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2016/9/26(13:43,13:46)
「千石船展示館」と「十王坂」の入口。
「宿根木」は、「佐渡島」の南玄関口「小木港」の西南西約3.7㎞に位置し、中世の頃より廻船業を営む 人達が居住していたが、江戸時代となり、「小木港」か整備されると、商業の中心は「小木港」へ移行。 「宿根木」は、船大工や造船技術者が居住するようになり、「千石船産業」の基地として繁栄する。
そして、約1㌶の狭い土地には、110棟余りの建造物が密集し、建物のほとんどは、総二階建てで、 外観は簡素だが、中は「漆」をふんだんに使う等、豪華な造りとなっている。
この「千石船産業」の基地として繁栄した、当時の集落形態を今に残すのが、「宿根木(しゅくねぎ)」の 町並みである。 左の写真、「千石船展示館」は、「宿根木」の町並みから、東に200m程のところにあり、 南佐渡の漁業や船大工の資料等、数々の民俗資料を展示する「佐渡国小木民俗博物館」に併設し、 千石船「白山丸」を展示する。
なお、「佐渡宿根木プロジェクト」作成の「歴史的な町並み探訪マップ」には、「町並みの見学には、
千石船展示館前の駐車場をご利用下さい」とある。 右の写真、「十王坂」は、「千石船展示館」から、町並みの方向(西)に向け歩くと、県道が左にカーブする
手前右側(県道の左側には「宿根木郵便局」)にある。 右の写真をクリックすると近づいて撮る「十王坂入口」の写真(600x450)が表示されます。 |
2016/9/26(3:47)
「十王坂」を下る。 |
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2016/9/26(13:48)
「共同井戸」。 「十王坂」を下りきったところである。 この井戸は、人口が増えたことにより、高台に
住むようになった人達が、主に利用したという。 写真左が「十王坂」。右は、高台に水を運ぶため、 階段の中央がすり減ったという「方岸坂」である。
写真をクリックすると「共同井戸」と「方岸坂」の部分を 切抜く画像(600x450)が表示されます。 |
2016/9/26(13:50,13:50)
「白山神社」。 「宿根木」の町並みは、この「白山神社」と「称光寺」を北端に、南(海)の方向へと拡がる。 安永2年(1773)と刻まれた「白山神社」の「石鳥居」の石材は、瀬戸内海産の御影石で、 尾道港から石工と共に「千石船」で運ばれたという。
左の写真をクリックすると「白山神社石鳥居」の案内版(800x600)が表示されます。 |
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2016/9/26(13:54)
「宿根木公会堂」。 かつては芝居小屋であったという、この公会堂は、 今でも芝居小屋形式となっており、様々な集会や
芸能公演等の行事に使用されている。 |
2016/9/26(13:54)
南の方向に歩く。 写真奥の右に「塩」の看板の建物が、JR東日本の テレビCM「大人の休日倶楽部」で、女優「吉永小百合」
が歩き、広く知られるようになった、「三角家」。 この位置からでは、建物の形が「三角」には見えないが、
この時間帯、定番の構図で撮る写真は、逆光線で 太陽光が直接入り込むため、帰路の写真(14時21分) で紹介します。 写真をクリックすると「三角家」の部分を切抜く 画像(450x600)が表示されます。 |
2016/9/26(13:57)
「洗い場」。 かつては、14箇所程あり、上流と下流で洗うものを 分けていた。今でも、畑で採れた野菜等を洗う光景が
見られるとある。 写真をクリックすると「洗い場」の案内版(800x500)が 表示されます。 |
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2016/9/26(13:58)
公開民家「三角家」の北側。 「三角家」北側の壁に沿って「伊三郎」の 方向(西)に向かう。
建物は、上から見る船首部分のような形をしており、 写真の壁も、直線ではなく、途中2ヶ所で角度が
変わっている。 |
2016/9/26(13:59)
公開民家「三角家」の入口。 「三角屋」は、内部が公開されている。 掲示されている「案内版」は、帰路(14時20分)の
写真で紹介します。 |
2016/9/26(13:59)
「伊三郎」に向け歩く。 「宿根木」の集落の中は、全ての道が狭く、 自家用車が入れるような幅の道は一本もない。
また、この先、狭く複雑に入り込んだ町中を、 頻繁に方向を変えながら歩くため、文章では うまく道順を伝えることができない。
このため、歩き方については、「佐渡宿根木 プロジェクト」作成の「歴史的な町並み探訪マップ」か
「千石船の里探訪マップ」等を参考にして頂きたい。 (このマップは、「宿根木」の公式ホームページから
PDF形式のファイルがダウンロードできます) |
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2016/9/26(14:00)
「覆屋」で囲まれる「土蔵」。 この写真では、分かりづらいが、写真の周りに 写るのが「覆屋」の入口で、その中に「土蔵」の 扉がある。
案内版には、「土蔵の漆喰を海風から保護するため、 3階建ての土蔵を覆屋で囲っている」とある。 |
2016/9/26(14:01)
茶房「やました」。 写真の茶房「やました」は、パスタと甘味の 古民家カフェ。同じ通りには、家庭料理の
酒処「たこぼうし」があり、「大浜」には、 体験学習館を兼ねた食事処がある。 |
2016/9/26(14:01)
腰板に「千石船」の板を使った家。 「宿根木」には、腰板に「千石船」の板を使った家が 多くある。
写真をクリックすると「腰板」の案内版(800x500)が 表示されます。 |
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2016/9/26(14:02)
前方右に「伊三郎」。 近くには、宿根木に伝わる奇祭「ちとちんとん」を 紹介する案内版があった。 写真をクリックすると「宿根木のくらし」の 案内版(960x600)が表示されます。 |
2016/9/26(14:02,14:04)
「伊三郎」。 明治25年(1892)に工事着工された「千石船船頭」の家で、軒下の飾りに、船頭の姓「石塚」の 「石」の文字が「透かし彫」されているのが特徴である。
板壁には、「一客一亭の御宿」と書かれた看板が掲げられ、1日1組限定の宿泊施設として 開放されているという。 左の写真をクリックすると「伊三郎」の案内版(800x500)が表示されます。
右の写真をクリックすると拡大写真(450x600)が表示されます。 |
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2016/9/26(14:04)
「三角家」の方向(東)を振り返る。 写真左の建物が「伊三郎」。 写真手前は、「大浜」に近いため、道幅は広いが、
集落の中(写真奥)は、狭くなっている。 |
2016/9/26(14:06)
「金子屋」への路地に入る。 |
2016/9/26(14:07)
公開民家「金子屋」。 写真右の「金子屋」は、元「船大工職人」の家で、 内部が公開されている。
建てられたのは、弘化3年(1846)以前といわれ、 縄を引いて開閉する窓など、船大工の工夫が されているという。 |
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2016/9/26(14:07)
「多来宿(たらいじゅく)」。 「金子屋」の前にあり、店の表札に書かれる文字と 「木桶(たらい)」に目が止まり撮影。 民宿のようなのだが、「宿根木の宿」で検索しても
見つからない。詳細は不明だが、既に廃業しているか、 「一見さんお断り」というような宿なのかも知れない。
写真をクリックすると「店の表札」部分を切抜く 画像(450x600)が表示されます。 |
2016/9/26(14:08)
狭い道を西から東の方向へと歩く。 この路地を抜けたところには、「旧宿根木郵便局舎」と 公開民家「清九郎」がある。 |
2016/9/26(14:09)
「旧宿根木郵便局舎」。 大正10年(1921)に電信・電話の開始を記念して 建てられたという。
「宿根木」では、数少ない洋風建築の一つである。 写真をクリックすると「旧郵便局舎」の 案内版(800x500)が表示されます。 |
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2016/9/26(14:09)
公開民家「清九郎」。 幕末から明治にかけて財をなした「船主」の家で、 内部が公開されている。
建築材料、技術共に、当時の「宿根木」では、 最高の水準を誇る建物とある。 写真をクリックすると「清九郎」の案内版(800x500)が 表示されます。 |
2016/9/26(14:10)
公開民家「金子屋」の一本南側の路地を西に歩く。 路地を抜けたところが、「大浜」である。 |
2016/9/26(14:10)
「風垣」が見えてきた。 写真をクリックすると中央部分を切抜く 画像(450x600)が表示されます。 |
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2016/9/26(14:11)
「風垣」。 「風垣」は、日本海から吹き込む潮風から、 集落の建物を守るために造られたという。 |
2016/9/26(14:12)
「大浜」。 「大浜」は、かつて大きな浜が広がっていた場所で、 「宿根木」の玄関口として、千石船の荷揚げ場や
造船場等があった場所である。 現在、広場は駐車場として使われ、バス停「宿根木」や 「町並み案内所」が建ち、案内所には、ボランティア ガイドが常駐している。
写真をクリックすると「大浜」の案内版(800x500)が 表示されます。 |
2016/9/26(14:14)
「浜上」。 「千石船展示館」で展示されている「白山丸」を 所有していた廻船主が住んでいた家である。 |
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2016/9/26(14:14)
「世捨小路」に入る。 海から集落の奥にある神社や寺に向かう人々は、 必ず、この「小路」を通ったという。
写真をクリックすると「世捨小路」の案内版(800x500)が 表示されます。 |
2016/9/26(14:15)
「世捨小路」を東に歩く。 当時の石畳が残り、道の中央はすり減っている。 写真をクリックすると拡大写真(450x600)が 表示されます。 |
2016/9/26(14:15)
「世捨小路」の東端付近。 道の左側に、酒屋の看板。 その奥(隣り)に建つのは、寛政5年(1793)に 建てられた、宿根木最古の建物「角」である。 写真をクリックすると中央部分を切抜く 画像(450x600)が表示されます。 |
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2016/9/26(14:15) 「柴田収蔵」の生家。 「世捨小路」の東端に建つ。 「柴田収蔵」は、鎖国政策下において、蘭学や医学、
天文地理学を極めるなど、世界に目を向け、数多くの 世界地図を残したとある。
写真をクリックすると「柴田収蔵の生家」の 案内版(800x500)が表示されます。 |
2016/9/26(14:16)
「柴田収蔵」の生家前を北に「三角家」へと向かう。 |
2016/9/26(14:19) この先、右に公開民家「清九郎」、左に「旧宿根木 郵便局舎」を過ぎると、その先が「三角家」である。 |
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2016/9/26(14:20,14:21)
公開民家「三角家」。 左の写真は、東側から見る「三角家」。 右の写真は、よく見る定番の構図で撮る「三角家」。
この「三角家」は、最初からこの形だったのではなく、川の中州を埋め立てて造られた、 この場所に移築する際、土地の形に合わせて「三角形」に切り詰めたとある。 左の写真をクリックすると「三角家」の案内版(800x500)が表示されます。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。 |
2016/9/26(14:24)
「共同井戸」。 往路には誰も居なかった「共同井戸」だが、 帰路は、見学客が集まり、「町歩きガイド」の話を 熱心に聞いているところであった。 |
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2016/9/26(14:25)
「十王坂」を上る。 |
2016/9/26(14:26)
「宿根木郵便局」。 「十王坂」を上りきり、県道に出たところである。 |
2016/9/26(14:28) 「佐渡国小木民俗博物館」に戻る。 写真は、「旧宿根木小学校」の校門。
「佐渡国小木民族博物館」は、「旧宿根木小学校」の 木造校舎を、そのまま利用している。 |