高遠城址公園

「高遠城址公園」は、園内に1,500本以上の「タカトオコヒガン桜」が咲くことで知られる。
この年の開花は遅れていると聞いてはいたのだが、年によっては満開を過ぎている時期でもあり、
多少は咲き始めていることを期待して出かけたのだが、さんざんな結果に終わってしまった。
本ページ作成段階で確認すると、この年の開花は3日後の4月16日。満開は22日であった。

この下にある「プルダウンメニュー」が表示されない場合は、ページ最下行にあるハイパーリンクをご利用下さい。





2012/4/13(9:37)
「高遠城址公園」北ゲートを入る。
桜の開花宣言が出ると、「さくら祭り」が
始まり、入園が有料となるのだが、この日は
開花宣言前ということで、入園は無料であった。
しかし、周辺の駐車場料金は、「さくら祭り」
期間中と変わらないようで、少し高めであった。

2012/4/13(9:38)
「高遠閣」。
北ゲートを入ると、すぐ左側にある。
昭和11年完成。昭和初期の大規模建物として、
国の登録有形文化財に指定されているという。
写真をクリックすると「高遠閣」の案内板
(800x600)が表示されます。

2012/4/13(9:41)
「天下第一の桜」の碑。
高遠町は、「コヒガンザクラ」を、貴重な財産
として、後世に継承するため、「桜憲章」を
制定している。
写真をクリックすると「高遠町桜憲章」の
案内板が表示されます。
この案内板は、1280x900ピクセルあります。
案内板の文字を読みたいときには、表示された
画像をクリックし、スクロールバーを
ご利用下さい。

2012/4/13(9:42)
「桜雲橋(おううんきょう)」。
2012/4/13(9:44)
「問屋門」。
元は、高遠城下、本町の「問屋役所」にあったと
いう。
昭和20年代、「問屋役所」取り壊しの際、
他に売却されるところを、町の有志が買い戻し
募金を集めて、現在地に移築したとある。
2012/4/13(9:52)
「広瀬奇壁、河東碧梧桐」の歌碑。
公園内には、歌碑をはじめ、数多くの碑文等が
ある。
2012/4/13(9:48)。
「無地の碑」付近で見る「二の丸」。
開花を待ちわび、テントの売店も開店しているのだが、花のつぼみは、まだ小さく硬い。
2012/4/13(9:54)
「白兎橋」と「法幢院曲輪」の案内板。
この辺りは、城郭の南端に位置し、「法幢院」
というお寺があったが、一般の人も参詣できる
ようにと、場所を城外に移し名前も「桂泉院」と
改名して現在に至るとある。
2012/4/13(9:55)
「法幢院曲輪」から見る「中央アルプス」。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/4/13(9:56)
「靖国招魂碑」。
2012/4/13(10:00)
「南曲輪」から「本丸」に向け歩く。
2012/4/13(10:03)
「太鼓櫓」。
写真をクリックすると拡大写真(450x600)が
表示されます。
2012/4/13(10:03)
「太鼓櫓」の案内板。
時を報じる太鼓櫓で、太鼓は昭和18年まで
打たれ、その後も「高遠高等学校」の授業開始・
終了を知らせていたが、現在は「高遠町歴史
博物館」に展示されているとある。
写真をクリックすると「太鼓櫓」の案内板が
拡大表示(600x450)されます。
2012/4/13(10:08)
「新城藤原神社」近くで見る「本丸」。
右奥に「太鼓櫓」が写る。左の道奥にあるのは「問屋門」。
2012/4/13(10:05)
「新城藤原神社」。
「高遠城」で最期を遂げた「武田信玄」の五男、
「仁科五郎盛信」の霊を祀る「新城神」と、
以前から城内にあった「藤原社」を合祀した
とある。
写真をクリックすると「新城(盛信)神社・藤原
神社の由来」の案内板が表示(600x450)されます。
2012/4/13(10:10)
「高遠公園の碑」。
明治14年(1881)建立。
碑文には「高遠之城 拠信山東陬」で始まる、
東宮侍講「三島毅」の名文が刻まれる。
2012/4/13(10:13)
「若返りの桜」。
「タカトオコヒガン桜」では、昭和28年より
「桜の若返り」を試み、この桜は若返りに
成功した桜である。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/4/13(10:14)
「若返りの桜」と「若返りの成果について」の
案内板。
若返りの方法は、「高い所に出た若木の根に壁土
を付け、この根が台地につくようにする」という
もので、写真の木は、親木の上部は枯れて無く
なり若木が育ったものだという。
写真をクリックすると「タカトオコヒガン桜の
若返りの成果について」の案内板が表示(600x450)
されます。
2012/4/13(10:16)
「高遠のコヒガンザクラ」の碑。
碑文には、「この桜は、旧藩時代『サクラの
馬場』の並木であったが、明治5年(1872)に
大きいものは切られ、明治8年(1875)に第1回
移植が行われる。その後何度か補植され、
現在では、1,500本以上の樹林となるが、
補植は、同一種類に限られ、このような純粋に
一種類だけの樹林というのは珍しい」とある。
2012/4/13(10:18)
「桜雲橋」の上から見る池。
この写真では、小枝に阻まれ池の水面ははっきり
しないが、池を取り囲む遊歩道がよく分かる。
2012/4/13(10:27)
「信州高遠美術館」。
美術館の方に開花している「桜」があると聞き
来てみたのだが?
2012/4/13(10:30)
「信州高遠美術館」の裏に聳える「天守閣」。
美術館の建物の一部だと思うのだが、真偽も含め
詳細不明。
2012/4/13(10:30)
「信州高遠美術館」の裏から見る「高遠湖」。
「高遠湖」は、干害と水力発電を目的とした、
長野県営のダムによりせき止められたダム湖で、
ダム湖百選にも選ばれている。
2012/4/13(10:33)
大分、つぼみの膨らんだ桜の木を見つける。
2012/4/13(10:34)
ついに「桜」の開花を発見。
同じ木でも、他の枝は、まだ「つぼみ」である。
この日、開いた桜の花を見たのは、この写真が
全てであった。
写真をクリックすると拡大写真(600x450)が
表示されます。
2012/4/13(10:42)
「高遠城址公園」南ゲートを入り、北ゲートに
向かう。
純粋に一種類だけの樹林というのは、咲くときも
一斉に咲くのではないだろうか。
桜の咲く時に、もう一度訪れたいものである。

 旅の記録(長野県)に戻る

 旅の記録に戻る    Donichi’s HomePageに戻る