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2016/3/29(13:20,13:22) 「韮山反射炉」の駐車場と、反射炉の脇を流れる「古川」。 「韮山反射炉」は、静岡県伊豆の国市にあり、日本に現存する反射炉としては、山口県の「萩反射炉」と合せ 2つしかない「反射炉」の内の1つである。 「萩反射炉」に残るのは、煙突部分のみであるが、この「韮山反射炉」では、当時の姿をほぼ完全な形で 残しており、平成27年(2015)には、「明治日本の産業革命遺産」として、世界文化遺産に登録されている。 左の写真、ほぼ中央付近には、「韮山反射炉」の煙突部分が写る。 左の写真をクリックすると「韮山反射炉」の説明板が表示されます。 この説明板は、600x900ピクセルあります。 説明板の文字を読みたいときには、表示された画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 右の写真、奥の建物は、「反射炉物産館たんなん」と「反射炉ビヤ直営レストラン ほむら」。 大砲を造るには、砲身をくり抜く必要があり、この動力源として「古川」の水力が利用されていたという。 右の写真をクリックすると「史跡韮山反射炉と韮山古川」の案内板(800x600)が表示されます。 なお、山口県の「萩反射炉」については、以下のページで紹介しています。 山口県の「萩反射炉」のページへ |
2016/3/29(13:23) チケット売場を入ったところから見る「韮山反射炉」。 耐火レンガを積み上げた煙突の高さは、約16m。 敷地内には、「反射炉」の他、大砲を製造する 「製砲工場」としての建物があったが、現在残るのは 「反射炉」のみである。 写真をクリックすると文久3年に書かれた「古地図」が 表示(800x650)されます。 上の写真を撮影した「チケット売場」は、表示される 「古地図」の「裏門」の辺りにある。 |
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2016/3/29(13:26) 「韮山反射炉」。 「韮山反射炉」は、南北にそれぞれ2炉を持ち、 合計4つの炉をL字型に配置。全ての「出湯口」が 同じ方向を向くため、大きな大砲を鋳造するときなどは、 4つの溶解炉を同時に稼動させ、流れ出す「鉄湯」を 1つの「鋳型」に注ぐ「合せ湯」が可能であった。 写真の煙突は、左から、「南B炉」「北B炉」「北A炉」。 なお、煙突を覆う鉄骨製のトラスは、耐震補強のために、 設けられたもので、創業当時は、煉瓦の上に漆喰を 塗り込めた「白亜の塔」であったという。 写真をクリックすると「反射炉」と「鋳台」の 配置図(600x600)が表示されます。 |
2016/3/29(13:26,13:28) 「出湯口」と「鋳台」。 左の写真、右手前の砂利が敷かれた地下には、大砲を鋳造するための「鋳型」を置いた、 「鋳台(いだい)」の遺構が保存されている。 「鋳台」の周りには、4つの炉が、左から「南B炉」「南A炉」「北B炉」「北A炉」と並ぶ。 右の写真、色の濃い部分には、各3つずつの穴が空き、一番上の「方穴(四角の穴)」から、溶けた鉄を かき混ぜ、溶解した鉄の上部にたまったカスを「出滓口(上の丸穴)」、溶けた鉄を「出湯口(下の丸穴)」から 取り出したという。 「韮山反射炉」で造られた大砲は、品川沖に作られた「お台場の砲台」に据えられ、元治元年(1864)に 反射炉の使用が中止されるまでのほぼ7年の間に、大小の大砲数百門が鋳造されたというのだが、 正確な数は分からず、「資料によって確認できるのは、18ポンド砲2門だけ」という説もある。 左の写真をクリックすると「鋳台」の説明板(600x450)が表示されます。 |
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2016/3/29(13:29) 反射炉の「焚口(左)」と「鋳口(右)」。 「焚口」から入れた燃料が燃えた熱は、アーチ型の 天井に反射し、銑鉄が置かれた「鋳口」の辺りで 一点に集中され、鉄の溶解温度(千数百度)を得る 構造から「反射炉」と呼ばれる。 写真をクリックすると「炉体の構造」の案内板が 表示されます。 この案内板は、800x800ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された 画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2016/3/29(13:30) 「焚口(たきぐち)」。 石炭などの燃料を入れるための穴である。 写真をクリックすると「焚口」の説明板(600x600)が 表示されます。 |
2016/3/29(13:31) 「鋳口(いぐち)」。 溶解させる「銑鉄」を入れるための穴であり、 天井に反射した燃焼ガスが集合し、最も高温になる 位置にある。 写真をクリックすると「鋳口」の説明板(600x600)が 表示されます。 |
2016/3/29(13:32) 「焚所風入口、灰穴」。 炉の中へ風を送り込むための「焚所風入口」と 燃えた燃料の灰を落とす「灰穴」のある場所で、 「煙突」や「出湯口」の反対側にある。 写真をクリックすると「焚所風入口、灰穴」の 説明板(600x600)が表示されます。 |
2016/3/29(13:32) 「焚所風入口、灰穴」の側から見る「南炉」。 「焚所(炉)」を間に挟み、「煙突」は、写真奥に立つ。 |
2016/3/29(13:33) 「反射炉碑」。 「韮山反射炉」は、経年劣化や地震などにより、 幾度もの保存事業が行われている。 この碑は、大正15年(1926)、市民を中心とする 「韮山反射炉保勝会」により設置されたという。 写真をクリックすると「韮山反射炉を守る取り組み」の 案内板が表示されます。 この案内板は、1,200x900ピクセルあります。 案内板の文字を読みたいときには、表示された 画像をクリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2016/3/29(13:33) 「青銅製二十九拇臼砲(モルチール砲)」。 「臼砲(モルチール砲)」は、砲弾を放物線状に発射して 城郭などを破壊するために使われたという。 また、「拇(ドイム)」は、オランダで使われていた 長さの単位で、現在のcmとほぼ同じであったという。 |
2016/3/29(13:34) 「鉄製24ポンドカノン砲」。 「韮山反射炉」で最も多く鋳造されていたといわれる 「大砲」を、古図を元に復元したという。 |
2016/3/29(13:35) 「反射炉詩碑」。 |
2016/3/29(13:36) 「焚所風入口、灰穴」の側から見る「北炉」。 写真手前に、「北A炉(左)」、「北B炉(右)」。 「北B炉」の右奥には、「南A炉」が立つ。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2016/3/29(13:36) 「南A炉」。 写真では、左から、「煙突」、「鋳口」、「焚口」の 位置関係がよく分かる。 |
2016/3/29(13:39) 敷地内に造られた「池」。 この「池」は、「古川」の水を利用した「水車」や、 「錐台小屋」などが建てられていた場所にある。 |
2016/3/29(13:40) 「池」と「反射炉」。 |
2016/3/29(13:41) 「池」と「チケット売場」の間付近にて。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/3/29(14:02) 「江川太郎左衛門像」と「反射炉」。 「江川太郎左衛門像」の前は、記念撮影の場所に なっており、ポスターには「お手持ちカメラのシャッター 押します!」とある。 「江川太郎左衛門」は、当地「韮山」で38代続いた 「江川家」当主の通称であり、中でも36代目「江川 英龍(号は坦庵)」は、幕府に江戸湾防備の具体案を 建言。品川沖に台場を構築し、反射炉築造に着手。 日本に西洋砲術を普及させた人物であるが、 日本で初めてパンを焼いた人物としても知られ、 「反射炉物産館たんなん」では、「日本で最初のパン、 パン祖のパン」が売られている。 |