国営飛鳥歴史公園
「キトラ古墳周辺地区」

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2019/04/23(6:36,6:36)
「檜隅寺跡前休憩案内所」と案内所の裏から見る景色。
昭和58年(1983)、我が国2例目の壁画古墳として、極彩色壁画が発見された
「キトラ古墳」は、近鉄吉野線「飛鳥駅」から南南東に約1.7km。
高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園「キトラ古墳周辺地区」にある。
古墳が造られたのは、高松塚古墳と同じ7世紀末から8世紀初頭とされ、
下段の直径が13.8m、上段が9.4m、高さ3.3mの二段式の円墳である。
左の写真、「檜隅寺跡前休憩案内所」は、「キトラ古墳」から、北北西に600m程離れた、
場所にあり、建物内には、情報案内コーナー、展示コーナー、休憩コーナーとトイレがある。
右の写真、案内所裏の畑地に建てられた、2棟の「たて穴式住居」の周囲には、
この日、黄色い「菜の花」が咲き、雰囲気の良い景色となっていた。
また、案内所の建物裏には、「展望テラス」があり、ベンチに坐りながら、
右の写真に写る景色を楽しむことができる。
左の写真をクリックすると「キトラ古墳周辺地区」の案内図が表示されます。
この画像は、1,200x1,200ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2019/04/23(6:45)
「檜隅寺跡前休憩案内所」から「キトラ古墳」に
向かう途中で見る「農体験小屋」と「体験工房」。
写真左奥に写る「農体験小屋」は、隣接する
「五穀の畑」や「キトラの田んぼ」での
農作業体験の基地として活用できる。
また、右の「体験工房」では、飛鳥時代の
製法で作る「古代ガラス」や「勾玉」等の
製作体験ができる。
2019/04/23(6:52,6:52)
「キトラ古墳壁画体験館(別館)」と「四神の広場」。
「キトラ古墳」の壁画は、発掘後の小型カメラによる探査で、カビの発生等により、
危険な状態にあることが明確となったため、損傷の激しいものから順次剥ぎ取り、
現在では、全ての壁画を、「キトラ古墳壁画体験館(本館)」の中にある文化庁の施設で、
修理と保存管理。出土品を常設展示すると共に、期間限定(事前登録制)で、壁画公開を行っている。
左の写真は、「キトラ古墳壁画体験館」の別館だが、道路東側に建つ本館と地下道で繋がる。
右の写真、「四神の広場」では、各種イベントが開催されると共に、周辺散策時等の
休憩場所としても利用できる。
両写真共、クリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2019/04/23(6:53)
「キトラ古墳案内図」。
写真をクリックすると「キトラ古墳」周辺の
案内図を切抜く画像が表示されます。
この画像は、800x800ピクセルあります。
案内図の文字を読みたいときには、
表示された画像をクリックし、
スクロールバーをご利用下さい。
2019/04/23(6:54)
「キトラ古墳」に向かう。
2019/04/23(6:55,6:56)
「キトラ古墳」の案内板と「古墳地形復元模型」。
「キトラ古墳」の「石室」は、奥行き2.4m、幅1m、高さ1.2m。
鎌倉時代頃に盗掘にあっていたが、副葬品の一部と木棺の破片や人骨などが出土している。
石室の側壁と、天井、床面には全面に漆喰が塗られ、その上に、四神や十二支、天文図などの
極彩色壁画が描かれていた。
高松塚古墳では、南壁に描かれていたであろう「朱雀」が、盗掘により失われているが、
「キトラ古墳」では、青龍、朱雀、白虎、玄武の「四神」全てが揃う。
また、天井に描かれる天文図は、星の総数277個におよぶ本格的な中国式星図で、
現存するものでは、東アジア最古の天文図といわれている。
左の写真をクリックすると「キトラ古墳」の説明部分を切り抜き整形した画像が表示されます。
この画像は、1,320x900ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。
2019/04/23(6:56)
「キトラ古墳」。
「古墳(石室)」の被葬者は、出土された
人骨や歯牙から50~60歳代の男性とされるが、
人物は特定されていない。
平成25年(2013)、調査を完了した石室は、
「キトラ古墳石室の盗掘口を閉塞する」の
文字を刻んだ銅板を付けた凝灰岩で封印。
墳丘面全体に保護盛土を施す等、
平成27年(2015)、古代の地形(大きさ)に
復元されている。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/04/23(6:57)
「キトラ古墳」から往路を振り返る。
「キトラ古墳壁画体験館(本館)」から
「キトラ古墳」に至る途中には、壁画に描かれた
四神や天文図などが、実物と同じ大きさで
写し取れる「乾拓板」が並ぶ。
写真をクリックすると「乾拓板」が並ぶ周辺を
切抜く画像(600x450)が表示されます。
2019/04/23(6:59)
「乾拓板」の使い方。
写真をクリックすると「乾拓板」の使い方部分を
切り抜き整形する画像(600x600)が表示されます。
2019/04/23(6:59)
「玄武」の乾拓板。
写真をクリックすると「玄武の乾拓板」を
切り抜き整形する画像(600x450)が表示されます。
2019/04/23(6:57)
「キトラ古墳」南側の鑑賞広場。
「キトラ古墳」の南側は、「古墳鑑賞広場」として
遊歩道等が整備されている。
2019/04/23(7:01)
「キトラ古墳壁画体験館(本館)」まで戻り、
体験館北側の「展望台」へと登る。
2019/04/23(7:03)
「展望台」の案内板。
展望図の下には、「キトラ古墳の石室などで
使われる石材は、直線距離で15km離れた、
二上山から人力で運ばれた」とある。
2019/04/23(7:05)
展望台から見る「四神の広場」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/04/23(7:05)
展望台から見る「体験工房」と「農体験小屋」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2019/04/23(7:04)
「展望台」から見る景色。
眼下に、「四神の広場」。写真左には、「二上山」。右の方向には、「高松塚古墳」がある。
2019/04/23(7:03)
「展望台」の案内板に描かれる「展望図」。
この展望図の、左3/4程が、上のパノラマ写真に対応する。
展望図にも「檜隅寺跡」と書かれ、本ページ冒頭で紹介している「檜隅寺跡前休憩案内所」の
隣接地にあった「檜隈寺」は、7世紀に建立された「東漢氏(やまとのあやうじ)」の氏寺で、
日本に移り住んだ「渡来系氏族」が建立し、経営した寺院であった。
礎石等の遺構調査から、北から南に講堂、塔、金堂が並ぶ伽藍配置をなしていたことが
解明されているが、当時の建物はなく、跡地には「東漢氏」の祖神を祀る「於美阿志神社」が建つ。
(注)展望図に書かれる場所の名前は不鮮明で読めなかったため、名称を上書きしています。

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