地区)。
2019/4/24(15:42)
橋の西詰(十津川右岸:谷瀬地区)に到着。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/4/24(15:45)
「つり橋茶屋」。
「谷瀬の吊り橋」西詰めに建つ。
自家製ゆずシャーベットやコーヒー、甘酒等の
喫茶・軽食と地元手作りのお土産品を扱う
地元経営の店だが、営業は土日祝のみである。
また、橋の西詰に掛かる案内板には、「十津川」
右岸の地図が描かれ、1.6km離れた場所にある
展望台などが紹介されている。
写真をクリックすると「ゆっくり散歩道」の
案内板が表示されます。
この画像は、1,200x600ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/4/24(15:45)
「つり橋茶屋」の掲示板。
掲示板には、周辺の宿泊施設の他、「谷瀬」を
紹介するポスターや新聞の切り抜き等が並ぶ。
2019/4/24(15:48)
「つり橋茶屋」のベランダから見る
「谷瀬の吊り橋」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/4/24(15:49)
再び橋を渡り、十津川左岸(上野地地区)に向かう。
2019/4/24(15:52)
橋の上から見る「十津川」の下流方向。
明治22年(1889)の大水害までは、
この広い川原には集落や耕地があったのであろう。
2019/4/24(15:52)
橋の上から見る「十津川」の上流方向。
写真左下は、「吊り橋の里キャンプ場」。
更に上流には、オートキャンプ場もある。
2019/4/24(15:55)
橋の東詰(十津川左岸:上野地地区)に戻る。
十津川村観光協会のHPによると、
この「谷瀬の吊り橋」は、洪水の度に流される
丸木橋に困っていた村人達が、当時の教員の
初任給が7800円、米10kgが765円の時代に、
1戸当り20~30万円という大金を出し合い、
800万円の大吊り橋を造ったとある。
当時の村人達の吊橋架橋に対する強い想いと、
各家が集まり助け合う絆の強さに敬服である。
2019/4/24(15:55)
「谷瀬の吊り橋」の東詰に立つ主塔。
写真は、駐車場に戻る途中、振り返って撮影。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。

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