明治村
(4丁目)

2015/10/26(10:57~11:32)
「明治村4丁目」。
本ページで紹介する建物等については、
地図上に書かれる番号を
赤い丸 で囲んでいます。
また、本文中では、建物等の名称の前に、地図上に
書かれる番号を
赤い数字 で記述しています。
画像をクリックすると「明治村4丁目」の地図が
拡大表示されます。
この地図は、1,200x563ピクセルあります。
地図の文字を読みたいときには、表示された画像を
クリックし、スクロールバーをご利用下さい。
なお、この地図は、「SL東京駅」で撮影した案内板から
該当部分を切り抜いています。
また、建物などの説明内容は、「SL東京駅」で購入した
「博物館明治村ガイドブック」を参考にしましたが、
この内容については、「博物館明治村」のHPにある
「エリア別建造物」のページにも掲載されています。
2015/10/26(10:57)
(34)第四高等学校武術道場「無声堂」。
 ・旧所在地:石川県金沢市千石町
 ・建設年:大正6年(1917)
 ・解体年:昭和44年(1969)
 ・移築年:昭和45年(1970)
金沢の第四高等学校(現金沢大学)の武術道場で、
1つの建物の中に、柔道、剣道、弓道三つの道場が
入る。
明治初年の新しい学校体育では、体操が中心で
あったが、明治後期になると、国内全般に尚武的
気風が高まり、学校体育に武道が加えられるように
なったという。
2015/10/26(10:57)
第四高等学校武術道場「無声堂」の剣道場。
「無声堂」の入口(玄関)を入ると左側が「剣道場」で、
右側にある「柔道場」との境には、壁や柱などの
仕切るものは何もない。
この剣道場の床下には、共鳴用の溝を掘り、
反響が良くなるような工夫がされている。
2015/10/26(10:58)
第四高等学校武術道場「無声堂」の柔道場。
「無声堂」の入口(玄関)を入ると、
右側が「柔道場」になっている。
柔道場の床下にはスプリングを入れ、
床の弾力を増やす工夫がされている。
2015/10/26(10:59)
階段を上がった奥に、「歩兵第六聯隊兵舎」。
右に、「日本赤十字中央病院病棟」。
2015/10/26(10:59)
(35)「日本赤十字中央病院病棟」。
 ・旧所在地:東京都渋谷区広尾
 ・建設年:明治23年(1890)
 ・解体年:昭和48年(1973)
 ・移築年:昭和49年(1974)
日本がジュネーブ条約に加盟し、「日本赤十字社」が
発足するにあたり、皇室から渋谷の御料地の一部と
建設資金10万円が下賜され、この病院が建設された
という
この建物は、本館の背後に設けられた大きな中庭を
取り囲むように複数建てられた病棟の中の1つである。
2015/10/26(11:00)
(36)「歩兵第六聯隊兵舎」。
 ・旧所在地:名古屋市中区二の丸
 ・建設年:明治6年(1873)
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和40年(1965)
建物は、フランスの建築書を基に海外の例に学んで
造られ、元は、50mを超える長い建物であったが、
長さを約2/3に切り詰めて移築されている。
構造は、大変頑丈で、地震・火災にも強く、断熱性も
高く、ベッドや家具も耐久性に重点を置いて作られて
いるという。
2015/10/26(11:03,11:04)
(37)「名古屋衛戍病院」。
 ・旧所在地:名古屋市中区三の丸
 ・建設年:明治11年(1878)
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和39年(1964)
日本で本格的な洋式の大病院を計画実行したのは軍隊であり、全国の鎮台(師団)配置に合わせて、
陸軍衛戍病院が整備された。
名古屋衛戍病院は、(35)日本赤十字社中央病院と同じように、中庭を囲んで六棟の病棟が
配置されていたが、明治村に移築されたのは、病棟の一棟と管理棟のみである。
2015/10/26(11:05)
「明治橋」の石柱。
詳細は不明。
「名古屋衛戍病院」の北側に立つ。
2015/10/26(11:07)
(38)「シアトル日系福音教会(旧シアトル住宅)」。
 ・旧所在地:アメリカ・ワシントン州シアトル市
 ・建設年:明治40年(1907)頃
 ・解体年:昭和58年(1983)
 ・移築年:昭和59年(1984)
建物は、当初アメリカ人の住まいであり、
昭和5~14年(1930年代)頃に日系移民の
所有となるが、第二次世界大戦時は、強制収容により
住んでいた日系人は、家を追われる。
戦後になり、日系一世のための福音教会として
使われたという。
2015/10/26(11:09)
(39)「ブラジル移民住宅」。
 ・旧所在地:ブラジル・サンパウロ州レジストロ市
 ・建設年:大正8年(1919)
 ・解体年:昭和49年(1974)
 ・移築年:昭和50年(1975)
日本人移民が、慣れないコーヒー栽培に苦闘を
重ねながら、密林を拓いて造った家の一つだという。
入植者の中の日本人大工の手が入っており、
小屋組等には和風の技術が使われている。
2015/10/26(11:10)
(41)「六号川鉄橋」。
 ・旧所在地:東京都蒲田と神奈川県川崎の間
 ・建設年:明治10年(1877)
 ・解体年:昭和40年(1965)
 ・移築年:昭和63年(1988)
日本最初の複線用鉄橋として、多摩川に架けられたが、
明治45年(1912)、東海道線の複々線化の際に
橋は外され、後に御殿場線の酒匂川に架けられていた
という。
(42)「尾西鉄道蒸気機関車1号」。
 ・車両製造年:明治30年(1897)
 ・展示開始年:昭和41年(1966)
車両は、アメリカから輸入。合併により尾西鉄道から
名古屋鉄道へと所有が変わり、後には、信越線の
「二本木駅」に隣接する「日本曹達株式会社」内の
工場専用機として入替作業に使われていたという。
写真をクリックすると「尾西鉄道蒸気機関車1号」と
「六号橋鉄橋」の拡大画像(433x650)が表示されます。
2015/10/26(11:11,11:12)
(40)「ハワイ移民集会所」と集会所脇にある「ペペケオ耕地の鐘」。
 ・旧所在地:アメリカ・ハワイ州ヒロ市
 ・建設年:明治22年(1889)頃
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和44年(1969)
建物は、日本人牧師により日本人のために建てられた教会であったが、後に周辺に住む日本人の
集会所として使われたという。
周辺は、雨の多いところで、建物周囲の泥濘(ぬかるみ)を避けるため入口に「太鼓橋」を設けている。
また、建物左手に立つ「ペペケオ耕地の鐘」は、毎朝6時の起床と辛い肉体労働の終わる夕方4時半に
鳴らされたという。
2015/10/26(11:14)
(44)「鉄道寮新橋工場・機械館」前にて。
機械館前には、ボンネットバスが走る。
2015/10/26(11:13,11:15,11:15)
(44)「鉄道寮新橋工場・機械館」と展示される機械類。
 ・旧所在地:東京都品川区大井町
 ・建設年:明治5年(1872)
 ・解体年:昭和42年(1967)
 ・移築年:昭和43年(1968)
初期の日本鉄道は、イギリスの技術を導入したもので、この建物も、全ての材料をイギリスから輸入し、
イギリス人技術者の指導の下に建設されたという。
当初、新橋に建設された時は一棟だけであったが、大正のはじめ大井町へ移設する際、二棟を並べて
拡張したという。
広い工場の中は、明治の機械類の展示場として活用されている。
中央の写真手前は、「活版印刷機」。
製造年:明治42年(1909)。国産では、初期の活版印刷機で、停止円筒印刷機と呼ばれていた。
寄贈:日本国有鉄道札幌印刷場とあるが、乗車券印刷の専用ではなく、汎用の印刷機だという。
中央の写真奥に立つ大きな機械は、「蒸気槌(ハンマー)」。
製造年:明治14年(1881)。蒸気の圧力でハンマーを上下させ、工作物を鍛造する機械で、機関車や客車、
貨車の車軸等、強度が要求される部品を加工したという。
右の写真は、「リング精紡機.」。
製造年:明治26年(1893)。プラット社製の「リング精紡機」で、綿紡績の最終工程に使用される機械だという。
世界の紡績機械の中で、当時もっとも優秀といわれていた「精紡機」で、国の重要文化財に指定されている。
2015/10/26(11:16,11:17,11:18)
「鉄道寮新橋工場・機械館」に展示される機械類。
左の写真は、「紡毛ミュール精紡機」。
製造年:明治42年(1909)。現在では、綿糸を紡ぐミュール精紡機は、使われなくなったが、紡毛用のミュール精紡機は、
未だに使われており、ここに展示されるのは、紡毛用ミュール精紡機として日本に輸入された初期のものとある。
中央の写真は、「ミーレ式活版印刷機」。
製造年:明治44年(1911)。印刷局(現国立印刷局)で5台を購入。切手などの印刷に使用されたという。
右の写真は、「霧信号用蒸気機関」。
製造年:明治30年(1897)。5馬力の蒸気機関で、北海道小樽市の「日和山燈台」で使われていたという。
2015/10/26(11:21)
「明治の水道管」。
製造年:明治44年(1911)。
寄贈者:名古屋市水道局とあるので、名古屋市内で
使われていたものであろう。
2015/10/26(11:22)
「汐留火力発電所煙突基礎」。
 ・旧所在地:東京都
 ・建設年:明治35年(1902)
 ・移築年:平成16年(2004)
(45)「工部省品川硝子製造所」の前にある。
汐留の近代化は、明治3年(1870)の測量、翌年の
駅舎など鉄道関連施設の建設に始まり、
明治5年(1872)に新橋停車場として開業する。
汐留火力発電所の完成により、新橋停車場内の
必要電力のほとんどを供給できるようになったという。
2015/10/26(11:22)
(45)「工部省品川硝子製造所」。
 ・旧所在地:東京都品川区北品川
 ・建設年:明治10年(1877)頃
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和44年(1969)
工部省は、日本に近代工業を根付かせ、その発展を
図るため、明治3年(1870)に設置された役所で、
この硝子製造所では、イギリスから招いたガラス工が
指導に当たり、食器などの日用ガラス器を製作。
板ガラスの試作も行われたが、成功しなかったという。
現在、建物の1階では、日本初のカクテル「デンキ
ブラン」を看板メニューにする「デンキブラン汐留バー」と
雑貨や食器、アクセサリーを販売するガラス専門店
「品川硝子ショップ」が営業する。
2015/10/26(11:23,11:25)
(46)「宇治山田郵便局舎」と局舎前に立つ「ポスト」。
 ・旧所在地:三重県伊勢市岩淵町
 ・建設年:明治42年(1909)
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和44年(1969)
宇治山田郵便局は、明治5年(1872)、わずか4坪しかない小さな役所として開業するが、
その後、電信電話事業を行うなど、事業の拡大に伴い、明治42年(1909)伊勢外宮前の角地に
この建物が新築されたという。
この建物は、現在でも日本郵政株式会社が所有し、明治村簡易郵便局として「はあとふるレター」を
受付する他、実際の郵便・貯金業務を行なっている
また、局舎前に立つ「ポスト」は、明治20年代のポストを復元したもので、現在も利用されている。
注:「はあとふるレター」は、10年後の自分や友人等に宛て、手紙を出すというもので、
定型の封書を預けると、「明治村」で10年間保管した後、実際の郵便物として投函してくれる。
なお、これは「明治村」が行っているサービスであり、「日本郵政株式会社」の事業ではない。
2015/10/26(11:29)
(47)左の建物は「理髪店(本郷喜之床)」。
 ・旧所在地:東京都文京区本郷
 ・建設年:明治末年(1910)頃
 ・解体年:昭和53年(1978)
 ・移築年:昭和55年(1980)
本郷弓町2丁目17番地にあった理髪店で、「石川啄木」
が、函館から妻子を迎え、東京での家族生活を
始めたのが、この建物2階の2間であったという。
(48)右の建物は「小泉八雲避暑の家」。
 ・旧所在地:静岡県焼津市城之腰
 ・建設年:明治初年(1868)頃
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和46年(1971)
母の国ギリシャに生まれ、明治29年(1896)、日本に
帰化して日本人の名前を名乗った「小泉八雲」が、
夏を過ごしたのが、この焼津の魚屋であったという。
現在、この家は、昔懐かしい駄菓子や竹とんぼ、
紙風船などを売る、駄菓子屋「八雲」が営業する。
2015/10/26(11:30,11:32)
(49)「呉服座」。
 ・旧所在地:大阪府池田市西本町
 ・建設年:明治25年(1892)
 ・解体年:昭和44年(1969)
 ・移築年:昭和46年(1971)
当初は、同じ池田市内の「戎神社」の近くにあり、「戎座」と呼ばれたが、西本町猪名川の川岸に移った際、
名称を「呉服座」と改める。「呉服座」では、地方巡業の歌舞伎をはじめ、落語、浪曲、講談、漫才等
様々なものが演じられたが、立憲政治や社会主義の演説会にも使われ、社交場の他、公民館や公会堂等の
役割も果たしていたという。
2015/10/26(11:32)
(50)「半田東湯」。
 ・旧所在地:愛知県半田市亀崎町
 ・建設年:明治末年(1910)頃
 ・解体年:昭和46年(1971)
 ・移築年:昭和55年(1980)
知多半島の先、三河湾に面する港町亀崎にあった
銭湯である。
建物は前半分は、1階が男女別の脱衣場で、
2階は和室で、湯上がりの雑談や休憩の場であった。
建物の奥は平屋の浴室で、浴槽は1つ。男女の間は
目隠しだけで仕切られていたという。
現在、この建物では「尾張富士」の天然水を使用した
天然水足浴「半田東湯」が季節営業され、冬は暖かく、
夏はひんやりした足湯が楽しめるという。
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