明治村
(1丁目)

2015/10/26(9:18~9:56)
「明治村1丁目」。
本ページで紹介する建物等については、
地図上に書かれる番号を
赤い丸 で囲んでいます。
また、本文中では、建物等の名称の前に、地図上に
書かれる番号を
赤い数字 で記述しています。
画像をクリックすると「明治村1丁目」の地図が
拡大表示(800x600)されます。
なお、この地図は、「SL東京駅」で撮影した案内板から
該当部分を切り抜いています。
また、建物などの説明内容は、「SL東京駅」で購入した
「博物館明治村ガイドブック」を参考にしましたが、
この内容については、「博物館明治村」のHPにある
「エリア別建造物」のページにも掲載されています。
2015/10/26(9:18)
(1) 「第八高等学校正門」。
 ・旧所在地:名古屋市瑞穂区
 ・建設年:明治42年(1909)
 ・解体年:昭和43年(1968)
 ・移築年:昭和45年(1970)
旧制第八高等学校(現名古屋大学)の正門として
使われていたもので、現在は博物館「明治村」の
正門として使われており、左の柱には「博物館明治村」、
右の柱には「第八高等学校」とある。
なお、観光客用の出入口は「入村券売場」の脇にあり、
この門からの出入りはできない。
2015/10/26(9:29)
「入村券売場」。
この日の開村時間は、9時30分であった。
2015/10/26(9:31)
博物館「明治村」に入ったところで撮影。
左に「入村券売場」と「第八高等学校正門」。中央に「三重県庁舎」。
「三重県庁舎」は、この場所より低い位置に建つため、2階部分だけが見えている。
また、写真右には、「開村50周年」のロゴマークを掲げた記念撮影場所があるのだが、
この日の日付は、「明治148年」となっていた。
2015/10/26(9:34)
正門を入り右の方向に歩いたところで撮影。
写真中央奥に
(5) 「赤坂離宮正門哨舎」。
 ・旧所在地:東京都港区元赤坂
 ・建設年:明治41年(1908)
 ・解体年:昭和48年(1973)
 ・移築年:昭和58年(1983)
現在「迎賓館」となっている「赤坂離宮」の
警護のために、正門両脇の内外に4基設けられた
「哨舎」の内の一つである。
この後、明治村1丁目の中を反時計回りに歩く。
写真をクリックすると 「赤坂離宮正門哨舎」の部分を
切り抜く画像(600x450)が表示されます。
2015/10/26(9:35)
(2) 「大井牛肉店」。
 ・旧所在地:神戸市生田区元町
 ・建設年:明治20年(1887)頃
 ・解体年:昭和41年(1966)
 ・移築年:昭和43年(1968)
外国人居留地の外国人等を相手に、牛肉販売と
牛鍋の店として建てられたという。
建物は現在も、明治村の食事処「大井牛肉店」として、
営業しており、「牛鍋(すき焼)」を食すことができる。
2015/10/26(9:35)
(4) 「近衛局本部付属舎(左)」。
 ・旧所在地:東京都千代田区千代田
 ・建設年:明治21年(1888)
 ・解体年:昭和42年(1967)
 ・移築年:昭和52年(1977)
皇居内警護のために設置された「皇宮警察」の
庁舎として建てられた建物の一部である。
(3) 「三重県尋常師範学校・蔵持小学校(右)」。
 ・旧所在地:三重県名張市蔵持
 ・建設年:明治21年(1888)
 ・解体年:昭和47年(1972)
 ・移築年:昭和48年(1973)
三重県の尋常師範学校(現三重大学)の本館として
建てられたが、後に「蔵持村」に売却。移築され、
「蔵持小学校」として使われたという。
2015/10/26(9:39)
(6) 「聖ヨハネ教会堂」。
 ・旧所在地:京都市下京区河原町通五条下ル
 ・建設年:明治40年(1907)
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和39年(1964)
プロテスタントの一派日本聖公会の京都聖約翰(ヨハネ)
教会で、二階が会堂、一階は日曜学校や幼稚園に
使われていたという。
2015/10/26(9:42)
写真中央左に
(7)「学習院長 官舎」。
右奥、木の陰には
(8)「西郷從道邸」が建つ。
2015/10/26(9:42)
(7)「学習院長 官舎」。
 ・旧所在地:東京都豊島区目白
 ・建設年:明治42年(1909)
 ・解体年:昭和37年(1962)
 ・移築年:昭和39年(1964)
当時の学習院長は第十代目で、陸軍大将でもあった
「乃木希典」。
建物は和洋が混在し、学習院長という公的な立場での
接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には
日本座敷を用いたという。
2015/10/26(9:43)
(8)「西郷從道邸」。
 ・旧所在地:東京都目黒区上目黒
 ・建設年:明治10年(1877)代
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和39年(1964)
「西郷隆盛」の弟「西郷從道」は、陸・海軍、農商務、
内務等の大臣を歴任したことで、在日外交官との
接触も多かったため、「西郷山」と呼ばれる広い敷地に
和風の本館とは別に、少し隔てて本格的な洋館を
接客の場として設けたという。
2015/10/26(9:45)
写真奥に「日本庭園」がある。
庭園の中には、(10)「東京盲学校車寄」があるが、
この日、庭園の中には入らなかった。
また、「西郷從道邸」の前には、和食処「碧水亭」がある。
2015/10/26(9:45)
(9) 「森鴎外・夏目漱石住宅」。
 ・旧所在地:東京都文京区千駄木町
 ・建設年:明治20年(1887)頃
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和39年(1964)
建坪39坪(129.5㎡)余りのこの建物は、
当時の典型的中流住宅であり、医学士「中島襄吉」の
新居として建てられたが、「襄吉」は、ここには住まず、
空き家であったが、明治23年(1890)に「森鴎外」が
借家として、1年余りを過ごす。
また、「夏目漱石」は、明治36~39年(1903~1906)の
間を、この家で過ごしたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2015/10/26(9:46)
(9) 「森鴎外・夏目漱石住宅」。
 「森鴎外」は、この家に住んだ1年余りの間に、
「文づかひ」等の小説を執筆。
また、「夏目漱石」は、「吾輩は猫である」を発表。
猫の「くぐり戸」をはじめ、文中に描写された
家の様子は、この家の姿そのままだという。
2015/10/26(9:47)
「偉人坂」を下る。
「明治村」の道は、基本的にバリアフリーなのだが、
「偉人坂」を含め、地図上で黄色く塗られた道には、
階段等があり、車椅子での通行はできない。
2015/10/26(9:50)
(13) 「三重県庁舎」。
 ・旧所在地:三重県津市栄町
 ・建設年:明治12年(1879)
 ・解体年:昭和39年(1964)
 ・移築年:昭和41年(1966)
間口が54mに及ぶ大きな建物で、玄関を中心にした
左右対称の構成は、当時東京大手町に建てられた
「内務省庁舎」を真似たという。
2015/10/26(9:52)
(11) 「二重橋飾電燈」。
 ・旧所在地:東京都千代田区千代田
 ・設置年:明治21年(1888)
 ・解体年:昭和38年(1963)
 ・移築年:昭和40年(1965)
皇居二重橋が架け替えられた時に、新しい橋の両端に、
4基立てられた内の一つで、電気は皇居の需要に応じ
新たに造られた「麹町」の発電所から送電されたという。
2015/10/26(9:52)
(12) 「鉄道局新橋工場」。
 ・旧所在地:東京都品川区大井町
 ・建設年:明治22年(1889)
 ・解体年:昭和41年(1966)
 ・移築年:昭和41年(1966)
建物は、日本製の「鋳鉄柱」や「小屋組鉄トラス」、
「鉄製下見板」、「サッシ」等を組み立てて造られており、
我が国初期の「国産鉄造建築物」として、大変貴重な
ものだという。
2015/10/26(9:53)
(12) 「明治天皇御料車(6号御料車)」。
 ・製造年:明治43年(1910)
 ・設置年:昭和41年(1966)
明治時代に製造された6両の御料車の内、
一番最後のもので、歴代の御料車の中で、
もっとも豪華な車輌といわれる。
車内天井には「蜀江錦(四川省蜀地方の赤地錦)」が
張られ、御座所内の金糸の刺繍や七宝宝飾、
螺鈿装飾、木象嵌など、日本の伝統的な工芸技術の
粋を集めたもので飾られている。
2015/10/26(9:54)
「明治神社」。
「鉄道局新橋工場」の中にある。
この神社は、平成17年(2005)、明治村の開村
40周年を記念して創建されたもので、明治神宮本殿の
10分の1の大きさの社殿に、明治神宮の特別神符を
お祀りする。
2015/10/26(9:54)
(12) 「昭憲皇太后御料車(5号御料車)」。
 ・製造年:明治35年(1902)
 ・設置年:昭和41年(1966)
皇后用御料車として、初めて造られた車輌で、
椅子や腰張りには、明治天皇の皇后「昭憲皇太后」の
ご実家「一条家」の家紋「藤」をあしらった布が
使われている。
2015/10/26(9:56)
「二重橋飾電燈ガラスグローブの型」。
「鉄道局新橋工場」の入口脇に展示されていた。
壁には以下の説明が写真付きで貼られている。
①型の中に入れたガラスの塊を回しながら吹く
②型を開いて取り出す。
このウインドウを閉じる このウインドウを閉じる