荘川桜

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2012/5/7(11:42)
「荘川桜(中野展望台)」駐車場。
「荘川桜」は、国道158号線沿い、「御母衣
(みぼろ)湖」湖畔の中野展望台に立つ。
本ページ作成時点で確認すると、この年の
「荘川桜」は、4月29日一気に開花し、5月
2日に満開。4日までが見頃であったようだ。
そして10日には葉桜になったという。
この日は、満開を過ぎた平日とあって、駐車場は
閑散としていた。

2012/5/7(11:43)
「MIBOROダムサイドパーク」の案内板。
「荘川桜」は、昭和35年(1960)「御母衣ダム」
の建設により湖底に沈もうとしていた巨桜2本
を、ダム湖脇に移植したもので、ダムを建設した
電源開発株式会社(Jパワー)により保守されて
いる。
ここから約10km北にある「ダムサイドパーク」
のPR館では、「荘川桜」の移植に関わる
エピソードなどが紹介されているとある。

2012/5/7(11:45)
「荘川桜」。
「荘川桜」は、ダム建設により水没する集落を
訪れた、電源開発株式会社の初代総裁「高碕達之
助」が、光輪寺境内にある老桜をみて、水没移住
する人々のよりどころにと移植を決意。
日本一の桜博士「笹部新太郎」に依頼し、
水没予定の集落にあった2本の老桜を移植した
もので、写真手前が「光輪寺の桜」。
奥が「照蓮寺の桜」。

2012/5/7(11:46)
「荘川桜」の根本付近の幹。
樹齢500年といわれる立派な幹である。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/5/7(11:48)
南側から見る「荘川桜」。
丁度この写真を撮影している辺りが、集合写真の
撮影ポイントのようだ。
2012/5/7(11:50)
「嘉念坊善俊役上人像」。
「嘉念坊善俊役上人」は、「照蓮寺」を開基した
という。
2012/5/7(11:51)
「照蓮寺の桜」。
「照蓮寺」境内から移植。
目通り4.85m。樹高21m。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/5/7(11:51)
「照蓮寺の桜」の幹。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/5/7(11:52)
「光輪寺の桜」。
2012/5/7(11:52)
「高碕達之助爺」の言葉が刻まれた石碑。
写真をクリックすると碑文が拡大表示(600x450)
されます。
2012/5/7(11:54)
「光輪寺の桜」の幹。
この角度からだと細く見えているが、目通りは、
5.45mある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/5/7(11:55)
「光輪寺の桜」。
「光輪寺」境内から移植。
目通り5.45m。樹高20m。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/5/7(11:55)
「荘川桜」の説明が書かれた石柱。
写真をクリックすると「荘川桜」の説明が
表示(450x600)されます。
2012/5/7(11:57)
「忠魂碑(手前)」と「荘川桜(奥)」。
2012/5/7(11:58)
「荘川桜移植事業」の説明板。
当時の写真を主に説明されている。
この説明板は、常設ではなく桜の咲く時期だけ
特別に設置されていると思われる。
2012/5/7(12:02)
「御母衣湖」。
「御母衣湖」は、湛水面積880ha。
総貯水容量3億7千万立法メートル。
「御母衣ダム」は、高さ131m。日本屈指の
規模を誇る「ロックフィルダム」である。
2012/5/7(12:04,12:05)
「御母衣電源神社」。
「荘川桜(中野展望台)」の駐車場から、国道158号線を挟んだ西側にある。

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