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2016/9/26(11:34,11:34)
「矢島体験交流館」と遊歩道入口。 「矢島・経島(やしま・きょうじま)」は、佐渡島の最南端、佐渡市小木にあり、直江津港からの
フェリーが着く「小木港」から、西に車で5分程の所にある。
その昔、「矢島」は良質の「矢竹」を産した所として、また、「経島」は、「日蓮」の赦免状をたずさえた
弟子の「日朗」が漂着し、読経して一夜を明かしたところとして知られる。
碧く棲んだ海に浮かぶ2つの小島(現在は地続きとなっている)と陸地の間を赤い「太鼓橋」がつなぎ、
入江のようになった波静かな海では、「たらい舟」を体験することもできる。
左の写真をクリックすると「小木半島ジオサイト 元小木コース」の案内板(960x600)が表示されます。
右の写真をクリックすると「矢島・経島」の案内版(600x450)が表示されます。 |
2016/9/26(11:34) 「矢島・経島」に向け遊歩道を歩く。 「小木半島」は、約1,300万年前の海底火山活動
により造られており、この遊歩道も、噴火で吹き出た 「岩石片」や「溶岩」が急速に冷えて、様々な大きさの
岩に破砕された「水中火砕岩」でできている。 赤い「太鼓橋」の手前には、本土に戻った恋人が
忘れられず、「たらい舟」で柏崎まで渡ったという、 地元の伝説を元に作られた、浪曲「佐渡情話」の 「お光の碑」が立つ。
写真をクリックすると「お光の碑」が 表示(450x600)されます。 |
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2016/9/26(11:36) 「矢島体験交流館」の方向を振り返る。 写真、ほぼ中央に「たらい舟乗場」がある。
本来なら、海の色はもっと澄んだ碧い色(見る角度や 天候によっては緑色)をしている。 「矢島体験交流館」で聞いた話では、台風により 河川から海に流れ出た流木やゴミの影響で、
このような、冴えない(暗い)色になっているとの ことであった。 |
2016/9/26(11:37)
「太鼓橋」。 赤い「太鼓橋」の先は、「矢島・経島」である。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/9/26(11:37)
太鼓橋から見る「矢島・経島」。 太鼓橋を渡ると、「経島」だが、「経島」は小さい。 写真、右に写るのは「経島」だが、中央から左奥に
写るのは「矢島」である。 なお、写真右上に黒く写る「洞窟」の中には、「石仏」が 安置されているようである。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
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2016/9/26(11:37)
太鼓橋から「矢島体験交流館」の方向を振り返る。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2016/9/26(11:38)
「経島」を歩く。 |
2016/9/26(11:38)
「東屋」と「矢島・経島」の案内版。 本ページ2枚目の写真で紹介している「矢島・経島」の 案内版は、ここに立つ案内版を撮影したものである。
なお、「矢島」と「経島」は、地続きとなっているため、 その境界がはっきりとしないのだが、島の形から 判断すると、この辺りと思われる。 |
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2016/9/26(11:39,11:39)
「山本悌二郎」の元別荘。 島の形から想像すると、この「元別荘」が建つ場所は「矢島」であろう。 「山本悌二郎」は、佐渡出身の政治家で、田中義一、犬養内閣で農林大臣を努めた人物である。
右の写真、建物「縁側」の天井には、絶滅した「矢島の矢竹」が使われているという。 |
2016/9/26(11:40)
「元別荘」の脇を抜け「めがね橋」へと向かう。 現在の「矢島」に、「竹類」は見当たらず、 目立っていたのは「松の木」であった。 |
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2016/9/26(11:40)
行く手に「めがね橋」。 浅い海底が1.5mも隆起したという「隆起波食台」は、 「めがね橋」の右側にある。
もう少しカメラを右に向ければ、「平らな地形」が 撮れたのだが、この写真しか残らない。 写真をクリックすると「隆起波食台」の部分を 切抜く画像(600x450)が表示されます。 |
2016/9/26(11:45)
「隆起波食台」を歩く。 「めがね橋」を渡ったところには、「枕状溶岩」の 案内板が立つのだが、「隆起波食台」との関連に ついては、触れられていない。 おそらく、約1,300万年前の海底火山活動により 造られた、「枕状溶岩」が、享和2年(1802)に
発生した「小木地震」により隆起し、地上に出たのが、 「隆起波食台」と考えるのだが、これは確認できない。 写真をクリックすると「枕状溶岩」の案内版が 表示されます。 この案内板は、960x960ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された画像を クリックし、スクロールバーをご利用下さい。 |
2016/9/26(11:46)
「枕状溶岩?」。 「隆起波食台」の岩全体が「枕状溶岩」なのか、 それとも、一部が「枕状溶岩」なのか不明だが、 「枕状溶岩」らしき岩の写真を撮ってみた。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2016/9/26(11:47)
「枕状溶岩?」。 これが、「枕状溶岩」であろうか。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/9/26(11:49)
「隆起波食台」から見る「経島」。 「太鼓橋」と「東屋」の間にある小山が「経島」であろう。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/9/26(11:51)
「たらい舟のり場」に向け少し歩いた所で見る「矢島」。 帰りは、入江の西側を「たらい舟のり場」に向け歩く。 |
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2016/9/26(11:52)
「たらい舟」。 「たらい舟」は、狭く入りくんだ岩礁帯の多い 「小木海岸」で、サザエやワカメ漁(磯ねぎ漁)を
行うため、小回りのきくようにと「洗濯桶(たらい)」を 改良したもので、現在でも実際の漁に使われて いるという。 |
2016/9/26(11:54)
「経島」に近づく「たらい舟」。 左の写真から2分足らずで、「たらい舟」は、 「経島」の近くまで進んでいる。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
2016/9/26(11:56)
「太鼓橋」と「たらい舟」。 よく見る定番の構図である。 写真をクリックすると拡大写真(600x450)が 表示されます。 |
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2016/9/26(11:58)
「たらい舟のり場」。 ここに置かれる、観光用の「たらい舟」は、 漁業用よりも一回り大きく、縦180cm、横140cm、
深さ55cmの楕円形で、船頭さんの他に、大人3名 (子供は4名)まで乗れるが、これは安全を考慮しての
ことで、総重量500kgまで乗せても問題はないという。 |
2016/9/26(12:03)
「矢島体験交流館」の中。 「たらい舟」の受付は、「矢島体験交流館」の中にある。
また、「たらい舟」の他、「磯釣り」や「そば打ち」、 「イカの一夜干し」を体験することができる。 先ずは、昼食に「お蕎麦」を頂いたのだが、 この間に、雨が降り出したため、しばらく休憩。 |
2016/9/26(12:38)
雨は、一時的で止んだため、 「たらい舟」に乗り込む。 |
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2016/9/26(12:44) 「たらい舟」の上から「矢島体験交流館」を振り返る。 「たらい舟のり場」を出てから数分が経過するが、 「矢島体験交流館」は、随分と遠くに見えている。
なお、「たらい舟」は、船頭さんの立つ方向に進む。
つまり、前に進むのである。 艪を漕ぐ普通の和船とは逆なので聞くと、ベテランの 船頭さんであれば、バックさせることもできるが、 私は、前に進ませることしかできないと言っていた。
また、希望すれば「たらい舟」を漕がせてくれるという。 |
2016/9/26(12:45)
「たらい舟」の上から見る「太鼓橋」。 雨は、再び降り出した。 「たらい舟」にはビニールのレインコートなども用意され、
雨や雪でも乗ることができるという。 |
2016/9/26(12:50)
「たらい舟」を漕いでくれた船頭さん。 この「たらい舟」には、舟の中央に「箱眼鏡」があるが、 これは、観光用の舟だからであろう。
実際の漁では、「箱眼鏡」と「ヤス」等の漁具を手に持ち、 舟から身を乗り出して水中を覗き込みながら、「魚介」を 突いて採取する。
ちなみに、「小木港」に隣接する「たらい舟」には、 「箱眼鏡」はなく、乗舟客が座るための椅子が 付けられているようである。 |