高松塚古墳

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2019/04/22(15:55,15:56)
「国営飛鳥歴史公園館」の案内板と駐車場。
昭和47年(1972)、鮮やかに彩色された壁画が発見されたことで、一躍注目されるようになった
「高松塚古墳」は、近鉄吉野線「飛鳥駅」から東南東に約800m。
高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園「高松塚周辺地区」にある。
古墳が造られたのは、7世紀末から8世紀初頭とされ、下段の直径が23m、上段が18m、
高さが5mの二段式の円墳である。
昭和37年(1962)頃、「農作物(生姜)」を貯蔵する穴を掘っていた村人が、
古い切石を発見したことから、昭和45年(1970)、近くに遊歩道建設を計画した明日香村は、
県立橿原考古学研究所に調査を依頼。盗掘孔の残る石室の中から発見されたのが、
彩色が鮮やかに残る壁画である。この、教科書を塗り替えることにもなる、考古学史上の
大発見となった高松塚古墳は特別史跡に、極彩色壁画は、国宝に指定されている。
写真の「国営飛鳥歴史公園館」は、県道209号「野口平田線」の西側にあり入館無料。
「飛鳥」の史跡と歴史を展示パネルやアニメーション、ジオラマ等を用いて紹介する。
また、「高松塚古墳」は、県道を渡った東側にある。
左の写真をクリックすると「高松塚周辺地区」の案内図が表示されます。
この画像は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/04/22(15:56)
「高松塚古墳」をモチーフにした花壇。
3枚の板石には、高松塚古墳から発掘された
壁画を模した男女像や月・星などが刻まれる。
写真をクリックすると「3枚の板石」を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2019/04/22(15:57)
「国営飛鳥歴史公園館」。
2019/04/22(16:00)
「国営飛鳥歴史公園館」の館内。
「国営飛鳥歴史公園」の中心施設として、
「高松塚周辺」の他にも、「キトラ古墳周辺」、
「甘樫丘地区」、「石舞台地区」、「祝戸地区」と、
公園内計5地区の施設や催し物の案内をはじめ、
四季折々の「飛鳥」等も紹介している。
2019/04/22(16:03)
「猿石(模造)」
「飛鳥」には、造られた目的のはっきりとしない
奇妙な形の「石造遺物」、約20体が点在する。
写真の「国営飛鳥歴史公園館」入口脇に
展示される「猿石(模造)」は、この場所から
北西500m程に位置する「吉備姫王墓」の
敷地内にある4体の「石造遺物」の内の1体である。
写真をクリックすると「猿石(模造)」を切抜く
画像(600x450)が表示されます。
2019/04/22(16:16)
「高松塚古墳」への入口。
県道西側の「国営飛鳥歴史公園館」と
東側にある「高松塚古墳」との間には、
地下道がある。
2019/04/22(16:16)
「芝生広場」の西(県道)側。
「芝生広場」を右に見ながら、写真奥へと歩く。
2019/04/22(16:20)
「芝生広場」の東(古墳)側。
古墳と壁画館へは、写真中央の階段が近道だが、
写真左の道(迂回路)は、階段がなく、車椅子の
走行が可能で、途中には公衆トイレがある。
2019/04/22(16:23)
「高松塚古墳」へと歩く。
古墳の手前には、発掘された壁画の模写を
展示する「高松塚壁画館」がある。
2019/04/22(16:24)
「高松塚壁画館(有料)」。
国宝に指定される「壁画」は、現状保存のため
公開期間中を除き、一般には公開されていない。
そのため、古墳の隣接地に壁画館を建設。
石槨内部の模型と壁画を原寸・原色で忠実に
再現した「現状模写」や、赤外線、顕微鏡写真等を
元に見やすくした「一部復元模写」を展示する他、
石室から出土した副葬品のレプリカ等を展示。
館内には、解説モニターが設置され、学芸員や
ボランティアガイドが常駐する。
なお、館内は写真撮影禁止となっているため、
展示される「壁画(模写)」等は紹介できない。
2019/04/22(16:32)
「星宿広場上展望台」。
古墳の周りは、壁画に描かれた「星宿」を
モチーフにした「星宿広場」として整備され、
広場南側の高台(写真)は、「星宿広場上
展望台」と呼ばれている。
2019/04/22(16:33)
「星宿広場上展望台」。
ベンチの奥には、「高松塚古墳」が見えている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/04/22(16:35,16:35)
「高松塚古墳」。
壁画が描かれた「石室」は、南北約265cm、東西約103cm、高さ約113cm。
石室の東西北3面の壁と天井の計4面の切石には厚さ数ミリの漆喰が塗られ、
その上に、男子群像や女子群像、四神の青龍や白虎、太陽や月などが描かれ、
特に西壁に描かれた女子群像は色彩鮮やかで、学校の教科書などにも載る。
この壁画は、「石室」に空調設備を備える等、古墳内に保存されていたが、退色や変色が顕著になり、
平成19年(2007)、石室を一旦解体。現在は、石室ごと仮設修理施設に移され保存修理されている。
修理完成後は、古墳全体を断熱覆屋で囲み、元の古墳内に戻される計画であったが、
「研究や保存のための新施設設置が必要」等の指摘もあり、継続検討されているが、
「当分の間は、古墳の外で保存管理・公開」という方針だという。
左の写真をクリックすると「高松塚古墳」の前に立つ案内板から「古墳の説明」を
切抜く画像(900x650)が表示されます。
右の写真をクリックすると「高松塚古墳」の前に立つ案内板から「西壁女子群像」や
「発掘前の高松塚古墳」が載る部分を切抜く画像が表示されます。
この画像は、1,000x1,400ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/04/22(16:38)
「高松塚古墳」。
「古墳(石室)」の被葬者は、諸説あるが
特定されていないという。
また、鎌倉時代頃に盗掘にあっていたが、
副葬品の一部や木棺の破片が残っていた。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/04/22(16:43)
「芝生広場」まで戻る。
散歩する人や、遊ぶ子供の姿もあり、
近隣住民にも身近な公園として、
利用されているようである。
2019/04/22(16:47)
県道手前右に、「中尾山古墳」入口。
先を急ぐため「中尾山古墳」は、寄らずに
パスしてしまったのだが、墳丘が三段構造で、
八角形に築造された「八角墳」だという。
一時期は「円墳」と記されたこともあり、
はっきりとした八角形ではないのであろうが、
一度は、見ておくべきであったかと、
心に残る「古墳」である。

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