東光寺

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2016/9/25(11:03,11:03)
「東光寺」の門前。
「東光寺」は、安曇野市穂高にある曹洞宗の寺院で、山号は「吉祥山」。
当時、穂高地方を支配していた「等々力家」が開基したといわれ、当初は「東龍寺」と呼ばれ、
貝梅の北城(現在の安曇野市穂高等々力北城)にあったが、天正18年(1590)、この地に
境内を移したのを機に「東光寺」と改称したという。
信州川西観音札所第八番札所であり、信州七福神の大黒天の札所としても知られる。
山門(吉祥門)の前に置かれる、3つの大きな下駄は、「吉祥仁王さまの下駄」と呼ばれ、
「山門の仁王さまに向かい手を合わせて一礼してから、願いを込めてこの下駄を履くと
諸願が成就される」とある。
右の写真をクリックすると拡大写真(600x450)が表示されます。
2016/9/25(11:04)
「仁王像(阿形)」。
案内版には「名力士、北の湖をモデルとして作られ、
安曇野仁王様と命名される」とある。
「東光寺」には、手書きの案内版が多いのだが、
この文字が、気取らず飾りっ気のない「文字」で、
変に整った達筆よりも、人間味を感じる。
写真をクリックすると「安曇野仁王様」の
案内版(450x600)が表示されます。
2016/9/25(11:04)
「仁王像(吽形)」。
ガラスが光り、仁王様の表情が分からないため、
拡大写真をお見せできない。
案内版には、「本堂の裏にご戒壇めぐりがあります」と
ある。
2016/9/25(11:05)
「東光寺」の境内。
奥の建物が「本堂」。
2016/9/25(11:06)
境内から見る「吉祥門」。
門前側の扁額は、「吉祥門」。
境内側の扁額には、「吉祥山」と書かれる。
また、境内側には記念撮影用の顔出しパネルが立つ。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2016/9/25(11:06)
「鐘楼」。
「鐘楼」の前には「子育て道祖神」が立つ。
2016/9/25(11:06)
「薬師堂?」。
お堂の前には、手書きで「薬師如来三尊(室町時代作)」
とある。
写真左に写る(横向き)のは、「観世音菩薩」。
2016/9/25(11:06)
本堂前の「庭園」。
2016/9/25(11:06)
「本堂」。
「本堂」の回り廊下には、「戒壇めぐり」の文字と、
左方向の矢印が書かれる。
2016/9/25(11:07)
「戒壇めぐり」の案内版。
「戒壇めぐり」は、信州善光寺の「お戒壇巡り」と同じで、
真っ暗な回廊の中を、壁に手を触れながら歩き、
中央にある「幸せの鍵」に触れると、「幸せ」が
つかめるという。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2016/9/25(11:08)
「戒壇めぐり」入口。
靴を脱いで中に入る。
2016/9/25(11:12)
「戒壇めぐり」出口。
無事「幸せの鍵」に手を触れることができ、外に出る。
信州善光寺の「お戒壇巡り」の方は、記憶が薄れて
しまったが、「東光寺」の「戒壇めぐり」は、随分と
距離が短く感じた。
なお、入口は写真の「下駄箱」の奥にある。
2016/9/25(11:13)
「志納箱」。
「志納箱」は、「戒壇めぐり」の入口付近にあるものと
思い、往きには見落としていたのだが、
この「志納箱」は、本堂の正面から「戒壇めぐり」の
入口に向かう途中にあった。
2016/9/25(11:15)
「本堂」に架かる「扁額」。
「象形文字」なのだろうか。
「吉祥山」と書かれるのであろう。
写真をクリックすると「扁額」を切抜く画像(600x450)が
表示されます。

  穂高神社周辺に戻る      旅の記録(長野県)に戻る

  旅の記録に戻る      Donichi’s HomePageに戻る