明治村
(5丁目)

2015/10/26(11:33~13:01)
「明治村5丁目」。
本ページで紹介する建物等については、
地図上に書かれる番号を
赤い丸 で囲んでいます。
また、本文中では、建物等の名称の前に、地図上に
書かれる番号を
赤い数字 で記述しています。
画像をクリックすると「明治村5丁目」の地図が
拡大表示されます。
この地図は、1,200x620ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
なお、この地図は、「SL東京駅」で撮影した案内板から
該当部分を切り抜いています。
また、建物などの説明内容は、「SL東京駅」で購入した
「博物館明治村ガイドブック」を参考にしましたが、
この内容については、「博物館明治村」のHPにある
「エリア別建造物」のページにも掲載されています。
2015/10/26(11:33)
(51) 「聖ザビエル天主堂」。
 ・旧所在地:京都市中京区河原町三条
 ・建設年:明治23年(1890)
 ・解体年:昭和42年(1967)
 ・移築年:昭和48年(1973)
日本に渡来しキリスト教の伝道に努めた聖フランシスコ・
ザビエルが、かつて住んでいたことのある京都の地に、
フランス人神父の監督の下、本国から取寄せた
設計原案に基づき、日本人の手で建てられたという。
正面入口上に設けられた「薔薇窓」は、
直径が3.6mを超える。
2015/10/26(11:38)
(64) 「菊の世酒蔵」。
 ・旧所在地:愛知県刈谷市銀座
 ・建設年:明治初年(1868)頃
 ・解体年:昭和44年(1969)
 ・移築年:昭和58年(1983)
明治の初め、三河湾近くの新川(碧南市)に、
「穀物蔵」として造られたものを、明治28年(1895)、
刈谷にあった「菊廣瀬酒造」の仕込み蔵として
移築したという。
2015/10/26(11:39)
(64)「菊の世酒蔵」。
建物の内外には、酒造りに関する多数の資料が
展示されている。
2015/10/26(11:40)
(64)「菊の世酒蔵」入口(玄関)上の「杉玉」。
2015/10/26(11:40)
(64)「菊の世酒蔵」の軒下に展示される「大桶」。
2015/10/26(11:41)
(64)「菊の世酒蔵」の軒下に展示される「櫂」。
酒造りに使用する各種「櫂」が展示され、「櫂」に
付けられた札には、「大櫂」、「蕪櫂」等と書かれる。
この後、「菊の世酒蔵」に近い「浪漫亭」で食事のため、
時間が飛びます。
2015/10/26(12:20)
(62) 「金沢監獄中央監守所・監房」。
 ・旧所在地:石川県金沢市小立野
 ・建設年:明治40年(1907)
 ・解体年:昭和46年(1971)
 ・移築年:昭和47年(1972)
建物は、中央看守所を中心に、五つの舎房が
放射状に配されていたが、移築されたのは、
中央看守所と第五舎房の一部だけである。
2015/10/26(12:28)
(60) 「東京駅警備巡査派出所」。
 ・旧所在地:東京都千代田区丸の内
 ・建設年:大正3年(1914)頃
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和47年(1972)
この派出所は、東海道線の丸の内までの延長に合せ
竣工した東京駅の駅前広場整備の一環として造られた。
当時は、天皇の地方巡幸や外国使節の従来などで
「東京駅」が使われたため、一時は12人もの巡査が
詰めていたという。
2015/10/26(12:21)
(62)「金沢監獄中央監守所・監房」の入口(玄関)を入ったところ。
写真左は、「書信室」で、在監者(囚人)が家族への手紙を書く場所。在監者(囚人)は、手紙を書くことは許されたが、
その回数や宛先が親族に限られるなどの制限があったという。
この「書信室」は、明治21年(1888)に竣工した「東京集治監(旧小菅刑務所、現東京拘置所)」内の絵図を元に再現したという。
写真中央に「中央看守所」。この見張所は、「金沢監獄」のものではなく、明治45年(1912)に竣工した「網走監獄」の
中央見張所として使われていたものだが、更新のため取り壊された古材の寄贈を受け、復元したという。
なお、中央見張所の後ろには、放射状に囲む舎房が写るが、移築された本物の舎房は1つだけであり、他は壁に描かれた絵である。
写真をクリックすると「金沢監獄中央監守所・監房」で撮影した写真4枚を並べる画像(640x480)が表示されます。
2015/10/26(12:29,12:30)
(61) 「前橋監獄雑居房」。
 ・旧所在地:群馬県前橋市南町
 ・建設年:明治21年(1888)
 ・解体年:昭和44年(1969)
 ・移築年:昭和46年(1971)
前橋監獄では、明治5年(1872)に公布された「監獄則並図式」に沿って、十字放射型配置の
舎房が造られたという。
元は、左右合わせて21房あったというが、これを切り詰め、9房と洗い場が復元されている。
中からは錠に手が届かないように、房の入口周囲(扉)には、板がはめ込まれているが、
扉の陰に隠れても分かるよう、小さな窓を設けるなど、きめ細かな配慮がされている。
右の写真に写る立て看板には「雑居房の中に入ってみよう」とあり、履き物を抜けば、
「雑居房」の中を体験できる。
右の写真をクリックすると「雑居房」の中の写真(600x450)が表示されます。
2015/10/26(12:32)
(52) 「金沢監獄正門」。
 ・旧所在地:石川県金沢市小立野
 ・建設年:明治40年(1907)
 ・解体年:昭和46年(1971)
 ・移築年:昭和52年(1977)
六方放射型の「金沢監獄」は、南北250m、
東西190mの敷地を、レンガ造の高い塀で囲われ、
唯一西側に開けられていたのがこの門であったという。
門の左右には、二階建の「看視塔」。
中央にアーチ型の「主出入口」を設け、
主出入口の両側には、「脇出入口」を備える。
2015/10/26(12:32)
(52)「金沢監獄正門」を入ったところで見る景色。
写真では分かりづらい建物もあるが、左から、明治の洋食屋 オムライス&グリル「浪漫邸」、(61)「前橋監獄雑居房」、
前橋監獄雑居房の後ろに、(62)「金沢監獄中央監守所・監房」、その右に、(60)「東京駅警備巡査派出所」。
中央の橋は、(54)「天童眼鏡橋」。その右方に、(59)「内閣文庫」、(55)「隅田川新大橋」、(57)「川崎銀行本店」と並ぶ。
2015/10/26(12:33)
(54) 「天童眼鏡橋」。
 ・旧所在地:山形県天童市
 ・建設年:明治20年(1887)
 ・解体年:昭和45年(1970)
 ・移築年:昭和51年(1976)
横から撮る写真が残らず、この写真では分からないが、
橋は、2つのアーチを持つ、長さ13.3m、幅7.7mの
石造二連アーチ橋で、地元の「山寺石」を積んで
造られたという。
2015/10/26(12:34)
(53) 「小那沙美島燈台(写真右端に立つ)」。
 ・旧所在地:広島県佐伯郡沖美町
 ・建設年:明治37年(1904)
 ・解体年:昭和39年(1964)
 ・移築年:昭和51年(1976)
広島の人気観光地、安芸の宮島として知られる
「厳島(宮島)」の東、約1kmに浮かぶ小さな島
「小那沙美島(現絵の島)」に立てられていた燈台で、
日露戦争の開戦前後の、わずか3ヶ月で建造された、
鋳鉄造の組み立て式燈台である。
高さ約7m、光の届く距離は、約10kmであったという。
写真後方には、(59)「内閣文庫」、(55)隅田川新大橋、
(57)川崎銀行本店等が写る。
写真をクリックすると「小那沙美島燈台」の
写真(450x600)が表示されます。
2015/10/26(12:35)
(54)「天童眼鏡橋」の上にて。
左から、(61)「前橋監獄雑居房」、(60)「東京駅警備
巡査派出所」、(62)「金沢監獄中央監守所・監房」。
2015/10/26(12:37)
(55) 「隅田川新大橋」。
 ・旧所在地:東京都中央区浜町と江東区深川の間
 ・建設年:明治45年(1912)
 ・解体年:昭和49年(1974)
 ・移築年:昭和50年(1975)
隅田川に架けられ、明治の五大橋と呼ばれる、
「吾妻橋」、「厩橋」、「両国橋」、「新大橋」、「永代橋」の
中で、最後に架けられた橋である。
橋の全長は、180mであったが、移築されたのは、
この内の25m。使用された鉄材は、全てアメリカから
運ばれたもので、関東大震災で他の鉄橋が落ちる中、
この「新大橋」は残った。
2015/10/26(12:39)
(56) 「大明寺聖パウロ教会堂」。
 ・旧所在地:長崎県西彼杵郡伊王島町
 ・建設年:明治12年(1879)
 ・解体年:昭和50年(1975)
 ・移築年:平成6年(1994)
この教会堂は、フランス人宣教師の指導のもと、
地元伊王島に住み、「大浦天主堂」の建設にも
携わったことのある日本人の手により建てられた。
天井は、柱の間に渡されたアーチ型のリブを骨として
天井を支える「コウモリ天井」と呼ばれるもので、
祭壇の右には、「ルルドの洞窟」が設けられている。
写真をクリックすると「教会堂」の中の写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/26(12:42)
(57) 「川崎銀行本店(展望タワー)」。
 ・旧所在地:東京都中央区日本橋
 ・建設年:昭和2年(1927)
 ・解体年:昭和61~62年(1986~1987)
 ・移築年:平成2年(1990)
昭和に入ってからの竣工だが、当時の銀行建築を
代表する建物で、地上3階、地下1階。高さ約20m、
間口約38mの建物で、起工は、関東大震災前の
大正10年(1921)で、6年の工期を費やし竣工している。
移築されたのは、建物の正面左側角の外壁部分のみ
であり、中の階段を登ると「展望タワー」となっている。
2015/10/26(12:44)
「展望タワー」から見る「入鹿池」。
壁が邪魔になり、広い範囲を望むことはできない。
写真をクリックすると3倍ズームで撮る写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/26(12:44)
「展望タワー」から見る(59)「内閣文庫」。
こちらは、ガラス越しである。
2015/10/26(12:47)
(57)「川崎銀行本店(展望タワー)」の1階に
展示されている金庫。
いずれも明治時代に製造された金庫である。
2015/10/26(12:52)
(59)「内閣文庫」の前にて。
左から、(55)「隅田川新大橋」、(51)「聖ザビエル天主堂」、(64)「菊の世酒蔵」、(62)「金沢監獄中央監守所・監房」、
「食道楽のコロツケー」、(66)「名鉄岩倉変電所」。
「食道楽のコロツケー」では、明治時代にベストセラーになった小説「食道楽」で紹介している材料や調理法をもとに
再現(アレンジ)したコロツケーや飲物等を売っており、これをテラス席で食することができる。
2015/10/26(12:48)
(58) 「皇居正門石橋飾電燈(手前に立つ)」。
 ・旧所在地:東京都千代田区千代田
 ・設置年:明治21年(1888)
 ・解体年:昭和61年(1986)
 ・移築年:平成2年(1990)
この「飾電燈」は、皇居前広場から皇居に通じる
皇居正門の「石橋」の両側に6基設置されていたという。
(59) 「内閣文庫(奥の建物)」。
 ・旧所在地:東京都千代田区千代田
 ・建設年:明治44年(1911)
 ・解体年:昭和59~60年(1984~1985)
 ・移築年:平成2年(1990)
「内閣文庫」は、明治6年(1873)、赤坂離宮内に
開設された明治政府の中央図書館であるが、
この建物は、後に皇居大手門内に新築された
内閣文庫庁舎の本館・事務棟だという。
建物の中には、世界の歴史的建築物の
ミニチュア(模型)が常設展示されている。
2015/10/26(12:53)
(66) 「名鉄岩倉変電所」。
 ・旧所在地:愛知県岩倉市
 ・建設年:明治45年(1912)
 ・解体年:昭和49年(1974)
 ・移築年:昭和50年(1975)
京都市電に続き、3年後の明治31年(1898)には、
日本で2番目となる市内電車が名古屋市内に走る。
この「岩倉変電所」は、大正元年(1912)の犬山線の
開通に合せて建てられたという。
2015/10/26(12:53)
(67) 「帝国ホテル中央玄関」。
 ・旧所在地:東京都千代田区内幸町
 ・建設年:大正12年(1923)
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和51年(1976)
「帝国ホテル」は、20世紀建築界の巨匠といわれれた、
アメリカの建築家「フランク・ロイド・ライト」により
設計され、4年の大工事を経て完成したという。
メインロビーの中央には、三階までの吹き抜けを設け、
中央玄関は、この吹き抜けを取り囲むように
造られている。
現在、建物の1階では、「帝国ホテル売店」。
2階では、「帝国ホテル喫茶室」が営業する。
2015/10/26(12:54)
「帝国ホテル解体保存材」。
「帝国ホテル」が解体されるまで使われていた、
「つぼ」と「水鉢」が展示されている。
2015/10/26(12:55)
(67)「帝国ホテル中央玄関」の外観。
軒や手摺の白い大谷石の帯が水平線を強調。
大谷石には幾何学模様の彫刻を施し、
レンガには櫛目を入れる等、柔らかで華麗な外観を
造りだしている。
写真をクリックすると「幾何学模様」の彫刻などが
施された建物部分(600x450)が表示されます。
2015/10/26(12:58)
(65) 「高田小熊写真館」。
 ・旧所在地:新潟県上越市本町
 ・建設年:明治41年(1908)
 ・解体年:昭和56年(1981)
 ・移築年:昭和57年(1982)
明治時代、写真術は高度な理化学の知識と
長年の修練を要し、文明開化の花形職業として
高い収入と大きな名声を得ていたという。
当時は、人工の照明がなかったため、太陽の光を
いかに取り込むかで苦労したという。
そのため、スタジオは2階に設け、北側の屋根は、
ガラス張りになっている。
2015/10/26(13:01,13:42,13:42)
(63) 「宮津裁判所法廷」。
 ・旧所在地:京都府宮津市本町
 ・建設年:明治19年(1886)
 ・解体年:昭和44年(1969)
 ・移築年:昭和52年(1977)
明治23年(1890)の裁判所構成法により司法制度は確立するが、この「宮津裁判所」は、それ以前の
司法制度確立期に建てられたもので、全体の形は左右対称のH型。中央に二階建の「管理棟」、
左右両翼に「法廷棟」が配されており、移築されたのは、その中の右翼「刑事法廷棟」である。
中央と右の写真は、「SL東京駅」から戻り、村営バスを待つ間に撮影したもので、撮影時刻が離れる。
中央の写真、「裁判所法廷」の玄関脇には、「傍聴人心得」の看板が下がる。
右の写真、この日の法廷内は、明治村秋のイベント
「博物館明治村×リアル脱出ゲーム(大逆転裁判 容疑者 夏目漱石失踪事件 ~吾輩は無罪である~)」の
受付場所となっていたため、いつもの法廷とは雰囲気が異なっていたようである。
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