おはらい町通り(旧参宮街道)

「皇大神宮(内宮)」に参拝するときは、何とか時間を工面してでも、
「おはらい町通り(旧参宮街道)」を歩くことをお勧めしたい。
「宇治橋」から北(下流)に五十鈴川に沿って約800mの「おはらい町通り」は、
切妻・入母屋・妻入り様式の建物が軒を連ね、江戸時代に迷い込んだような趣の中に
「土産物屋」、「食事処」や「歴史館」等があり、風情ある散歩を楽しむことができる。

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2011/4/4(12:07,12:08)
「宮城道雄記念碑(左)」と「伊勢市営浦田駐車場」。
この日は、「皇大神宮(内宮)」まで10分ほど歩くことになるが、途中に「おはらい町通り
(旧参宮街道)」のある、「伊勢市営浦田駐車場」を利用した。
平日であったが、駐車場は既に満車状態。ようやく1台の空きを見つけ、止めることができた。
「宮城道雄」は、8歳で失明した神戸市生まれの作曲・箏曲家で、昭和22年(1947)に伊勢を
訪問したときの印象を元に「五十鈴川」を作曲。記念碑は、「伊勢市営浦田駐車場」の中にある。
 

2011/4/4(12:10)
「内宮おかげ参道(地下道)」入口。
「伊勢市営浦田駐車場」と「おはらい町通り
(旧参宮街道)」を結ぶ地下道で、「伊勢市営
浦田駐車場」の近くにある。

2011/4/4(12:10,12:11)
「伊勢参宮道・おかげ参り抜け詣の図」。
「内宮おかげ参道(地下道)」の中にある。
昭和48年、香川県の画家「門脇俊一」によって制作。全長80メートルに及ぶ陶板製の屏風絵で、
約300年前の伊勢参りの風景(京都の三条大橋を出て、伊勢内宮参拝までの5日間の旅)が
描かれている。
2011/4/4(12:13)
「おはらい町通り(旧参宮街道)」。
写真左中央辺りに「五十鈴塾」。
2011/4/4(12:17)
「神宮道場」。
神宮司庁の旧庁舎を、昭和51年(1976)に
「神宮道場」と改称。現在では、神職や神職を
志す学生の研修施設として使われている。
2011/4/4(12:19)
「おはらい町通り(旧参宮街道)」。
写真右手前に「五十鈴川郵便局」。
2011/4/4(12:24)
「新橋」。
「おはらい町通り(旧参宮街道)」中央付近の
「五十鈴川」に架かる。
2011/4/4(12:50)
途中で昼食を済ませ、「皇大神宮(内宮)」に
向かう。
さすが「伊勢神宮」。平日だというのに、
この人手である。
2011/4/4(14:43)
「おかげ横丁」の案内図。
「おかげ横丁」は、「おはらい町通り(旧参宮
街道)」中央付近西側にある。
図は、西方向が上に描かれており、下に流れる
川が「五十鈴川」。その中央付近に架かる橋が
「新橋」である。
この写真からは、「皇大神宮(内宮)」を参拝
した帰りに撮影しています。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/4(14:45)
「太鼓櫓」。
週末、朔日詣(ついたちもうで:毎月一日に
早朝から神宮へお参りし、清らかな気持ちで
その月をはじめる)等には「太鼓櫓」の下で、
「神恩太鼓」が演奏される。
この写真からは、「おかげ横丁」の中で撮影して
います。
2011/4/4(14:48)
「おかげ座」。
「おかげ座」は、約300年前の「おかげ参り」
の様子を再現した歴史館で、中には、「歴史館
(映像シアター)」と「テーマ館(町並み)」が
ある。
2011/4/4(14:49)
「おかげ座」の前にある「口上」。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/4(14:56)
「太鼓櫓」を右に、「おはらい町通り」の方向を
見る。
少し待つと、15時から「神恩太鼓」の演奏が
始まるため、ベンチに座って待つ。
2011/4/4(15:03)
「神恩太鼓」の演奏が始まった。
たった一人だけでの演奏であったが、その迫力
(音量)は相当なものだ。
写真をクリックすると、別のアングルから
撮影した拡大写真が表示されます。
2011/4/4(15:15)
「おかげ横丁」から「おはらい町通り(旧参宮
街道)」に戻った辺りで撮影したものと
思われる。
2011/4/4(15:20)
「五十鈴塾」。
五十鈴塾では、「暮らしの中にある日本を、
もういちど知りたくて」をテーマに、
「特定非営利活動法人」により各種講座が
運営されている。

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