戸隠神社
「宝光社」

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2014/9/29(9:08,9:11)
戸隠神社「宝光社」の参道登口と、「戸隠神社信仰遺跡」の案内板。
「戸隠神社」は、JR東日本の「長野駅」から北西約15kmの「戸隠山」の麓に「奥社(本社)」「中社」「宝光社」
「九頭龍社」「火之御子社」の5社を配する神社で、各社で「天の岩戸開きの神事」にまつわる神々を祀る。
この「宝光社」は、「天照大神」を誘い出すための策を考え出した「天八意思兼命」の御子神様「天表春命」を祀る。
鳥居近くにある「長野県史跡」の案内板には、「戸隠神社は、奥社、中社、宝光社の3社からなる」とあるが、
元々神社であった「九頭龍社」と「火之御子社」は、「戸隠神社信仰遺跡」の対象にはなっていないようである。
左の写真をクリックすると「宝光社」の案内板(600x450)が表示されます。
右の写真をクリックすると「戸隠神社信仰遺跡」の案内板(800x600)が表示されます。
2014/9/29(9:11)
戸隠神社「宝光社」の石段。
鳥居を潜ると、その先は270余段の急な石段である。
写真をクリックすると下から見る参道石段(450x600)が
表示されます。
2014/9/29(9:14)
「女坂」への分岐。
石段を一区切り登ると、左に「女坂」がある。
石段が苦手な方は、「女坂」を利用すると良い。
2014/9/29(9:15)
石段の途中で振り返る。
下にいる人の姿が蟻のように小さく見え、
かなりの高度を稼いだことが分かる。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2014/9/29(9:16)
石段最上段で見る「宝光社」の社殿。
2014/9/29(9:17)
「神輿庫」。
7年に一度の「式年大祭」では、「天表春命」が御父神
「天八意思兼命」とのご対面のため「中社」に向かう
「渡御の儀」。また、「中社」から「宝光社」へとお還りに
なる「還御の儀」では、3kmの道のりを、重さ約600kg
の「神輿」にご神体を戴き、約2時間をかけてゆっくりと
進むという。
写真をクリックするとガラス越しに撮る「神輿」が
表示(600x450)されます。
2014/9/29(9:18)
「神輿庫」の前で見る「宝光社」の社殿。
「宝光社」の社殿は、「戸隠神社」の5社の中でも
最も古く文久元年(1861)に建てられ、神仏習合時代の
面影を残すとある。
写真をクリックすると「宝光社社殿」の
案内板(600x450)が表示されます。
2014/9/29(9:22)
向拝下の「社号額」と「彫刻」。
拝殿の周りは、見事な「龍・鳳凰・麒麟・唐獅子牡丹・
象の木鼻・十二支」等の彫刻で飾られ、この彫刻は、
宮彫師「北村喜代松」の作とある。
写真をクリックすると向拝下を撮る写真が
拡大表示(600x450)されます。
2014/9/29(9:20)
「社務所」。
2014/9/29(9:24)
「社務所」の前で見る「宝光社」の社殿。
社殿の右奥には「神輿庫」が写る。
2014/9/29(9:26)
「女坂」を下る。
「社務所」の横を進むと、すぐ左へと下りる道がある。
その道を下るのが「女坂」で、石段を一区切り登った
ところに出る。

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