相川地区散策
(北沢浮遊選鉱場跡他)

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2016/9/27(14:20,14:18)
「旧佐渡鉱山」の案内板と「インクライン」。
「北沢浮遊選鉱場跡」は、「旧佐渡鉱山」で採掘された鉱石を選鉱・精錬していた施設群の跡地で、
銅の製造過程で使われていた「浮遊選鉱法」を、世界で初めて金銀の採取に応用した施設である。
当時、東洋一といわれ、月に5万㌧以上の鉱石を処理したという巨大な建造物を今に残しており、
その姿は、まるで「古代ローマの遺跡」や「ラピュタの世界」等といわれ、人気の観光スポットとなっている。
本ページでは、この「北沢浮遊選鉱場跡」をメインに、「佐渡奉行所」から「時鐘楼」へと歩いた記録を紹介する。
右の写真は、急斜面の物資運搬を行う「インクライン」の跡。
左の写真をクリックすると「旧佐渡鉱山」の案内版(800x690)が表示されます。
2016/9/27(14:19)
「北沢地区工作工場群跡」。
写真手前の広場には、機械部品類の製作・修理を
担当する工作工場群が建っていた。
奥に写る古代ローマの遺跡のような建造物は、
「50mシックナー(泥鉱濃縮装置)」。
2016/9/27(14:21)
「北沢地区施設群」。
写真左に「北沢地区工作工場群跡」。「濁川」を挟み、奥に「旧北沢青化・浮選鉱所」、中央から右に巨大な建造物は「北沢浮遊選鉱場」。
右端、煉瓦造りの建物が「火力発電所」。
写真をクリックすると「北沢地区施設群」の建物配置図(800x600)が表示されます。
2016/9/27(14:20)
「北沢地区施設群」の案内板。
写真をクリックすると「北沢地区施設群」の説明を
切抜く画像(800x600)が表示されます。
2016/9/27(14:22)
「旧北沢青化・浮選鉱所」。
写真奥の斜面に建つのが明治期に建設された
「旧北沢青化・浮選鉱所」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:22)
「北沢浮遊選鉱場」の東側。
「北沢浮遊選鉱場」は、昭和初期の増産体制の元に
建設され、東西約115m、南北約80mの規模を誇る。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:22)
「北沢浮遊選鉱場」の西側と「火力発電所」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:23)
「鋳造工場跡」。
「鋳造工場跡」は、「北沢地区工作工場群跡」の
西側に位置し、鉄を溶かすための
「キューポラ(鎔銑炉)」が残る。
写真をクリックすると「鋳造工場跡」の
案内版(800x600)が表示されます。
2016/9/27(14:26)
「50mシックナー(泥鉱濃縮装置)」。
建物は、昭和15年(1940)に完成。
「シックナー」の手前には、機械部品の木型用材を
製材加工した「作業場」があったという。
写真をクリックすると「製材及び雑作業跡」と
「50mシックナー」の案内版(800x600)が表示されます。
2016/9/27(14:24)
「北沢地区工作工場群跡」。
左に、「鋳造工場跡」に残る「キューポラ(鎔銑炉)」。右方に、「50mシックナー(泥鉱濃縮装置)」。
2016/9/27(14:26)
「50mシックナー(泥鉱濃縮装置)」。
「シックナー(泥鉱濃縮装置)」では、金銀を含む泥状の
鉱石から水分を分離し、対岸の「北沢浮遊選鉱場」に
送られたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:27)
「旧北沢青化・浮選鉱所」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:27)
「北沢浮遊選鉱場」と「火力発電所」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:27)
「北沢浮遊選鉱場」の東側。
写真は、2.25倍ズームにて撮影。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:29)
「北沢浮遊選鉱場」の西側。
写真は、3.5倍ズームにて撮影。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:36)
「佐渡奉行所(大御門)」。
「佐渡奉行所」は、江戸時代の初め、慶長8年(1603)に
建てられ、奉行の住居等もあった広い施設であったが、
その後、焼失と再建を繰り返し、その都度姿を変える。
昭和4年(1929)には、国の史跡に指定されるが、
昭和17年(1942)の火災により、全てが焼失。
現在の建物は、平成6年(1994)に、再び国の史跡に
指定されたのを受け、保存整備事業が進められ、
平成12年(2000)、安政6年(1859)頃の「御役所」の
姿に復元されたという。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/27(14:38)
「佐渡奉行所」南側敷地。
「佐渡奉行所」の全体案内図を見ると、「広間役(奉行に
次ぐ上級役人)御長屋」があった辺りであろう。
2016/9/27(14:38)
「佐渡版画村美術館」の塀に沿い細い路地を歩く。
奥には、「時鐘楼」が見えている。
2016/9/27(14:40)
南側から見る「時鐘楼」。
「鐘撞き」は、明治初年(1868)まで続けられ、
時計の役目を果たしたとある。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/27(14:42)
北側から見る「時鐘楼」。
写真をクリックすると「時鐘楼」の案内版(600x400)が
表示されます。
2016/9/27(14:43)
「佐渡版画村美術館」。
「旧相川裁判所」の建物を利用した美術館で、
版画家で高校教師でもあった「故・高橋信一」の
遺作や佐渡在住のアマチュア作家を中心に
版画作品約300点が常設展示されるという。
2016/9/27(14:46)
「相川病院」北側の広場から見る
「北沢浮遊選鉱場跡」。
写真をクリックすると2倍ズームで撮る
「北沢浮遊選鉱場跡」が表示(600x450)されます。

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