雨晴海岸

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2012/11/4(8:47)
「雨晴海岸」駐車場の案内板。
万葉の歌人「大伴家持」が愛し、多くの歌を
詠んだという「雨晴(あまはらし)海岸」は、
義経伝説の残る「義経岩」があることでも
知られる。
案内板には「案内板に従いお進みください。
義経岩まで350m」とあるので、右の方向に歩く。

2012/11/4(8:51)
「女岩(おんないわ、めいわ)」。
JRの線路の下を通り、海岸に出ると「女岩」が
見える。
写真右の大きな岩が「母親」、左に並ぶ小さな
岩が「子供」のように見えることから「女岩」と
呼ばれるようになったという。

2012/11/4(8:55)
「義経岩」。
西の方向に歩き、「義経岩」が近づいてきた。

2012/11/4(8:52)
「雨晴海岸」から見る「富山湾」。
左に「義経岩」、右に「女岩」。
「男岩」は、「女岩」の更に右(東)の方向にある。
2012/11/4(8:58,8:58,8:59)
「義経(雨晴)岩」。
文治3年(1187)、源義経と弁慶が、山伏姿に身をかわし奥州へ落ち延びる途中、雨が降り出したため、
弁慶は岩を持ち上げ、その岩陰で、にわか雨の晴れるのを待ったという伝説の岩である。
中央の写真は、雨宿りの気分を味わおうと「義経岩」の中に入り撮影。
2012/11/4(9:00)
「雨晴海岸と雨晴岩」の案内板。
写真をクリックすると「案内板」が
拡大表示(600x450)されます。
2012/11/4(9:01)
「義経岩」の上に建つ「義経社」。
2012/11/4(9:04)
「義経岩」の上に立つ石碑。
2012/11/4(9:05)
「義経岩」の上から見る「雨晴海岸」。
写真奥は「能登半島」。
2012/11/4(9:06)
「義経社」。
2012/11/4(9:07)
写真を撮るために線路を渡ってしまったのだが、
線路を渡ったところは、駐車場のすぐ近くで
あった。
気がついた時には既に遅しであったが、
駐車場の案内板には「JRの線路は横断しないで
ください」とも書かれていた。
案内板は、危険予防のため線路を渡らずに済む
道へと、観光客を誘導していたのであった。

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