皇大神宮(内宮)

一般に「お伊勢さん」とか「大神宮さん」と呼ばれる「伊勢神宮」は、
「皇大神宮(内宮)」と「豊受大神宮(外宮)」を御正宮として、
別宮、摂社、末社、所管社、合わせて125社の神社の総称であり、
正式な称号は、「伊勢神宮」ではなく、「神宮」である。

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2011/4/4(13:00)
「おはらい町通り」を抜けると、「宇治橋鳥居」
前の広場に出た。
「皇大神宮(内宮)」は、神宮の中心であり、
「豊受大神宮(外宮)」よりも一段と格が高く、
この場に立つだけでも、格式の高さというものを
感じる。

2011/4/4(13:01)
「宇治橋鳥居」横にある案内板。
「皇大神宮(内宮)」では、皇室の御祖神である
「天照大御神」をお祀りする。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。

2011/4/4(13:02)
「宇治橋」を渡る。
「聖界」と「俗界」とを分ける橋である。
この「宇治橋」も、20年毎に建て替えられ、
橋の内と外にある「鳥居」は、旧御正殿の
「棟持柱」を再利用しているという。

2011/4/4(13:07)
「宇治橋」を渡り直進。左手に「神宮司庁」を
見送ると、その先に「子安神社(手前)」と
「大山祗神社(奥)」がある。
「子安神社」は、皇大神宮所管社で、子授け、
安産、厄除けの神として信仰のあつい
「木華開耶姫命」を祀る。
2011/4/4(13:08)
皇大神宮所管社「大山祗神社」。
神路山の守り神「大山祗神」を祀る。
2011/4/4(13:10)
「宇治橋」に向け、来た道を戻る。
2011/4/4(13:10)
「大山祗神社」から「宇治橋」に向け歩くと、
参道の右側に、枝の上に他の木から持ってきた
枝を垂直に立てたような形の木を見かけた。
全く知識がないのだが、自然にこのような形に
なったとは思えず、見てもらうためにこのような
形を作ったのか?。それとも災害とか害虫駆除の
ため等で仕方なくこのような形にしたのか?
分からないが、何れにしても「このような形の木
が、もっと全国的に広まっても良さそうなのに。
なぜ?」と思うのは、私が知らないだけなのだろ
うか?
写真をクリックすると、縦に撮影した拡大写真が
表示されます。
2011/4/4(13:12)
「神宮」の内側(聖界)から見る「宇治橋」。
外(俗界)から神宮に入ってくると「宇治橋」を
渡り、左に少し降りたところに、
この撮影ポイントはある。
「宇治橋」を撮るには、最高のポイントなの
だが、参拝目的では「宇治橋」を渡るとすぐに
右方向へと進んでしまうため、気が付かない方が
多いのではないかと思う。
2011/4/4(13:14)
「神宮」中心部に向け、広々とした神苑(神社に
付属する庭園)の中を歩く。
2011/4/4(13:18)
「皇大神宮(内宮)」宮域図。
写真をクリックすると拡大写真が表示されます。
2011/4/4(13:19)
「火除橋」を渡る。
2011/4/4(13:20)
「手水舎」。
「手水舎」で、手を洗い口をすすぐのは、
川や海の中で行う禊(みそぎ)を簡略した
ものだという。
少し先には、五十鈴川の「御手洗場」が
あるので、「御手洗場」で、禊(みそぎ)を
行うのが正しい参拝のやり方のようだ。
2011/4/4(13:21)
「第一鳥居」。
2011/4/4(13:22)
五十鈴川「御手洗場」。
五十鈴川岸の御手洗場で、ここに敷き詰められた
石畳は、元禄5年(1692)徳川綱吉の生母、桂昌院
が寄進したものといわれている。
参道は、ここで左に曲がり「御正宮」の方向に
向かう。
2011/4/4(13:23)
「第二鳥居」。
2011/4/4(13:24)
「内宮神楽殿」授与所前広場。
左に見える建物で、御祈祷の受付やお札・お守り
などの授与を行っている。
2011/4/4(13:25)
「御饌殿(左)」と「神楽殿(右)」。
正面から見る「神楽殿」は、「御正宮」からの
帰り(14:01)に撮影しています。
2011/4/4(13:27)
「五丈殿(右の建物)」。
奥の建物は、「神楽殿」。
「五丈殿」では、雨天の折に、お祓いや遙拝、
皇大神宮の摂末社遙祀の祭典等が行われる。
2011/4/4(13:29)
「忌火屋殿」。
諸祭典の「神饌(神社や神棚に供える供物)」を
調理する所。
忌火とは清浄な火ということであり、木と木を
すり合わせて発火させる。神事をはじめ全ての
火は、この忌火を使用している。
2011/4/4(13:31)
皇大神宮所管社「御稲御倉」。
「忌火屋殿」の先で、左に曲がり「荒祭宮」に
向かう途中にあり、御稲御倉守護の神を祀る。
2011/4/4(13:31)
「外幣殿」。
古くは皇后陛下・皇太子殿下の幣帛や古神宝類が
納められていたが、現在は古神宝類が納められて
いる。
2011/4/4(13:33)
前方には「荒祭宮」が見えている。
2011/4/4(13:34)
皇大神宮別宮「荒祭宮」。
ご神霊は、その働きから「和御魂」と「荒御魂」
に分けられるが、「荒祭宮」では、積極的・
進取的・活動的なご神霊「天照大御神荒御魂」を
祀る。
2011/4/4(13:40)
「巨木」と子供たち。
「荒祭宮」での参拝を終え、「御正宮」への
道に戻る途中で見かける。
木が子供たちに語りかけるのであろうか。
子供たちは、教えなくても、この木の持つ
パワーを十分に理解しているようで、両手を広げ
抱きついたり、耳を当てたりして、木の持つ
パワーを少しでも吸収しようとしているかの
ようであった。
写真をクリックすると、縦に撮影した木全体の
写真が表示されます。
2011/4/4(13:41)
「御正宮」への道に戻る。
2011/4/4(13:45)
この階段の上に「御正宮」がある。
「内宮神楽殿」から「御正宮」方向に向かうと、
突き当りの左側に、この階段がある。
2011/4/4(13:45)
「御正宮」。
写真は「板垣南御門」。
この中に「御正殿」があり、「板垣南御門」から
中は撮影が禁止されている。
内側に見えるのが「外玉垣南御門」。
一般の参拝はここで行い、この門の中に入れる
のは「正式参拝」の方だけである。
「御正殿」は、内側から「瑞垣」「内玉垣」
「外玉垣」「板垣」の4重の御垣で囲まれ、
御垣の中には「御正殿」の他に「東宝殿」
「西宝殿」「四丈殿」等の建物がある。
2011/4/4(13:53)
「新御敷地」。
御正殿を始め御垣内の建物は、20年に1度の
大祭、「神宮式年遷宮」により、建て替えられ
る。このときに、新しい建物(新宮)を建てる
ための用地である。
次回の建て替えは、第62回神宮式年遷宮で、
平成25年(2013)に予定されている。
2011/4/4(14:01)
「神楽殿」。
「神宮」の御祈祷は、一般的な御祈祷である
「御饌」と、これに雅楽と舞(神楽・舞楽)が
加わる「神楽」の2種類がある。
江戸時代、国民の6人に1人が神宮にお参りした
という「お蔭参り」。この「お蔭参り」で人々の
一番のあこがれは、伊勢で「大々神楽」をあげる
ことだったという。
2011/4/4(14:03)
「内宮神楽殿」授与所前広場から見る
「風日祈宮橋」。
「内宮神楽殿」授与所の南側にあり、この橋を
渡ると「風日祈宮」がある。
2011/4/4(14:06)
皇大神宮別宮「風日祈宮」。
豊受大神宮(外宮)別宮の風宮と御同神である
「風の神」を祀る。
2011/4/4(14:08)
「風日祈宮」からの帰りに見る「風日祈宮橋」。
2011/4/4(14:11)
南側から見る「内宮神楽殿」授与所。
「御正宮」に向かうときには、写真左方向にある
五十鈴川「御手洗場」から来たのだが、帰りは、
「内宮神楽殿」授与所に沿って、北の方向に歩き
少し近道をする。
2011/4/4(14:14)
「内御厩」。
「内宮神楽殿」授与所の前にある。
皇室から牽進された神馬が飼育され「国春号」と
あったが、この時は神馬の姿を見ることは
できなかった。
2011/4/4(14:17)
「外御厩」。
「皇大神宮(内宮)」の境内には、「火除橋」と
「御厩」が二つづつある。
これは、13時19分撮影とは異なる、もう一つの
「火除橋」を渡った先にある「外御厩」。
この神馬の名前は「晴勇号」とあった。
2011/4/4(14:23)
「神宮」参拝に向かう新入社員。
この日は、4月に入っての第一月曜日であった。
一流会社(人数的に見て)の入社式を終えた
ばかりの新入社員と思われる一団が「宇治橋」を
渡り終え、参拝に向かうところであった。

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