弾埼灯台
(憩の館「佐志住施礎」)

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2016/9/27(6:38,6:39)
「弾埼(はじきさき)灯台」。
「弾埼灯台」は、佐渡島最北端の東側。日本海の荒波を直接受ける「外海府(そとかいふ)海岸」と
本土側の「内海府(うちかいふ)海岸」を分ける地に立つ灯台で、大正8年(1919)に初点灯。
現在の建物(灯台)は、2代目で昭和65年(1990)に建てられたという。
左の写真は、「弾埼灯台」の西側道路から撮影。
右の写真に立つ鉄塔は、平成20年度(2008)に廃止された「弾埼無線方位信号所」であろう。
「無線方位信号所(レーマークビーコン)」は、マイクロ波を発射し、船舶に信号所の方向を
知らせていたが、今では、ほとんどの船舶がGPSを利用した航行計器を搭載するようになり、
平成21年度(2009)を最後に全国で廃止されたという。
灯台の左に建つ建物の名前は確認できないが、「はじき野フィールドパーク」の案内版には、
「佐渡波浪観測所」とある。現在では、「波浪観測」も、沿岸波浪計や漂流型海洋気象ブイロボットにより
自動(無人)化されているが、建物内には、観測のための計器類等が収められているのであろう。
左の写真をクリックすると「弾埼灯台」の案内版(800x650)が表示されます。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/27(6:40)
南側から見る「弾埼灯台」。
「弾埼灯台」は、昭和32年(1957)、「木下惠介」が
監督し、灯台守夫婦の苦難の生活を描いた映画
「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台となり、
同名の主題歌も大ヒット。後にテレビドラマ化も
される等で、全国に知られることとなった。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/27(6:40,6:41)
「喜びも悲しみも幾年月」の像と見晴台。
「見晴台」は、リゾート施設、憩の館「佐志住施礎(さしすせそ)」の敷地内にあり、
「見晴台」の隣りには「喜びも悲しみも幾年月」の像が立つ。
灯台からは、「見晴台」に向けての踏跡は残るものの、地面は足元が隠れる程の草で
覆われているため、この道を進むことは、断念した。
右の写真は、2.75倍ズームにて撮影。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/27(6:42)
北側から見る「弾埼灯台」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(6:43)
灯台を後に憩の館「佐志住施礎」に向かう。
憩の館「佐志住施礎」は、この写真左側にあり、
名前の「佐志住施礎」は、「(佐)渡に(志)を持って
(住)み、人々のために(施)し、(礎)となる」から
名付けられたようである。
2016/9/27(6:48)
憩の館「佐志住施礎(さしすせそ)」。
憩の館「佐志住施礎」は、平成27年(2015)頃まで、
「はじき野フィールドパーク」と呼ばれていた
リゾート施設で、オートキャンプ場とログハウスの他、
レストランやコインランドリーもあり、ログハウスは、
冷暖房完備で、テレビ、冷蔵庫も備えられているという。
駐車場脇の案内版は、元の「はじき野フィールドパーク」
のままであったが、主な施設については、当時から
大きく変わってはないと思われる。
写真をクリックすると「はじき野フィールドパーク」の
案内版(1,000x650)が表示されます。
2016/9/27(6:49)
憩の館「佐志住施礎」のフェンス越しに敷地内を撮る。
敷地中央にある広場の芝は綺麗に整備されており、
建物の下には、広い敷地を整備するための機械や
道具などが置かれていた。

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