帰雲城跡

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2012/5/7(16:19,16:22)
「帰雲(かえりくも)城」は、寛正年間に「内ヶ嶋為氏」により築城されるが、
天正13年(1585)の大地震による、「帰雲山」の山崩れで埋没。
一族は全て死に絶えてしまったことから、城のあった正確な位置は、現在も特定されておらず、
この山崩れで埋まったとされる「埋蔵金伝説」があることで有名である。
左の写真をクリックすると「帰雲城」の説明(450x600)が表示されます。
右の写真をクリックすると「帰雲山」の崩壊跡と思われる場所が表示(600x450)されます。

2012/5/7(16:23)
「観音像」。

2012/5/7(16:23,16:21)
「帰り雲神社(左)」と、その由来(右)。
大地震で死に絶えたとされる一族(数百人)の霊を弔うため建立されたとある。
右の写真をクリックすると「帰り雲神社」の由来(600x450)が表示されます。
2012/5/7(16:21)
写真左右の標柱の位置から「帰り雲神社」の
方向を見ると、神社の石垣の中に「姫の横顔」と
「武将の面影」が見られるという。
どの石かを特定できなかったため、石の写真は
残せなかった。

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